半島文化2004年あとがき鹿児島民俗ガイド < 南さつま半島文化HOME

半島文化畢竟漫録

2004年

〔2004.5.10〕

<新しい市町村の地名を考える> 先月,市民の知らぬところで,新しい街の名が決まってしまった。住民は,新聞・テレビでその名を聞き及ぶ。繰り返される「地名創作」。伝統文化の悲劇。なぜ旧来の地名が使えないのだろうか。

私はヨソモノである。Iターン組にとって,自分の住む地域の文化をこよなく愛しているつもりだ。「南さつま」の地で,学生時代に知っていた名前は「坊津(ぼうのつ)」だけ。教科書に出てくるのもこれぐらいだろう。民俗を学ぶようになって「笠沙(かささ)」という地名を知った。日本書紀に出てくる地名だ。さらに郡の名前でもある「川辺(かわなべ)」,藩政時代の包括地域名(郷)である「加世田(かせだ)」。いずれも新市名称の選定では,最初から使うことが避けられた。「南さつま」とはどこから見て南なのか。大陸から見れば東ではないか…。列島の中では西の端だ。小さいちいさい。本当にこれでいいのだろうか。

日本中で,市町村合併による,歴史的背景を持った市町村名が消滅しようとしている。研究家としてこれほど淋しいことはない。なぜ伝統地名を使えないのか。なぜわずか30人で,5万人の都市の名称を決めてしまうのか。未来を担う子供たちや若い世代の意見を取り込むこともできたのではないか。最も関心のある事柄だからこそ,許せない思いでしかたがない。市町村間の政治的なエゴは捨てて,一方で妥協ではない本当に住民のための新しい街づくりを進めていかなければならないのではないか。

この文章は,全く個人的な意見だが,私が常に思っている感情である。私たちも街づくりに参加しよう。

【関連】日本地名研究所:地名研究における当面の課題
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