飯倉神社御田植祭

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「飯倉神社御田植祭」基礎データ

飯倉神社の御田植祭(お田植え祭り)では、神社での棒踊り奉納の後、猿田彦面を先頭に御神田までご神幸します。早乙女による田植えがあり、再び棒踊り。最後に神社に戻って田の神舞いがあります。棒踊りではシベ竿で力強く地面を突いて、土地に活力を与えます。

「飯倉神社お田植え祭り」写真と解説

1.棒踊り

飯倉神社のお田植え祭りは3部構成。(1)神社での祭典・棒踊り→(2)御神田でのお田植え神事・田植え・棒踊り→(3)神社での田の神舞い。

祭典後、境内で棒踊りが奉納される。宮3地区(中福良・松崎・宮小路)持ち回りで、2005年は松崎集落が担当。踊り子の採り物は、六尺棒と三尺棒。衣装は揃いの白浴衣に角帯、白鉢巻き、白たすき。足には脚絆を着け、わらじをはいている。踊りは6人がらみ。そのほか歌い手とシベ竿を持つ棒突き役が加わる。シベ竿は高さ4メートルほどの竹に「五穀豊穣」の札を挿し、木製のシベ(幣。削りかけ状のカンナくず)を垂らしたもの。

猿田彦面踊りに先立ち、踊り子は採り物の六尺棒で、棒突き役は大きなシベ竿で、歌に合わせて力強く地面に打ち付ける「ボツッ(棒突き)」という習俗が見られる。下野敏見氏はこれを、「大地を突き、地霊をしずめ、同時に稲作の活着のよさも祈る呪術」であり、御神田脇の斎場でも踊ることからイナダマオロシ(稲霊下ろし)の意味趣旨も反映していると述べている。

棒踊りの歌詞は、豊作を願うものとなっている。(下野氏の報告を参照)

  • 後ろは山で前は大川
  • 今こそ通る神に物詣り(今こそ帰る神に物詣り)
  • 一元苗に(は)米が八石
  • 清めの雨は三度パラパラ

3.御神幸とお田植え

棒踊りの奉納が終わると、猿田彦面の先導で、棒踊りの道楽を歌いながら、御神田に向かう。道楽の囃子は、現在はテープレコーダーで笛の音を流している。御神幸の行列は、猿田彦→早乙女→シベ棒→棒踊り踊り子隊→氏子衆の順。

御神木の榎が生える御神田(オンダ)に到着すると、稲苗を供え、早乙女によるお田植えが行われる。田植え唄はない。田植えが終わるとここでも棒突き・棒踊りを奉納される。その間、猿田彦は御神田に据えられた椅子に腰掛けて、お田植え行事が滞りなく行われることを見守る。猿田彦面は天文3年(1534年)に作られたもの。

田の神舞い4.田の神舞い

再び神社に戻り、拝殿で田の神舞がある。田の神舞の採物は、風呂鍬、鈴、ワラヅト(藁筒)、扇。翁の仮面を付け、背中には種もみ(に模した紙切れ)の入ったワラヅト(藁筒)を背負う。鈴を持って登場し、豊作を願う口上の後、鍬打ち(代かき)、種もみ播き、田の草取り(鍬を熊手代わりにして)、収穫(日の丸扇子の舞い)と順を追って稲作のようすを再現していく。

口上は次のとおり(下野氏の報告を参照)。

秋の田の穂を照らす稲妻の光のまにぞ、神を生ずる。
それ五穀の種子はじまりてもウケモチ(保食)ノ神これをうめり。
アメノクマビトことごとくとりて天照大神にあげ奉りしかば、大神おーきに喜びて、このものは美しきアオビト、くさの食うて生くべきものなり。
すなわち、アワ、ムギ、ヒエ、マメをもってハタダ(畑田)の種子とし、イネタネをもってミヅタ(水田)の種子とし、アマノ村君をさだめ、オサナ、サナダに植えしかば、八ツカ穂にして、その穂の長さ1尺8寸ばかりなり。
ブーラ、ブラブラブラ、ブラーッ。実のまわり1寸8分ばかりなり。
コーロ、コロコロコロ、コロッ。はなはだ祝いたもうられー。
チンジョウサイハイ、サイヘイ、タカマガハラに神アソブー。

5.飯倉神社御田植祭の特色

このお田植え祭りでは、五穀豊穣と書かれた「シベ竿」が、地面を叩くことで土地に霊を鎮め、イナダマの依代としても機能している。また飯倉神社の田の神舞いは、単独で行い、他の地区の田の神舞(タノカンメ)で見られるようなユーモラスな問答はない。単調な太鼓のリズムに合わせて、粛々と農耕の様子が再現される。このことについて、下野氏は「ふるい稲作過程の予祝儀礼が芸能化し、それが御田植祭にあとから加わったもの」としている。


〔実地調査〕
2005.7.10

※下野氏の報告では、他の地区の春祭り(田遊び)のように造り牛が1984年から登場していると記されているが、私が実見した2005年には見られなかった。

〔参考文献〕
下野敏見著「南九州市川辺町の御田植祭と棒踊り」(『鹿児島の棒踊り』、2009年、南方新社刊、41~49頁所収)

鹿児島祭りの森