利永のメンドン

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「利永のメンドン」基礎データ

利永のメンドンは、お伊勢講の おみこし が集落をめぐるとき、鬼やヒョットコの面を被った青年が、参拝者に鍋墨(なべずみ)を塗って歓待する行事です。

「利永のメンドン」写真と解説

1.利永のメンドン概要

(1) 名称

利永のメンドン 鬼やひょっとこなど様々な仮面を被る二才衆(青年)のことを、「メンドン(面殿)」という。このメンドンを露払いに伴う、伊勢講御輿(オドド)の神幸行列のことを、「オドドナオイ(御輿直り)」又は「メンドン回り」と呼ぶ。そして、この行事全体の総称を「メンドン祭り」、または単に「メンドン」と呼ぶ。

 メンドンは神幸の道中、集落民にヘグロ(鍋墨)を塗って歓待することから、行事全体の別称として、方言でいたずら参りを表す「ワヤクメイ」「ワアッメイ」と呼ばれることもある。本来は伊勢講宿移り習俗であるが、今では「オイセコウ」などと呼ばれることはない。

(2) 伝承地

利永神社 指宿市山川利永区には、かつては6組の伊勢講があったが、現在はすべて、利永区全体の鎮守である利永神社(祭神大国主命・保食命)に、合祀されている。

 現在の祭礼は、まず、利永神社例大祭として神事が執り行われる。その後、利永公民館(利永集落センター)へ伊勢講木祠を移し、そこからメンドンを伴って、利永区内を回る(メンドン回り)。最後に、利永公民館に戻って直会を行う。

 小野重朗の報告によれば、6つの伊勢講組は、正・5・9月の16日に組別に行われ、エショという宿から次の宿へのミコシ送りで、ワヤクメイ(いたずら参り)が行われたという。〔小野1993 255頁〕

(3) 伝承日時

メンドンが描かれた消火栓用ホース収納庫 かつては、旧暦1月16日、伊勢講木祠を神社に返した夕方に行われていた。その後新暦1月16日になり、平成20年からは、氏子が集まりやすい新暦1月第3日曜日に行われている。午後3時半ごろから利永神社神事、午後4時ごろから約1時間かけて、地区内を回る。なお、利永神社例大祭は、本来1月15日であるが、メンドン祭りと同じく、新暦1月第3日曜に執り行われている。

(4) 伝承組織

 現在は、利永区の行事として行われている。かつては各集落ごとに伊勢講組があった。利永区内各集落(市山上・市山下・寺・中・東下・東上。かつては市山東もあったが集落再編により現在は6集落)の集落長が、御輿を担ぎ、中心的な役割をする。直会の準備は区の女性部(各集落2名ずつ、計12名)が行う。

(5) 由来伝承

 伊勢代参講に由来し、今でも「昔、疱瘡が流行って、代表がお伊勢参りに行って、御札をもらってきたのが始まり」と伝えられている。「お面を被っている二才には神が宿る」ともいう。また、メンドンにヘグロを顔を塗ってもらうと、1年間病気をしないという。

2.利永のメンドン調査ドキュメント

(1) 御輿・道具類・供物等の準備

利永神社に祭られた伊勢講木祠 利永神社本殿には、中央に利永神社祭神の木祠が祭られ、その左右に、6つの中型木祠と小型木祠が2つ(祭神不詳)が祭られている。6つの中型木祠はかつて集落ごとに祭られていた伊勢講のものと思われる。木祠の横側に「寺村」などと大きく刻んであるのは、合祀した際につけられたものだろう。実測した中型木祠は幅・奥行き・高さが、①62×47×58・5、②55×42×60、③53×49×59・5cm。中には石と大麻が祀られている。

 伊勢講神幸行列(オドド直り・メンドン回り)に使う道具には、この木祠を乗せて御輿として運ぶ木台のほか、先導する御幣、太鼓、鉦がある。ほかに、御輿の後ろでご飯(オドド飯)や神酒(焼酎)をふるまうが、その道具には、盆・どんぶり・箸、徳利(カラカラ)・猪口がある。

