十五夜綱曳きずり

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「十五夜綱曳きずり」基礎データ

十五夜綱曳きずりは、子供たちが集落内を、十五夜の大綱をひっぱって回る行事です。南さつま市万世地区では、綱引き合戦はせず、この綱曳きずりだけを行います。薩摩半島の海浜部では、このように綱を引きずったり、綱を担いだりして集落を回る行事が点在しています。

「十五夜綱曳きずり」写真と解説

1.十五夜綱曳きずりの構造

鹿児島では各地で、旧暦八月十五夜に綱引きを行う。綱引きの基本構造は、「材料集め」→「綱作り」→「綱引き」→「綱の再利用(相撲)と綱流し」となっている。

万世地区の十五夜綱曳きずりは、「綱引き」の要素が、いわゆる綱引き合戦ではなく、「綱運び」に置き換わっている。次に、実際の習俗を紹介していこう。

十五夜綱引の構造

2.南さつま市加世田万世 唐仁原の十五夜綱曳きずり(1992年調査)

昔は十五夜前の日曜日にジュウシガシタ(十四頭)が中心になり、青年が手伝って綱をネッテ(綯って)いた。夏休みが終わると、子供たちがワラを各家からもらって回る。今は公民館の役員や消防団員でネッテいる。綱は前からサキヅナ、ツナ、ドンヅナという部分に分かれており、1992年のサキヅナは長さ105センチメートル・直径4.5センチメートル、ツナは長さ450センチメートル・直径25センチメートル、ドンヅナは長さ105センチメートルであった。ツナには子供が引っ張るためのコシヅナがついている。

十五夜綱曳きずり(唐仁原)当日は、午後5時に公民館前に集合してのぼりを先導に、集落内を引きずって回る。途中曲がり角では子供がダンギという棒を持っており、ツナはそれに引っ掛けてうまく回っていく。このダンギは今はスギを使っているが、昔は節のないカタギを使っていた。そして二日ぐらい前に曲がり角ごと30センチメートルくらいの穴を掘ってワラを詰めておき、当日ツナが通るときにそのワラを取ってダンギを突っ込んだ。

引きずる途中は次の歌をうたう。

「十五夜おっ月さん早よ出やれ、子供が喜び綱を引く、エーッサッサ、エーサッサ」

昔は他の集落の綱とかち合って先頭争いなどもした。

公民館に帰ると、綱の引き合いはせずに、すぐに土俵を作って、中にシラスを入れ、相撲を取る。終わると綱は希望者がもって帰って肥料にする。

→動画「唐仁原十五夜綱引きのダンギ」(2018年・唐仁原)

3.南さつま市加世田万世 小松原の十五夜綱曳きずり(2002年調査)

●概要

旧暦八月十五日にはジュウゴヤツナヒキをする。昔は、小松原の各区で綱引きがあった。今は小松原四集落と当房の計5集落合同の行事。綱引き合戦も一時期していたが、今は綱を引きずって集落を回って歩くだけの綱引き。今年(2002年)の小松原地区の綱曳きずりのコースは、小松原寄木八幡神社→相星入り口→小松原団地前→226号万世小学校入り口→寄木八幡神社。

十五夜の大綱●材料集め

今は稲藁だけで作る。芯には、数年前加世田本町の大綱引きに使ったロープを貰ってきて、それを使っている。かつては、子供たちが山へ行って、カズラを取ってきたが、山は危ない・刃物を使うのは危険ということで、最近は藁だけになった。この藁も以前は南さつま市加世田内山田などの稲の多いところへ貰いにいったりもしたが、今は万世のこのあたりの農家のものだけを使っている。

●ツナネリ

綱をなうことをツナネリという。今年は4、5日前にツナネリをした。本来は子供が中心になってするのだが、今は親が手伝う部分が多い。寄木八幡神社の楠木に綱を掛けてねっていく。3本の綱を1本の大綱にしていく。3本それぞれに芯として、藁縄が入っている。それと芯に本町のロープが入っているので、芯は計4本。大綱はサキズナ・ドンズナ・ヒキテから出来ている。
サキズナは芯になっている本町のロープがそのままむき出しになっている部分で、長さ9メートル。ドンズナはツナネリでないあわせた部分で長さ11メートル。ヒキテは、ドンズナの左右につけた引き綱で長さ2メートル。左右16本ずつ、計32本が付いている。綱の大きさやヒキテの数は時代とともに変わってきた。昔は40メートルくらいあった。
綱は境内の倉庫にしまっておく。また昔から、数日前から相撲の景品を買うための寄付を子供たちだけで貰って回った。今は大人があらかじめチラシを配って知らせておいて、それから子供たちが回っている。

十五夜綱引の幟旗●幟旗

現在の旗は7本。
120センチ×30センチのもの3枚。いずれも日の丸の下に年号と「八月十五夜 下村組」。年号は大正8年、昭和2年、昭和6年。
83センチ×93センチのもの2枚。大きな日章旗で、うち一枚には「昭和32年八月十五夜 大崎潟組」とある。
またもう一組90センチ×60センチのものは、鷹の絵のものと虎の絵のもの。昔は集落で絵のうまい人が書いてくれたものがまだいくつもあったという。

