大浦町大木場の山神祭り

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「大浦町大木場の山神祭り」基礎データ

大木場の山神祭りは、直径230センチ、片方の重さが30キロ(一足で60キロ)の大草履を抱え、大山祇神社(やまんかん)に奉納する祭りです。大木場は平家落人の伝説が残り、大草履はムラの境界に掲げ「大男」の住むムラを示したと考えられています。

「大木場の山神祭り」写真と解説

1.大木場の大山祇神社

大木場の山神(大山祇神社)祭神は大山積神で、棟札に島津氏久が永徳2年(1382)遷宮したとの記載がある。大正2年(1913)に笠沙の野間神社に合祀されているが、今も木像3体が祀られている。祭祀には代々金子家が当ってきた。金子家は平家落人と伝えられ、文治2年(1186)に大木場に移ってきたとされる。社殿背後の大岩には、大木場各門の氏神が祀られている。現在の社殿は、昭和55年に建て直されたもの。拝殿は沢をまたぐように配され、苔むす境内には、階段を高さ3メートルほど下る。

大木場山神のご神体は、束帯姿の木像2体と十二単(じゅうにひとえ)の木像1体。霜月初申の日に、大草履を運ぶ「山ん神(ヤマンカン)祭り」が行われる。このご神体は、山神祭と正月の年2回のみ公開される。

2.ヤマンカン(山神祭り)の由来と平家伝説

大木場の山神祭り(やまんかん)旧暦霜月初申の日(現在はそれに違い新暦12月の日曜日)に行われる大木場大山祇神社の祭り。直径230センチほどの大草履を抱えて神社に奉納する。草履は一対を二人の青年がそれぞれ抱える。ムラの境界に掲げ「大男」の住むムラを示したという言い伝えがある。午後3時から大草履をヤマンカン(大山祇神社)に奉納し、そのあと集落の役員が、ヤツデの葉の器に氏子に赤飯を配る。セガキという。再び大草履を抱えて公民館に向かい、直会となる。かつては乙名家の金子家に納めた。

祭りの性格は、ウッガン祭り(内神祭り・霜月祭り)が発展したものといえる。大木場方限には大木場門・大木場名子・東門・東名子・村・上畠・前園屋敷という7つの社会組織「門(かど)」があった。その名頭(オンナドン=乙名殿)が金子家。

大草履の由来については、平家落人伝説にちなむものがある。集落の方によると話は次のとおり。

「大木場の人々の先祖は平家の落人だと聞いています。昔、枕崎のほうから大木場峠(南さつま市上津貫と大木場を結ぶ峠)を越えて、この土地にたどり着きました。そして、大きな草履(ぞうり)をこの大木場峠に掲げました。追っ手の源氏は「大木場には大男の住んでいる」と思いこみ、峠から先には入って来ませんでした。また、源氏が来た時、猿がたくさん現れて防いでくれたともいわれ、山の神(大山祇神社)を祭るようになったと聞いています。」

3.大木場山神祭りの現状(2006年ドキュメント)

大浦町大木場の山神祭り(ヤマンカン)午後2時半に、筆者が神社に到着したときには、すでに神社での準備が始まっていた。神殿を開き、赤飯・シトギ・塩・魚のお供えを供える。大木場では神職は呼ばず、大草履が到着した後、集落民が自ら祭典を執り行う。集落の人々は手に手にヤツデの葉を持って、待っている。境内わきにはテントが張られ、ぜんざいが振舞われていた。

午後3時前、軽トラックで運んできた大草履を鳥居前に下ろす。この草履は公民館で2日前に集落民が編んだもの(草履を編む日は特に決まってはいない)。2時間程度で完成したという。やまんかん祭りの大草鞋は2対(4つ)あり、実測したところ今年のものは直径230センチあった。重さは30キログラムといい、今年は雨のせいでさらに重さを増している。

午後3時、二人の青年が大草履を”踏んで”運ぶ。参道の石段を下り(神社はくぼ地にある)、大草履が大山祇神社(通称やまんかん=山の神)に到着。この間5分とかからない。

ヤツデの葉にセガキをもらう役員による簡単な神事のあと、先に配ってあったヤツデの葉の器に、赤飯を配る。いただくと無病息災とのこと。ヤツデは、神社の周りに生えているものを利用し、葉の部分を器状にする。開かないように、つまようじを差してある。葉の部分長さ20センチ、柄の部分30センチ。たくさん準備されていて、山ん神祭りでは、赤飯をもらうのが楽しみの一つとなっている。セガキという。この赤飯はお供えをした残りを振舞うもの。役員が拝殿で小櫃を抱え、少しずつ参拝者に分けていく。

この後、以前は、神社のそばにあった金子家にも大草履を”履いて”上り、奉納した。現在は、赤飯を配ったあと、すぐに軽トラックで公民館へ運ぶ。

大草履は公民館下で軽トラックから下ろし、公民館への道を"履いて"上る。すべての行事は30分程度。草履は1年間公民館で供え、1年後解体する。解体した草鞋は、昔は肥料など使ったという。

祭りは旧暦霜月(11月)第1申(さる)の日に行っていたが、2005年から、それに近い12月の日曜日に変わった。


〔実地調査〕
2006.12.17・2009.12.13・2011.12.4大木場大山祇神社・大木場公民館

〔参考文献〕
『大浦町郷土誌』(1995年、鹿児島県大浦町役場)

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