京升の源流を古代に求めて4糎寸に会う。    青柳 俊二
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はじめに

京都の町割(京程)は、40丈、120m ですが、1町は60歩とすると、30丈、120m。 1歩は2mになります。

早い話が、養老律令、雑令「凡度地、5尺為歩。300歩為里。」は、1尺が40cm、1歩が2mということです。

ところが、条里地割において、1町は、36丈、およそ109mです。60歩として、1尺が30cm余り、1歩が1.82mです。

ということは、大地をはかる単位には2つの系列があり、互に助け合っていたのです。

この伝でゆくと、奈良・平安時代の米升の寸法にしても、 単位はひとつ とは限らない。 その1寸を 4cm と読むことも可能です。

これまで古代の米1升は 720 cc 今の4合とされていたのは、容積が28立方寸という米升の1寸を 2.97糎 と読んでいたからです。

容積が28.125立方寸として 1寸を 4cm と読むと、古代の米1升 は 1800 cc になります(今と変わらない)。

貯める米 1升 食べる米 1升 運ぶ米 1升
立方寸 28.125 22.5 11.25
体積 1800cc 1440cc 720cc
重さ 2斤半(1500g) 2斤(1200g) 1斤(600g)
重さ(文目) 400匁 320匁 160匁

但し、今と変わらない1升は「貯める米 1升」です。「古代の米1升は今の4合」説は、「食べる米 1升」に合せて、「今の8合」と訂正されます。

なお、「貯める米 1升」の重さを切りよく400匁(銅銭400文)とするのは尺貫法です。それで和銅の鋳銭開始のことが思い出されます。

しかし、やや長大な40糎(センチ)尺が、小さな米粒の計量に、なぜ採用されたのか。この疑問に答えるのが「歩の内得米1升」という言葉です。

ところで、.

升の1寸が4糎(センチ)だと、計算がしやすい。メートルものさしで計測できる。市販の4糎角材で木型が作れる等のメリットがありますが、

最大のメリットは、4×4×4 = 64cc。 升の容積を 28.125立方寸と したときに 、今の 1升 1800 cc に、全く一致することです。

  一升ますに 3方4糎寸体 28個1/8 を ますを破壊しても詰め込む。

京升の源流を、古代に、「40糎」、「2米」というメートル法に、求める。

知られざる 4糎寸 の活動を明らかにして、それが歴史上に久しく存在していたことを実証したい。
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古代の「28寸 8分の1寸 升」

京枡(きょうます)とは、日本中世末期から昭和戦後期にかけて公定のとして採用されていた枡の様式である。

内法(うちのり)は縦横ともに曲尺4寸9分四方、深さ2寸7分、すなわち容積64827立方分をもって1とした。(wikipedia)

縦 4.9寸(14.84cm) 横 4.9寸(14.84cm) 高 2.7寸(8.18cm) 容積 64.827寸^3(1803.9cc)

その1升は 1803.9cc となりますが、1.8リットル と いわれて、今でも酒瓶のサイズなどに使用されています。

京枡は、近世、江戸時代において基本的な米枡でした。一方、古代、奈良時代の基本的な米枡はというと、

宝亀七年畿内并七道検税使算計法が「糒并新委穀者以二千八百寸為斛法」という、1升にすれば「≧28寸」になる米枡が、

それであると思われます。それで、それなる「にはちます」の内法・深さはどうでしょう。京升のプロポーションに似せて、寸法を付けました。

縦 3.75寸(  cm) :15 横 3.75寸(  cm) :15 高 2寸(  cm) :8 容積 28.125寸^3(    cc)

「にはちます」の容積を、奈良時代風に、分数をまじえていうと「28寸^3 と 8分の1寸^3 の升」です。

寸法は付けましたが、「寸」の長さはいくらか? しばらくクイズにしておきたいので、( 空白 cm)にしています。
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京升を30センチものさしで測ってみました。

目盛りに近寄せて 縦15cm、横15cm、高さ8cm というふうに測りました。15×15×8=容積 1800cc どうですか。
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4糎(センチ)すすめ

通説は、この「28寸」升に天平尺の寸(2..95cm)を当てて、奈良時代の米1升は720cc、今の4合に相当すると言っていますが、どうでしょう。

仮にです。この升において、1寸=4cmであれば、28.125×4・4・4=1800cc すなわち、奈良時代の米1升は1.8リットル。

京枡の起源は奈良時代に遡ることになります。私は、このサプライズを秘かに狙っているところなので、通説とは距離をとりたい。

ある日、私は、手持ちの1升ますを取り出し、30cm竹ものさしを当ててみました。この実験の目的は「にはちます」を具現することにあります。

縦 3.75寸(15cm) 横 3.75寸(15cm) 高 2寸(  cm) 容積 28.125寸^3(1800cc)

