太鼓踊りのバチ - 南九州市いちき串木野市日置市南さつま市枕崎市指宿市鹿児島の民俗 - 薩摩民俗HOME

←[南九州市の太鼓踊り

3 薩摩半島における太鼓踊りの桴の種類と分布

 前節では、藁製の桴を用いる、勝目地区を中心に、南九州市の太鼓踊りを紹介してきた。ここでは、薩摩半島の他の地区でどのような桴を用いているのか見ていきたい。

(1) いちき串木野市の事例

 いちき串木野(くしきの)市には、羽島南方神社太鼓踊り、大里虫追い踊り、川上踊りなどの太鼓踊りが伝承されているが、ここでは2006年に実見した、市来七夕踊り(いちきたなばたおどり)の本踊りを報告する。(写真8)

市来七夕踊り【事例5】市来七夕踊り(本踊り) 現在は、月遅れの七夕である新暦8月7日に近い日曜日に、市来大里地区の開拓者床涛到住(とこなみとうじゅう)の供養塔に奉納された後、地区内を回って踊られる。七夕踊りは、行列芸と太鼓踊りの二部で構成されている。行列芸はツクイモン(作り物)と呼ばれる鹿・虎・牛・鶴の張り子と、奴踊り(やっこおどり)や大名府列など行列物で構成され、賑やかに繰り広げられる。
 「本踊り」となる太鼓踊りは、鉦・入れ鼓・平太鼓からなり、全員が花笠を被る。また全員、矢旗は背負わない。平太鼓はザデコと呼ぶ小型の手持ち太鼓を左手に持ち、右手の桴でたたく。踊りの隊形は、行列芸の作り物・行列物が見守る中で、一つの円陣を作る。踊り子の振りは落ち着いている。古風で荘厳な雰囲気があり、賑やかな行列芸と対照的。歌詞に士踊りのものがあり、小さな太鼓を手に水平に持つ点とともに、加世田士踊りの稚児踊りと似ている。
市来七夕踊りの本踊り 本踊りの太鼓の桴「ベ」は、太鼓の小ささに応じて、20cmほどと小さく、木製すりこ木状のもの。
 下野敏見は、「御霊信仰と虫追いの原理によってこの壮大な芸能が成立している」としている〔下野1980 110頁〕。
 賑やかな行列芸に虫送り(虫追い)習俗の要素が見て取れ、一方本踊りのその厳かな楽曲・歌詞からは、そこに古い念仏踊り系の要素も含まれていることがわかる。

(2) 日置市の事例

 日置市(ひおき)にも多くの太鼓踊りが伝承されている。徳重大バラ太鼓踊りや、伊作太鼓踊り(いざく たいこおどり)など、勇壮な踊りが多い。以下、実見したものを中心に紹介しよう。太鼓踊りの桴は、細長いドラムスティック状のものを用いる場合が多いようだ(写真9〜14)。

徳重大バラ太鼓踊りのバチ【事例6】伊集院町徳重大バラ太鼓踊り もとは新暦7月23日に、地元の日吉神社と徳重神社(伊集院町徳重・いじゅういんちょう とくしげ)に奉納していたといわれる(注2)。2011年の踊り子の構成は、カネ10人(鉦。青壮年)・イレコ4人(入れ鼓。子供)・ウバラデコ10人(大太鼓。青壮年)となつていた。
 イレコは朱色の振袖姿に花笠を被る。首から胸の下に垂直に小太鼓を吊り下げ、両手に持った桴で打つ。小太鼓にも朱色の美しい布が垂らされている。カネは白衣に陣羽織、陣笠を被る。左手に鉦を持ち、右手の撞木で打つ。大太鼓は白衣に鉢巻姿。バラ(農具の丸口箕)を貼りあわせた巨大な太鼓を肩から腹の前に吊るす。実測したものは、直径217×厚さ27cm。重さは保存会の方によれば30キログラムにもなるという。大太鼓のうち一人だけは、数mにも及ぶ幟旗を背負う。
伊集院町徳重大バラ太鼓踊り 隊形はカネ・イレコの周りを大太鼓が取り囲む二重の円陣が基本に踊る。途中、マクリ(回転という意味の鹿児島方言)と呼ばれる踊り見せ場では、カネ・イレコと大太鼓とが逆回転をしながら、曲調が速くなるにつれて円陣を狭め、最後は勢い余って倒れこむ。
 この大太鼓の桴は、保存会の方に伺うとユスノキで作られており、実測したものは長さ70cm、細長いドラムスティック状のもの。
 鉦の音から念仏踊りの要素も見て取れる。しかしそれ以上に、巨大な太鼓を長い桴でドーンドーンと打つ響きに、祭神島津義弘の御霊を慰め、稲害虫を送るという要素のほうが、より強く感じられる芸能に思えた。