太鼓 御幣は長さ63cm。太鼓は直径48cm、厚さ36cmで、昭和44年に寄進されたもの。太鼓の桴は柔らかいタラの木で、長さ33cm、直径2・5cm。太鼓の担い棒はマダケ製で、長さ154cm、直径5cm。鉦は直径16cm、厚さ5cm。鉦は柄30cm、頭部9cmの金鎚で打つ。オドド飯は5kg炊いて、ふるまわれる。

 メンドンの着物や面は、公民館でも備え付けているが、自前のものを身に着ける者もある。面は鬼やひょっとこなど手作りのものや、余興などで使う市販プラスチック製のものなどさまざま。

 メンドンは大根に付けたヘグロを参拝者に塗って歓待するが、その大根は長さは約20cm。笊(直径55cm)に、包丁(長さ27cm)で切った大根を入れて、公民館に準備しておく。また、ヘグロはバケツ(高さ31cm、直径20cm)に準備しておき、ビニール袋に小分けして、メンドンに持たせる。ヘグロはどこの家のものでもよいが、今では利永区に2、3軒しか煙突のある家がないという。

(2) 神事

利永神社例大祭 午後3時半ごろから、牧聞神社(ひらきき じんじゃ)神職により神事が執り行われる。区役員・来賓約15名が参加し、時間は約30分。神事の名称は、「利永神社例大祭」。神職による拝礼・修祓・献饌・祝詞、集落役員・来賓による玉串奉奠と続き、参拝者に神酒のふるまいが行なわれる。

 神事が終了すると、6つの伊勢講中型木祠から1つを選び(どれを使うかは特に決まっていない。近年は手前にあり、運び出しやすいものを使う)、本殿から拝殿へ集落長2人で出す。拝殿の入口で、台座(平成9年寄進)に載せて御輿状にし、4人の集落長が担いで、公民館まで運ぶ。公民館の駐車場には、「メンドンまつり」の横断幕が、掲げられている。

 公民館が御旅所になり、伊勢講木祠はステージに据えられて、集落役員が賽銭を供えて参拝する。

伊勢講木祠を運び出す伊勢講の神幸公民館での拝礼

(3) 伊勢講の神幸(オドド直り・メンドン回り)

メンドン回り 午後4時ごろ、公民館を出発。防災行政無線のスピーカーから「ただいまより公民館からメンドンが出発します」と放送される。

 神幸行列は、「メンドンまつり」の桃太郎旗(1名)を先頭に、太鼓持ち(2名)、鉦(1名)、御輿(4人)、オドド飯(1名)、お神酒(1名)と続く。メンドンはその前後で、観客を歓待する。

 神幸のコースは、現在は公民館から県道大山開聞線を西に進み、利永保育所前の交差点を北上、市山上集落を時計回りに進む。南下して県道の南側にあたる市山下集落から寺集落、東下集落を回る。県道を再びわたって北上し、東上集落へ向かい、最後に南下して中集落を経て、公民館に戻る。

 道中では各所で、集落民がオドド(御輿)に賽銭を供え、その御輿の下をくぐり、オドド飯と神酒のふるまいを受ける。メンドンは御輿をくぐって参拝者が出てくるところを待ち構え、大根に付けたヘグロを塗って歓待する。今は20名ほどの青年(消防団員など)がメンドンに扮している。

 参拝者が御輿の下をくぐる姿や、メンドンの歓待は、たいへんユニークで賑やかな、この行事の見せ場。子供たちは、仮面をつけたメンドンの姿に恐れをなして泣き叫ぶ。一方で、「ヘグロを塗られると、今年1年無病息災」と伝えられている。

