半島文化2001年あとがき鹿児島民俗ガイド < 南さつま半島文化HOME

半島文化畢竟漫録

2001年

〔2001.9.1〕

創刊1周年>半島文化オンラインの開設からようやく1年がたちました。当初は内容の充実を目的にページ数を増やすことばかりを模索していました。それから,アクセシビリティーを心がけ,「快適に開けるサイト」「ハンディーキャップをもった方にも見ていただけるページづくり」を続けてきました。そして今は,内容を一歩進めた「バーチャルミュージアム 薩摩半島民俗文化博物館」の開設を考えているところです。

私の専門は日本民俗学ですが,仕事がら,地域社会に根ざしたローカルフォークロアルネッサンスを目指していきたいと思います。さらに現在最も興味を持っていることは,地域広域化を行政から一方的に線引きされるのではなく,”文化領域による合併論”が提言できないかということです。県庁の合併情報などを見ると,統計処理や行政意向によるモデルは示されているものの,本当の地域に根ざした,あるいは歴史的・文化的背景に根ざした試案にはなっていないものも多いのではないかと思われます。そうしたことは,やはり地元にいる私たちが考えていかなければならないのではないでしょうか。もう少し考えがまとまりましたら,このサイトでも提言していきたいと思います。

いずれにしても,繰り返しこのサイトを覗いてくださる方や,感想を寄せていただいた皆さんの励ましで,ぼつぼつと「半島文化」はここまで成長してきました。今後ともどうぞ半島文化オンラインをよろしくお願いします。 (半島文化Vol.13おわり)

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〔2001.8.1〕

<地方書店事情>鹿児島市内の老舗書店がまた一つ消えた。県外大型店の進出や駐車場を備えた郊外店の影響だとか。ただ繁華街”天文館”のど真ん中の立ち寄り本屋さんが,そんなことで本当になくなるのか不思議でしょうがない。

 さて,加世田の書店はどうか。数年前全国チェーンのレンタルCDビデオコーナーをもった大きな店が来た。高校生などには,都会の文化にいち早く触れることのできる一大スポットになっている。
 一方地元の本屋さんは,スーパーの書店コーナーを含めて6軒くらいがある。中身はというと,どうも例の大型店と同じ志向で,売れるものしかおいていない。専門書はもちろん文芸書もきわめて適当で,コミック・雑誌にテレビタレントの本などが中心。
1軒だけ例外なのは,文芸書がある程度アイウエオ順に並べられていて,新刊本は無理でも,半年たてばベストセラーだった本が回ってくる。ちなみにチーズうんぬんという本は今並んでいる。

 こうした地方のなかの地方書店の見分け方として,私は次の方法をとっている。
 @角川書店の「類語国語辞典」がおいてあるかどうか。
 A郷土書がおいてあるかどうか。
 B地図は今年刊行のものがおいてあるかどうか。
 C新刊本は半年後でもいいから回ってくるかどうか。
である。半年遅れて回ってくるのであんがい掘り出し物に出会ったりする。アホバカ分布考というのを文庫が出た後,ハードカバーを新刊コーナーで手に取ったことがあった。それともう一つ。郷土書は置いてあっても加世田の本がないのはさびしい。刊行本が何も出ていないのだからしょうがないが。教育委員会でしか手にできない本ではなく,観光客の記念となるような400円くらいのガイドブックでもほしいものだ。

 さて,いずれにしても,田舎の小さな本屋さんだから,ぜひとも個性を持ってもらわねばならない。以前妹尾河童の本にそうした稚内の本屋さんのドキュメントが出ていた。専門書もちゃんとおいてあるという本屋さんだ。やはり田舎ではクロネコで取り寄せるかインターネットで買うしかないのかなあ。 (半島文化Vol.12おわり)

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〔2001.7.1〕

<加世田の当房集落>お便りフォームから万世の「当房」集落についてのご質問を受けました。この集落は,海の近く,万世学区の小松原地区にある街です。このあたりは,江戸時代前半まで川港になっていたところで,古くから海を通しての海外交流があった場所だと伝えられています。ちなみに小松原は小泉ソーリのふるさとです。
その小松原地区のうち商家・農家が「小松原」という集落を形成し,旧士族階級が「当房」集落を作っています。ですから,地縁というよりも血縁?によって町内会ができているといえます。
小松原・当房のある万世学区はイナカにしてはちょっとしたマチです。
この当房集落のルーツについては中国大陸の「唐」の「坊」だという説が有力です。中国人の居留地のことです。近くには「唐仁原」という地名もあります。

万世地区には大陸との交流を示す伝説地や遺跡もいくつか見つかっていて,最近では万之瀬川河口の持躰松遺跡(モッタイマツ遺跡)とういのが鹿児島では話題になっています。
この遺跡は万之瀬川を挟んで加世田と向かい合う金峰町宮崎にあり,ここからは11〜15世紀の中国製陶器が多数出土しています。坊津と同じように,この万之瀬川下流域も活発に大陸と交流していたのではないかという解釈も出てきました。
私がご案内した東北大学の柳原敏昭先生が次のページで概説されています→「万之瀬川から見える日本・東アジア」(金峰町のHP) リンク切れ

