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[聞き書き(2)]上甑島小島(おしま)集落 T.Yさん S6生まれ・70歳・男性 2001.9.7調査

写真●甑島の漁船模型(上甑村郷土資料館)●村落伝承から

○小島の起源
 桑之浦の「住吉」というところから移住してきたと言われている。いつごろ移ってきたかは分からないが,今は荒地の住吉には土器も出て,昔から人がいたことが分かっている。小島の言葉は桑之浦の言葉に似ている。隣の瀬上よりも似ている。

○出作
 昔は1軒に1艘は船を持っていて,それで無人島にある畑に通っていた。中が浦というところ。

○地引網
 丘の木の上に見張りを置く。魚(カマス)が来ると旗を振り,その合図で,2艘の6丁艪の船がカマスを囲み,網を丘に持っていく。集落上げての地引網で,家族ぐるみで参加する。網にカカッタだけ(さわっただけ)でもらえた。それを「シャー」という。カマスのほかにタイなども入った。


●交流伝承から

○和船
前からサンノマ・ズーノマ・ツツノマ・トモノマという。

○船こぎ競争
 昔は,沖縄や長崎にあるのと同じような船こぎ競争を6集落でやっていた。

○ツウマイコウ
 住吉神社のお祭りでにツウマイコウという役目があり,祭りの準備をする。「つもり講」ではないかと言われている。1ヶ月前から,各家から米をもらってまわり,準備をすすめる。今は,前日から10人の男女で幟ばたの椎木を立てて準備し,家の掃除をする。
  当日会食の片づけが終わり,午後3時からツウマイコウの後祝いをする。鶏をつぶしてご馳走を食べる。
 今は12万円の経費が1回の祭りでかかる。ツウマイコウは100世帯の当番制。入院したり病気の人は飛ばすので7,8年に一回はまわってくる。昔はオヤという頭がいた。金が足りないと,個人で手出しもある。


●交通・物流伝承から

○イサバ・鮮魚船
 イサバという船は知らない。帆をつけた運搬船というのもしらない。運搬船は牛深から買い付け船(鮮魚船)が来ていたのを覚えている。戦前は朝鮮の船が寄港して,イワシと野菜を交換したりしていたこともあった。

○薬売り
 富山から「イレツケグスリ」を大きなかごを背負って持って来ていた。「富山は冬は寒いので,こうして回っている」といっていた。民家に1週間くらい泊まって,小島・瀬上の家々を回っていた。父やY.Kさんのところなどに泊まっていた。後には民宿になった。それから今は役場のある中甑の旅館に泊まって車で回っている。今は鹿児島に住んでいるという。

○物売り
 県内から竹竿売り,こうもり傘の修繕,下駄の修繕,鍋の鋳掛などが来る。

○物貰い(六部)
 「ドクビドン」という。傘をかぶった修行僧姿で来て,門口でお米を入れてもらう。

○浪曲師
 戦前,個人の家で,人を集めて浪曲をしていた。分限者が呼んでいたのではないか。1ヶ月に1回だったか,頻繁に来ていた。手品もしていた。本当の浪曲師ではないかもしれない。

○映画
 戦前,神社の境内で映画をしていたこともある。お金を取ってやっていた。

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