手持ちの京升を大雑把に測った結果といいながら、「にはちます」の1寸は 4cm を指しています。しからば、この1尺は 40p になります。

1尺 40p は、大宝令の雑令が、「凡度地、5尺為歩。300歩為里。」という、 1歩(5尺) 2m。1里 600m に繋がっています。

(雑令の1尺は 40cm。1歩は 2m。「300為里」は 600m であったことは、天平五年出雲國風土記をご覧になればわかります。)

私は、身の丈4糎(センチ)の「一寸法師」に会って、「この1寸 4cm には、しっかりした根拠がある」と言いたいのです。

 1800ccを「28.125立方寸」と数える。

米1升

 1803ccを「64.827立方寸 と数える。

京升に姿かたちがよく似た「にはちます」。それは、愚かな私の思いつきですが、もはや私ひとりの所有物ではないので、取り下げることはせず、

これが歴史上に存在した事実を明らかにして、皆様にしかとお伝えしたい。
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「延久ノ宣旨枡」のこと

後三条天皇にかかる「延久の宣旨枡」のエピソードをご存知でしょうか。愚管抄によれば、

コノ後三條院位ノ御時。延久ノ宣旨斗ト云物沙汰アリテ。今マデソレヲ本ニシテ用ヒラルル斗マデ御沙汰アリテ。

斗サシテマイリタレバ。清涼殿ノ庭ニテスナゴヲ入テタメサレケル

役人が米枡を製作して清涼殿に持参すると、天皇は、ただちに御庭に降りて、(その枡に)砂を入れて御試しになられたという。

ナンドヲバ。コハイミジキ事カナトメデアフグ人モ有リケリ。

天皇が親身にマスの検証をおこなわれたのを見て、「これは実に素晴らしいお仕事をなされた。」と、礼賛する人もいたけれども、

又カカルマサナキコトハ。イカニ目ノクルルヤウニコソミレナド云人モアリケリ。

コレハ内裏ノ御コトハ幽玄ニテヤサヤサトノミ思ヒナラヘル人ノ云ナルベシ

「そういう"はしたない"ことを帝がなさるのが見苦しくて、目が眩むようだった。」と悪く言う人もいた。

これは、「内裏で行なわれる事は、何でも奥ゆかしく優雅でなければいけない。」と常々思っている人が言うことに違いない。
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後三条帝が庭に降り砂を入れて升を試された「宣旨枡」のエピソードは、今は無き私のホームページで取り上げたことがありました。

次の節に述べる「歩の内得米1升」とは何かというのがテーマでしたが、米升に砂を入れた帝の行為の奇異さに目を奪われるのみで、

肝心の「歩の内得米1升」の意味がよくわからないまま、延久の米升試験の内容に迫ることなく終りました。
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「歩の内得米1升」とは何か。

〔要件〕 歩(坪)の縦横を測りとる単位と、升の縦横高さを測り作る単位は、まったく同じであること

歩の内得米1升」を成立させる要件として、いま私は、上のことを挙げて、延久の米升試験の本質的な内容にも迫ります。

真四角なマスに平面上の砂を入れる「ままごと」を以って、帝は、歩の内得米1升」という、マクロ世界とミクロ世界を取り結ぶ行為を

儀礼的に実行なされたのでした。

(それにしても、畔に囲われた熟田 と 板に囲われたマス空間 は、河馬 と 蛙の目鼻つきが似ているように、相似している。)

あらためてこの言葉の出どころを言うと、『慶雲三年九月十日格』といわれる臨時法令です。(政事要略53)

