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森田 良平

S51年 鹿児島県名瀬市(現奄美市)生まれ

H07年 鹿児島県立大島高等学校卒

H11年 日本大学法学部経営法学科卒

H15年 宮之城高等技術専門校室内造形科卒   詳細はこちら

現在、(有)森田建具 勤務

             受賞歴

H15年 平成14年度全国総合技能展 家具部門 厚生労働大臣賞 入選

H20年 第五回 全国「木のクラフトコンペ」入選

H22年 第44回 全国建具展示会秋田大会

              全国建具組合連合会会長賞 受賞

H23年 第45回 全国建具展示会岐阜大会

              中央職業能力開発協会会長賞 受賞

 

 

組子との出会い


  組子職人としてのキャリアをスタートさせるきっかけとなったのが専門学校時代に出会った有村義光先生。

修行時代を京都で過ごし、建具の全国展で受賞歴のある腕のいい先生でした。

「教科書どおりじゃ飯は食えん!!」「生きた技術を学ばんと意味はないぞ!!」

在学時に、2年間みっちり家具や建具の作り方や現場の生きた技術を学び、校の代表として出品した

全国技能展では厚生労働大臣賞を頂きました。卒業が迫ったある日、先生が言いました。

「お前に組子を教えてやる!やりたいか?」「・・・はい!」それが組子との出会いでした。

その細かさと精密さから一目見て「これは自分にはできそうにないな」と思いました。

卒業後に大切な時間を割いてわざわざ奄美大島まで来てくれて、2週間泊り込みで組子の基本である

‘菱に麻の葉’の作り方を実際に作品をつくりながら丁寧に教えてくれました。

仕事の後は毎晩一緒にお酒を飲んで仕事の話や修行時代の話を聞かせてくれました。

「お前は奄美一ではなく、鹿児島一でもなく、日本一を目指してがんばれ!!」

専門学校を卒業したばかりで組子の作り方さえ知らない自分に言ってくれた言葉でした。

先生が帰ってから、仕事が終わった後のわずかな時間を利用して何とか麻の葉を作れるようになりました。

しかし、住宅の洋風化であまり和風建具の需要もなくなり組子を製作することもありませんでした。

ただひたすらフラッシュ仕様の建具と棚を作る仕事ばかりして、組子の技術は麻の葉で止まったままでした。


一本の電話

 H18年12月、先生から一本の電話が入りました。「余命半年といわれたよ、肺がん。形見分けするから取りにこいな」

この後、頭が真っ白になり何を話したか覚えていません。しかし、強い使命感が生まれました。 

「先生に教えてもらった組子という技術を次の世代に伝えていかなければならない!!」

先生から形見分けで頂いた材料を使って、先生に今自分の持てる全ての技術を使って作ったものを見てもらおうと、

組子入りの障子の製作を始めました。残念ながら時間が間に合わず先生に見てもらうことは叶わぬものとなりました。

亡き師の遺志を継ぐ

 H19年8月19日、先生は54歳という若さでこの世を去りました。僕はお葬式に行って遺骨を少し分けてもらいました。

「俺が死んだら奄美の海に骨をまいてくれな」という言葉通り奄美の海に散骨しました。

先生が余命半年といわれて初めて真剣に向き合えた組子そして初めて気付いた先生からの想い。

「なるべくたくさんの人に組子を見て、知ってもらえるように日々精進し次の世代に伝えていけるように頑張ります!!」

 

 

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