麻の葉を持つの田の神 - 田の神・社会組織浦浜の田の神鹿児島の民俗 - 薩摩民俗HOME

麻の葉を持つ田の神石像 - 浦浜集落金峰町京田のタノカンサァ -

南さつま市金峰町地図井上賢一著「麻の葉を持つ田の神石像 - 浦浜集落金峰町京田のタノカンサァ -」(『鹿児島民具』第33号、2022年、鹿児島民具学会、34-42頁所収)

1 はじめに

 田の神は全国的にみられる観念であるが、石像として常設されているのは、南九州独特である。仏像型→僧型→旅僧型の系統と、神像型→神職型→神舞神職型田の神舞神職型という、2つの発展系統があるとされる(注1)。〔小野1981 187-204頁〕

 南さつま市金峰町では、大野下馬場(したばば)の1715年のタノカンサァが最も古く、僧型でメシゲと鍬とを持つものが多い。阿多地区では庚申供養との習合が、銘文から分かる(注2)。

2 麻の葉を持つ田の神石像

 金峰町大野京田(きょうでん)の田の神は、シキ(甑の底に敷く藁性の簀の子)を被って法衣を付けた典型的な僧型の田の神石像である。しかし、麻の葉を両手で持つ姿は、京田独特である。

 この田の神については、小野重朗の既存報告があるが〔前掲書232-239頁〕、すでに調査から半世紀近くを経ている。以下では、田の神石像の現況、祭祀伝承の変容を確認し、麻を持つ田の神石像の背景を探っていきたい。

京田の田の神石像@A(1) 「京田の田の神石像」概況

所在地の状況

ア 地番 南さつま市金峰町大野707番地5
イ 地目 田(南西端の一角、2.7メートル四方にコンクリート敷の区画を設けて祀っている)

種別員数等 石像2体

当該物件の所有者 京田浜高組合

当該物件のある土地管理者 登記名義人N.Y氏(相続人3名)

(2) 京田田の神石像実測・特徴

@田の神石像1(2体のうち西側。石柱台座に立つ)

石像 高さ78×幅35×奥行27センチメートル
 材質 溶結凝灰岩
 特徴 頭にシキを被った僧型石像。麻の葉を両手で持つ(彫りはAより稚拙)。

享保16年銘文(石像@台座)台座 高さ28×幅53×奥行50センチメートル
 材質 溶結凝灰岩
 銘文 正面「享保十六辛亥年九月吉日
         奉造立田神一躰
         為五穀成就
         講衆中京田村 敬白」
     左面「主取 市兵衛
         右同 嶋左衛」

麻の葉を持つ田の神(石像A)A田の神石像2(2体のうち東側)

石像 高さ83×幅34×奥行27センチメートル
 材質溶結凝灰岩
 特徴頭にシキを被った僧型石像。麻の葉を両手で持つ。頭部に欠損。

※台座は高さ8.3センチメートルのコンクリート。

(3) 京田田の神石像由来伝承

制作年代 石像自体には@Aとも刻銘なし。@の台座に享保16年(1731)9月の刻銘。Aの石像は@に比べ欠損が多く、@は彫りが稚拙であるため、元々はAが台座上にあり、@はのちに作り直されたものとも考えられる。

造立者 講衆中京田村(講は麻講と思われる)

由来伝承 京田浜高組合のK.T.氏によれば――タノカンサァと呼んでいる。由来は、はっきりしない。タカの田んぼ(通称「サコダ」)を見守ってもらい、豊作をもたらしてもらうものという。タノカンサァの場所は、自分が知っている範囲では、移転はしていない。「廃仏毀釈のときに、埋めて隠した」という話は知らない。

(4) 京田田の神の祭り

 浜高組合T氏からの聞き書きである。

名称 田の神の祭りはアサコウ(アサ講)の中に含まれる。田の神の祭りだけの名称はない。田の神講などとはいわない。

期日 アサコウは、1月17日ごろの日曜日(令和3年は1月16日土曜日に実施)

場所 アサコウは、公民館を出発し、若宮様、アサドン、田の神2体、シッチンドンを回る。夕方から公民館で直会。

講員 タカ(ハマダカ)の人 25世帯。

祭祀役 家主(エッシュ)を中心に、家当(エット)が補佐する。

方法 しめ縄を取り換え、米、塩、米の粉の団子、お神酒を供える。祝詞はない。月々の祭りはない。通りがかった人がお参りする程度。他の3か所も同様に祀る。

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