大田太鼓踊り【事例7】大田太鼓踊り 現在は10月第4日曜日の妙円寺詣りの日に、神明神社(伊集院町大田)と徳重神社に奉納される。かつては、旧暦6月12日に神明神社に奉納されていたが、のちに月遅れの七夕に踊られ、現在の妙円寺詣りの日になった。
 踊り子は、入れ太鼓打ち(2人)、鉦打ち(8人)、太鼓打ち(15人)で構成される。入れ太鼓は、浴衣姿に花笠姿。打ち方は事例6と同じ。鉦打ちは白衣に陣羽織、陣笠姿。左手にやや大きめの鉦を持ち、右手の撞木で打つ。太鼓打ちは、白衣に紙製の模造兜を被る。太鼓を肩から腹の前に吊り、腰には2mほどの長い木製の刀を指している。背中には約4mの矢旗を背負う。
 この踊りは、城攻めの様子を踊りにしたと言われ、「道行き」から「総舞攻め」まで15場からなり、隊形もそれに伴って変化する。
 大太鼓の桴はウンベ(ムベ)製で、長さは約40cm。勇壮な踊りで、太鼓の音が力強く響く。

伊作駄踊り【事例8】伊作田踊り 元伊作田(もといざくだ―東市来町伊作田)の伊作田兵部道材の墓前で踊った後、伊作田各集落から江口浜へ回って踊られる。もとは、伊作田殿の命日とされる旧暦7月1日に、のちに月遅れの新暦8月1日に、現在は3年に一度、新暦8月の盆前後に踊られる。
 踊り子(ヤッシャ。役者)は多人数で、隊形も複雑に思えるが、小野重朗が整理したところによると、@踊り子(ヒラガネ・イレキガネ・イレコ)、A中入り・ナギナタ、Bウダイコの、三重構造になっているという〔小野1993 158〜160頁〕。先頭に庄屋ドンという指揮者がついている。衣装も役によりそれぞれで、紙面の都合上、大太鼓のみ紹介すると、白装束に菅笠姿、背中に短い矢旗を背負う。太鼓は肩から腹の前に吊るす。
 歌詞にサバエ(サバエは稲の害虫)、サネモイ(実盛)などがある〔小野1993 162〜163頁〕。落ち着いた楽曲が多いが、一方、踊り子は跳躍を繰り返す。
 小野重朗は、踊り子の内輪が伊作田殿の御霊を慰める念仏踊り系の静かな踊りで、大太鼓の外輪は虫送りのための跳躍的な激しい踊りであるという二重性を指摘している。〔小野1993 166頁〕
 大太鼓は藁製の太い桴(長さ50cmほど)で、大きな動きをしながら太鼓を打つ。

吉利太鼓踊り【事例9】吉利太鼓踊り 新暦8月23日に、日吉町吉利(ひよしちょう よしとし)の南方神社に奉納されたあと、各集落を回る。もともとは、吉利北区・中区・南区がそれぞれ奉納していたが、現在は順番に毎年一つずつ奉納している。踊り子は鉦2人、小太鼓(コデコ)2人と、20名ほどの大太鼓(ウデコ)で構成される。隊形は鉦・小太鼓が内側に、大太鼓が外側になる二重の円陣を組んで踊る。
 北区の鉦は紺の着物に花笠被り。小太鼓は緑・青の着物に花笠を被る。鉦・小太鼓の持ち方、打ち方は、事例6・7と同じ。大太鼓は、白衣に鉢巻姿。背中に高さ4mほどの矢旗を背負う。太鼓は肩から腹の前に垂直に吊るす。
 大太鼓の桴は、ムベ製の細長いもので、実測した吉利北区のものは、長さ42cm。手元に布製の輪を作ってある。太鼓は48cm。『日吉町郷土誌』によれば、桴を落とさないように、この輪を小指に掛けて叩くという〔郷土誌471頁〕。踊りは長い矢旗をゆらし、全体に勇壮なものとなつている。
 なお、郷土誌によれば、日置八幡神社でも8月27日に太鼓踊りがあり、組織・服装・踊り方は「吉利の太鼓踊りと大体同じ」としている〔郷土誌474頁〕。

伊作太鼓踊り(中里)【事例10】伊作太鼓踊り 新暦8月28日に、吹上町湯之浦(ふきあげちょう ゆのうら)の南方神社に奉納したあと、伊作地区の各集落を回る。踊り子は、中踊り(鉦2人・小太鼓2人)、平踊り(大太鼓。2004年に拝見した時は24人)と歌い手(5人)からなる。中踊りが内円に、平踊りが外円に、二重の円陣を組み、歌い手は二つの円陣の間で歌う。
 実見した中里の中踊りは、鉦が紺、小太鼓は紅色の振袖に、花笠を被っていた。鉦・小太鼓の持ち方は、吉利と同じ。平太鼓は、白衣に鉢巻姿。背中に高さ4mにもなる唐団扇(とううちわ)を背負い、腰から尻にカズラを垂らす。太鼓は肩から腹の前に垂直に吊るしている。歌い手はそろいの法被姿。
 大太鼓の桴はムベ製で、長さは約40cm。手元には布を巻いている。太鼓の音が大きく響き、矢旗を左右に大きくゆすりながら踊る、息の合った勇壮な踊りとなつている。

南さつま市の太鼓踊り]→

[薩摩民俗HOME]  [サイトマップ]  [太鼓踊りINDEX]


(C) 2015 薩摩半島民俗文化博物館 - 鹿児島・半島文化 - 半島文化へのお便り