●綱引きドキュメント

集落の中を綱を引きずって歩くことをツナヒキという。
午後5時に集合。神社の拝殿に供えられた十五夜の飾りを前に二礼二拍一礼。その後ツナヒキへ出発。先頭に十五夜の幟旗を持った子供、その後を綱が続く。昔はカナボウ13歳、ハタ12歳、その他のものが綱を引く役だったという。
小松原寄木八幡神社から、国道へ出て西に向かい、橋を渡って相星入り口まで行き、引き返してくる。また国道へ戻って今度は東に向かい、小松原団地入り口から国道の南側の地区を回っていく。万世小学校入り口で国道をまたぎ、今度は国道北側の集落を回る。そして八幡神社へ戻ってくる。
神社の十五夜飾り昔は、カナボウ(ダンギ)という棒を持つものがおり、それを地面に掘った穴に入れ、支点にして綱をカーブさせた。今は道路が広くなったので、直角に曲がらなくてもよくなったのと、舗装されて棒を差すことも出来ないので、カナボウは使わず回る。今年は途中相星のツナヒキ組と鉢合わせになった。昔は、こうした出会い頭、カナボウをさす穴を奪い合ったり、ばれないように隠しておいたり、喧嘩になることもあったという。

道中の歌は、万世の他の地区と同じで「十五夜おっ月さん早よ出やれ、子供が喜び綱を引く、エーッサッサ、エーサッサ」。

●相撲

午後6時に神社へ付くと、旗を立てかけていったん休憩。綱は境内の楠木の下にとぐろ状にしておいておく。この綱は、あくる日に崩し、必要な人が切って持って帰り、畑の敷草にする。持ち帰るとき、ヒキテを巻きつけて持って帰る。
普通の綱引き合戦はやらない。相撲は午後7時から2時間続いた。

八月十五夜の幟旗 十五夜綱曳きずり(小松原) とぐろ状に巻かれた大綱

4.南さつま市加世田万世 大崎の十五夜綱曳きずり(2006年調査)

ドンヅナの尻尾(大崎綱曳きずり)大崎の綱は長さ30メートルほど。藁を練って作ってあり、サキヅナとドンズナからなり、ドンズナにはたくさんの引き綱が付いている。ドンヅナのしっぽの部分は、農作業用のズダ袋を被せてある。幟旗の竿は笹の付いた竹(高さ3メートル)。旗は、虎の絵に「十五夜」の文字が入ったもの1枚、お月見をする子供たちの絵が入ったもの(文字はなし)2枚。3枚いずれも比較的新しいもので、高さ90センチ幅60センチ。

大崎八坂神社の境内から、幟旗を先頭に集落内を引きずって回り、神社にもどってくる。道中の十五夜歌は他の集落と同じで、

「十五夜おっ月さん早よ出やれ、子供が喜び綱を引く、エーッサッサ、エーサッサ」。

神社に戻ると、綱引き合戦は行わず、この日のために境内に作られた土俵で十五夜相撲を取る。

→動画「十五夜綱引きの歌」(2016年・大崎)

5.十五夜綱曳きずりの特徴と意義

  1. 万世の十五夜綱引きは、いわゆる綱引き合戦を行わず、集落内を綱を引きずって回るだけである。
  2. 歌詞、月の出を待ち望む喜びの歌詞となっており、十五夜行事の触れ回りの意味合いもある。
  3. 綱曳きずり習俗は、薩摩半島の海浜部で行われる「綱運び」習俗群の一形態で、集落を回ることにより「悪いモノ」を綱に憑かせ、清める意味があると考えられる。綱引き合戦以前の古風な姿を残していると言え、大変貴重な節替わり習俗である。

→詳しい解説は、「薩摩半島における十五夜行事の構造

「薩摩半島の十五夜行事」記録映像・記録画像

坊津の十五夜
坊津の十五夜

南さつま市
YoutubeWMP

十五夜綱引き・綱ねり
十五夜綱引・綱練り

南さつま市
YoutubeWMP

十五夜綱曳きずり
十五夜綱曳きずり

南さつま市
YoutubeWMP

十五夜ヨコビキ
十五夜ヨコビキ

南九州市
YoutubeWMP

十五夜ソラヨイ
十五夜ソラヨイ

南九州市
YoutubeWMP

総集編:薩摩半島の十五夜行事


〔実地調査〕
南さつま市加世田万世地区(大字唐仁原)唐仁原集落 1992.9.11
同地区(大字小湊)小松原集落・相星集落 2002.9.21
同地区(大字唐仁原)大崎集落 2004.9.28,2016.9.15
いずれも旧暦八月十五夜に実見、公民館長ほかから聞書き。

〔参考文献〕
拙著「薩摩半島における十五夜行事の構造」に記載。

鹿児島祭りの森