准令、田租、一段租稲二束二把。〈以方五尺為歩、歩之内得米一升〉。一町租稲廿二束。

令前租法、熟田百代租稲三束。〈以方六尺為歩、歩之内得米一升〉。一町租稲一十五束。

右件二種租法、束数雖多少、輸実不異。而令前方6尺升、漸差地実。遂其差升亦差束実。

是以、取令前束、擬令内把。令条段租其実猶益。今斗升既平。望請。輸租之式、折衷聴勅者。

朕念。百姓有食萬条即成。民之豊饒猶同充倉。宜(収)段租1束5把、町租15束。主者施行。

西暦706年に書かれた行政文書を参照して、「歩の内得米1升」にも2種類があったことが知られますが、その内、

後者〈以方六尺為歩、歩之内得米一升〉の御用は、「にはちます」にお任せ下さい、という。

「以方6尺為歩」  歩  の  内 (1尺=40cm)
縦 5尺(2m) 横 5尺(2m) 面積25尺^2(4m^2)
(大宝令、雑令;凡度地、5尺為歩。300歩為里。) 得  米  1  升
縦 3.75寸(15cm) 横 3.75寸(15cm) 高 2寸(8cm) 容積 28.125寸^3 (1800cc)

この場合、「以方6尺為歩」 という文言は生きているけれども、熟田の歩は1辺を40cmの5尺でとります。5尺は2mになります。

そして、この升を測り作るのは、その尺の1寸(4cm)です。「歩の内得米1升」の要件〕を忘れてはいけません。

 ロープによる囲いは1辺が2mです。
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七道検税使3斛法(2700寸、2800寸、3200寸)の乱立から主税寮斛法(2800寸)へ統一。

天平六年七道検税使算計法については、事実のみを簡単に述べておきます。

「東海道、山陽道においては、2700寸を以って斛法と為せ。

 東山道、北陸道、南海道においては、2800寸を以って斛法と為せ。

 山陰道、西海道においては、3200寸を以って斛法と為せ。」 

「寸」の単位は当然同一です。3例それぞれの、段の広さ、町の広さが、相違していたことが、租穀1斛のボリュームを相違させた。

その後、宝亀七年畿内并七道検税使算計法により、2700寸、3200寸の2例は廃止されたので、奈良時代の基本的な米枡は「にはちます」

であったことが薄々知られます。(糒并新委穀者以二千八百寸為斛法。主税寮亦用之。)

≧2700寸 ≧2800寸 ≧3200寸
1寸^3=64糎^3 ≧172800cc ≧179200cc ≧204800cc
穀1斛に含まれる米の重さ 120斤 125斤 144斤
貯める米1升 27寸 28.125寸(1800cc)
2斤半
32.4寸

ときに天平9年『和泉監正税帳』はこわくない。

租穀倉の室内「高1丈1尺」などは、地周尺(雑令度地尺 40cm)にしたがって、4m40cmとすれば、こわくない。

澤田吾一が、この事例に唐尺(29.7cm)を適用したのは、大間違いだった。
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原始の京升

「一升瓶」の容積が1.8リットルであることは皆様ご存知と思いますが、この大きさ(ボリューム)は京升のサイズから来ています。

京升 縦 4.9寸(14.84cm) 横 4.9寸(14.84cm) 高 2.7寸(8.18cm) 容積 64.827寸^3(1803cc)

江戸時代初めには、田舎升(62.5寸^3)と京升(64.827寸^3)があったけれども、幕府の政策により京升(64.827寸^3)に統一されたということです。

比例的にみれば、田舎升は「以2700寸為斛法」、京升は「以2800寸為斛法」の升の容量を、それぞれ引き継ぐものと思われます。

なお、近世の1反が、300歩で、熟田50代なることは、昔と変らず、京升は、慶雲の〈以方六尺為歩、歩之内得米一升〉を引き継いでいるといえます。

原始  「以方6尺為歩」  歩  の  内
縦 5尺(2m) 横 5尺(2m) 面積25尺^2(4m^2)
(大宝令;凡度地、5尺為歩。300歩為里。) 得  米  1  升
縦 3.75寸(15cm) 横 3.75寸(15cm) 高 2寸(8cm) 容積 28.125寸^3(1800cc)
京升
2m 2m 面積43.2尺^2 (4m^2)   
得  米  1  升      
縦 4.9寸(14.84cm) 横 4.9寸(14.84cm) 高 2.7寸(8.18cm) 容積 64.827寸^3(1803cc)

結論

 〔地周尺(雑令度地尺)〕1寸=4糎による「にはちます 28.125寸^3 1800cc」は、歴史上に存在した。

     (4×4×4)・28.125=1800cc         (3.041×3.041×3.041)・64=1800cc

 この掛算の順序を 逆にしたとき、28.125の3乗根が曲尺の値を示すには不思議です。

近世の「京升 64.827寸^3 」は、同じ容積 1.8リットル をやや短めの曲尺の寸でアレンジしたものと考えられる。
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 京升を曲尺で測る (縦 4.9寸、縦 4.9寸、高2.7寸)
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もうひとつの「歩之内得米一升」