海の道は加世田からも大陸へ続いていたのです。 (半島文化Vol.11おわり)

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〔2001.5.1〕

<録音稿の起こし方>年に何本か講演会のテープ起こしを頼まれる。スピードはだいたい10分の話を1時間かけて起こしている。今月も150分というのをやっているが,自分が考え込まなければ,土日2日間ぐらいで終わる。ただ,私も研究家の端くれ。穴だらけの録音稿では申し訳ない。民俗辞典を引きなおし,書籍で正しい用語や人名を洗い出す。さらに地図で地名を調べ,校正辞書で中学生でもわかるように文字表現に整える。

 テープ起こしは恩師から頼まれるものが多いのだが,その先生の注文は,行間のニュアンスまでよみがえるように,「ええ」とか「まあ」まで,一言一句起こしてほしいというものだ。眠くなるとすっとばしてしまうのだが,そこまでやると案外好評である。このとき困るのが,レジュメや資料がないテープ。とりあえず一度聞いて小見出しを付け,もう一度清書する形をとる。これはずいぶんと時間のかかる作業となる。恩師はこれを取捨選択して,真っ赤な校正原稿を送り直してくる。これをもう一度打ちなおすと出版原稿になる。その後の校正は,出版社や学会が,先生と直接やり取りする。

 最近その先生の文章が出ている学会誌を読んでいて,どこかで見たなというものにときどき出会う。最後まで見ると,私が手伝ったことを書いていてくれる。直接参加していない講演会の中身を活字になる前に聞くことができ,いつもありがたい思いをもってテープ起こしをしている。本当にやれやれである)^o^(。 (半島文化Vol.9おわり)

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〔2001.3.1〕

<献血の献の字>

―掲載終了―

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〔2001.2.1〕

<地域を学ぶ調査者と地域を語り継ぐ伝承者>民俗調査をはじめて十数年が経った。今,こうしてWeb上に拙著を再掲載していくうち,私たちが伝承者と呼んでいる方にとって,私の調査や報告はどういう意味があるのだろうかと,疑問に思うようになった。

 NEWSでも触れたように,昨年お伊勢講について地元発表を行い,「なぜ自分の集落のことが紹介されないのか。自分たちも一生懸命伝統行事を伝承している」という趣旨の発言を受けた。調査内容についての誤りを指摘してくださる方は多いのだが,この発言には,”地域で学ぶ”調査者としての姿勢が問われる思いをした。
 私がこの発表で伝えたかったことは,私が調査を通して知り得たことについて,知り得た範囲で,背伸びすることなく,情報を紹介したい―ということだった。年中行事は隣集落でも同じ日に行われる。しかし,同じように思える行事も,よく見るとそれぞれが決して同じ姿ではなく,さまざまな違いがあり,多様な変容を遂げている。そのことを伝えたかった。

 しかし,”地域を語り継ぐ”伝承者にとっては,地域を知らない知ったかぶりのヨソモノガクシャの発表に聞こえたのかもしれない。「隣のことは知らないでしょう。私が教えてあげますよ」と。
 これまでの私なら,「来年はぜひ見させてもらいます」と開き直ることもできた。しかし今は”地域で”民俗を勉強する身だ。そんな言い分けは通用しない。

 比較・研究はこれからぼつぼつ考えていけばよい。もちろんデスクでの勉強は続けていくが,野外調査については,力がつくまでは論評をできるだけ控え,レポートに徹していこうと思う。これが今の私にできることだ。 (半島文化Vol.6おわり)

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〔2001.1.1〕

<新世紀の郷土史づくり> 鹿児島県史が昭和10年の初版以来改版されることなく,いまだに神話時代からの記述を続けていることは良く知られている。一方市町村史の編纂は,合併ブームが落ち着いた昭和40年代から整理されているが,そろそろ書き換えの時期をむかえていると思われるものも多い。最近注目されるのは屋久町の郷土史。これは通史ではなく,校区及び集落の地誌に視点を置き,住民が中心になって編纂が続けられている。B4版で5巻ほどになると聞いたことがある。かなりのボリュームだ。何よりも地元のことを一番良く知っている集落民が書くところがすばらしい。住民全員の名前が記されるような感じである。

 郷土史・市町村史というものは誰のために作るのか。行政の自己満足か。郷土史家のためだけでもなく,よそものに町を知ってもらうためだけのものでもないはずだ。(それも大切だが)。せっかく作るなら住民がほこりに思えるようなものを作るべき。地誌を中心にした屋久町の試みは一つの御手本になると思う。これに1巻くらい町外の研究者が記した概論や新視点,交流史が入れば完璧。  もう一つは,郷土史を住民にはタダで配布するくらいの心意気が行政にあればいいのになあと思う。せめて1巻が3000円まで。5,000円では先ほど言った研究者や郷土史家だけのものとなり,住民の共有財産には決してならない。 (半島文化Vol.5おわり)

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