伊勢講への参拝オドドくぐりオドド飯

(4) 直会・月々の祭り

 午後5時ごろ1時間のメンドン回りを終えて、公民館に戻ると、再び公民館のステージに御輿を据えて、直会となる。

 直会の料理は特に決まっていないが、豚汁、おにぎり、漬物など、公民館調理室で女性部の皆さんが手作りした料理が供される。

 神社や伊勢講木祠について、月々の祭祀や花香をとる当番などはないという。集落長が交代するときが、神社役員の交替でもある。

3.利永のメンドン特徴と意義

①利永メンドンの概要

メンドンくぐり この行事は、県内の本土海岸部で広く伝承されている伊勢講習俗の変容の1つといえる。

 これらの伊勢講の構造は、その先1年間の祭祀者(宿・会所・お旅所)を決めて送り出す「宿送り習俗」から、新しい宿までの「宿移り習俗」、新しい宿での「宿迎え習俗」からなっている。

 現在の利永メンドンでは、「宿送り」を利永神社で執り行い、「宿移り」は公民館をお旅所として集落を回るメンドン回り、「宿迎え」は再び公民館に戻っての直会に相当する。

②利永メンドンの特徴

 参拝者が御輿の下をくぐり抜けて飯をもらう「オドドくぐり」と、「メンドンによる歓待」という、2つの特徴がある。

メンドンのオドドくぐり

 まず、オドドくぐりは、御輿を見下ろすことなく、その下をくぐる意味で、またオドド飯をもらうと病気をしないというのも、いずれも参拝者にとって、正月と言う節目に、ハレの体験として、先1年間の無事を願う大切な習俗と言える。

メンドンが持つ大根 下野敏見は、冬季に出現する来訪神として、甑島のトシドン、末吉町(現曽於市)の鬼追い、種子島の蚕舞などともにメンドンをあげ、「ヤマト文化圏南辺の南九州~薩南諸島は、来訪神の夏・冬混合出現地域」と述べている。〔下野1986 43頁〕

 また、メンドン自体については、小野重朗が「このメンドンも伊勢神の化身のように思える」〔小野1992 72頁〕と述べているように、御輿とメンドンという二重の神によって、集落民が無病息災を願っているものと言えよう。

③鹿児島における伊勢講習俗としての位置づけ

利永のメンドン 伊勢神は荒々しいこと・賑やかなことを好むを言われ、この祭りの習俗も、メンドンによる歓待など、その特徴をよく伝えている。メンドンの歓待は、南さつま市大浦町大木場で見られる伊勢講「オンケ」習俗での仮装や、同市笠沙町片浦で見られるケンによる歓待(模造刀で頭を叩かれると無病息災)といった南薩各地の習俗と共通するものがある。→笠沙町の御伊勢講

 また、鹿児島では、伊勢講に疱瘡除けの習俗を伴うものも多い(例えば南さつま市大浦町の伊勢講宿迎えで踊られる疱瘡踊りなど)。利永でも、由来伝承として、伊勢神の力にあやかって、疱瘡の退散を願ったことが語り継がれている。→大浦町の疱瘡踊り

 天然痘が撲滅された現在でも、利永のメンドンは、向こう1年間の健康を願い、地区挙げての行事として大切に、そして賑やかに伝承されている、貴重な習俗と言える。


〔実地調査〕
2016年1月17日・2017年1月15日(いずれも新暦1月第3日曜日)

〔参考文献〕
小野重朗 1992 『鹿児島の民俗暦』、海鳥社
小野重朗 1993 「伊勢神を叩く」『南日本の民俗文化Ⅳ 祭りと芸能』250―257頁、第一書房(初出「同題」『鹿児島民俗』88号、1988)
下野敏見 1986 『ヤマト文化と琉球文化』、PHP研究所

〔初出〕
このページは、『鹿児島県の祭り・行事 - かごしまの祭り・行事調査報告書』(2018年、鹿児島県教育庁文化財課編・鹿児島県教育委員会発行)69~4頁所収の拙文「行事詳細調査報告4 利永のメンドン」を改稿し、ビジュアル版にしたものです。

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