ついでに、令内租法にちなむ〈以方五尺為歩、歩之内得米一升〉の体裁を考えます。

あらためて、その〔要件〕を述べると、「歩の内」の縦横を測りとる単位と、升の縦横高さを測り作る単位が、まったく同じであることです。

歩の内、米1升ともに、曲尺で測られることに注意してください。ここは、地面では曲尺が、升ではその寸が、おおいに活躍する場面でありたい。

「以方5尺為歩」  歩  の  内
縦 6尺(1.82m) 横 6尺(1.82m) 面積36尺^2(3.31m^2)
得  米  1  升
縦 4.0寸(12.16cm) 横 4.0寸(12.16cm) 高 3.2寸(9.728cm) 容積 51.20寸^3(1440cc)

「歩の内」の広さは令前のそれの 5/6 でしたが、米1升は、令前の 4/5 になっていた。これは資料で確かめられる事実です。

すなわち、令内は、稲2把→穀2升→米1升。 令前は、稲2把半→穀2升→米1升。 (藤原宮出土木簡 『弘仁元年十月廿日収納稲事』参照)
                     (1440cc)               (1800cc)

なお、奈良時代の庶民生活における米1升は、4糎寸でいえば 22寸^3 半 になる、 容積1440cc のこの升です。

この意味では、奈良時代の米1升は今の8合に当たるといえます。

こうして、「以方5尺為歩」と「以方6尺為歩」 2つの「歩の内得米一升」を定量して図示するに至りました。

灰色の枠線が「方6尺為歩」

右、灰色の枠線が「方6尺為歩」です。しかし、その枠のひろさを 5/6 に狭めて「得米1升」 而令前方6尺升、漸差地実。とはこのことです。
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一寸姫君 と 一寸法師

さて一寸法師はこれを見て、まづ打出の小槌を濫妨し、「我々が背を、大きになれ」とぞ、どうど打ち候そうらへば、ほどなく背大きになり、

 「我々が背を大きくなれ」と念じて、打出の小槌を打つと、一寸姫君の背丈が大きくなり、また一寸法師の背丈が大きくなった。

 4糎×4糎×4糎 = 64糎   3.041糎×3.041糎×3.041糎=28.125糎   とりあえず、こんな自乗掛算のことか?

御伽草子の『一寸法師』ですが、2つの寸単位を人間に擬して、この物語は、小さなものさしに関するいかなる懸念を表現しているのか。

一寸法師の旅立ちから見てゆきます。 (一寸法師原文 http://contest.japias.jp/tqj2001/40555/tyu/genbunn.htm

刀なくてはいかがと思ひ、針を一つうばに請 すなはち麦わらにて柄鞘(つかさや)をこしらへ、都へ上らばやと思ひしが、

「針」には、硬い物を刺し通す貫通性がありますが、おそらく「寸」という単位も、その性質を備えている。

自然船なくてはいかがあるべきとて、また、うばに「御器と箸と給べ」と申しうけ、住吉の浦より、 御器を船としてうち乗りて、都へぞ上りける。

 「御器(お椀)」と「箸(箸の櫂)」は、「米升」と「概」の比喩であると思われます。(「概」は升に盛り上げた米を掻き取る棒のこと)

かくて 年月 送るほどに、 一寸法師 十六になり、背はもとのままなり。

 上京した一寸法師は、三条の宰相殿の屋敷に居候していましたが、16歳になった年に事件がおきます。

さるほどに、 宰相殿に十三にならせ 給ふ 姫君おはします。

 事件の発端ですが、宰相殿には、御年13歳になられる一寸姫君 がいらした。  京都の1寸と難波の1寸では長さが異なるゆえか。

姫君、あさましきことにおぼしかして、「かくていづ方へも行くべきならねど、難波の浦へ行かばや」とて、鳥羽の津より船に乗り給たまふ。

 京を追われた一寸姫君は、一寸法師を御伴に連れて、難波に下ります。このとき鳥羽の津に乗る「船」は、相変わらず「お椀の舟」でしょうか。
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「慶雲三年九月十日格」を細やかに読む。

「歩之内得米一升」の内容がいくぶん明らかになったところで、慶雲三年九月十日格に述べられたことのなりゆきを終いまで見てみましょう。
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准令、田租、一段租稲二束二把。〈以方五尺為歩、歩之内得米一升〉。一町租稲廿二束。

令前租法、熟田百代租稲三束。〈以方六尺為歩、歩之内得米一升〉。一町租稲一十五束。

右件二種租法、束数雖多少、輸実不異。而令前方6尺升、漸差地実。遂其差升亦差束実。

是以、取令前束、擬令内把。令条段租其実猶益。今斗升既平。望請。輸租之式、折衷聴勅者。

朕念。百姓有食萬条即成。民之豊饒猶同充倉。宜(収)段租1束5把、町租15束。主者施行。
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熟田1町(10000m^2)は、田疇1町(12000m^2)の内に宿りながら、畦畔(2000m^2)を除外した上で「歩之内得米一升」を算定していた。

これが紛糾の原因になっていることを、最初に、説明しておきます。

令内租法 田疇を測る歩は1.82m。「方5尺」歩は 3.33m^2 。「歩之内得米一升」は 「51.84寸」(1440cc)。

       3600歩の1町から租稲22束(2)を収める。

令前租法 熟田を測る歩は2m。「方6尺」歩は 4.8m^2 だが、熟田歩は  4m^2 。「歩之内得米一升」は 「28.125寸」(1800cc)。

       2500歩の1町から租稲15束(3)を収める。

稲束の数に多少はあっても、令内租法の輸実が、令前租法のそれより、多くならないように設計してあります。 22×(2) < 15×(3) 

ところがここに問題があります。令前の「歩の内得米一升」は、本来<4.8m^2、 2160cc >であるべきところ、実際の熟田1町での

「歩の内得米一升」は、<4m^2、1800cc > 。 令内の「歩之内得米一升」< 3.33m^2、1440cc > に対して、差損が見られます。

令前升の差損は、令前の稲束にも反映されて、令内束(2)に対して令前束(3)の実量があるべきところ、(2.5)に過ぎないありさまです。

これを以って、令前の租稲1束5把を収めて、令内の段租稲2束2把にあてはめると、18.75 束 にしかならないので、令条の段租稲を収め

る方が官倉の収益が多くなります。既に米の重さでいう「斗(升)」と体積(かさ)でいう「升(斗)」の単位は全く同じになっており、

「令内の(食べる)米1斗=令前の(貯める)米8升」 というレートが定まっており、令内稲1束は令前稲8把に等しくなっている今、

両租法を折衷しておこなうことを勅許されたい。

朕思うに、百姓に食があれば万の懸案が成就する。民の豊穣は官倉が充ちるのと変らない。段租稲1束5把、町租稲15束を宜しく施行しなさい。
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お言葉ですが、令前熟田1町・500代が、田疇1町(方109m)の内に宿りながら、水田(苗床)のみを囲い、畦畔を除外していたことは、最初から

わかっていた筈です。思うに、大宝令が起案されたときには、一回り大きな田疇1町(方120m)の内に「町租稲22束」を想定していたのだが、

田疇1町(方109m)タイプが条里地割の主流になってゆく経過があって、「町租稲22束」の厳格な施行は困難になっていたのではないか。

いずれにせよ、この話は、30cm前後の尺、あるいは1.8m前後の歩という目に見える距離単位のみに執着していては、なかなか理解できない。

地を測り渡す「40cm」の尺、また「2m」の歩という埋没した距離単位を呼び起こし、奈良時代の京升をなさしめたとき、ようやく理解できる話でした。
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古代メートル法は「周尺」といわれた。

雑令「凡度地5尺為歩」の1尺は 40cm。1歩は 2m。「300為里」は 600m であったことは、天平五年出雲國風土記をご覧になればわかり

ます。度地歩(2m)の面積(4m^2)と、田疇を測る歩(1.825m)の面積(3.33m^2)の比率は、6:5 であるという。(100歩、73里32歩、得。)

この度地1尺(40cm) の成立ちについては、令集解に簡潔な説明があります。(令以五尺為歩者、是高麗法用、為度地令便而、尺作長大。)

この1尺(40cm) が「長大」と見られるのは、身の丈を意味する 1丈 が 4m にもなるところだと思います。おそらく、日常用いる1尺は、半分の

20cm で、1丈 が 2m に収まっていた。20cm になるのは「周尺」と呼ばれるものさしです。「周尺」とは言え、これは、エラトステネスがエジプト

のアレクサンドリアで夏至の日におこなった緯度測量に始る古代メートル法のものさしに違いない。東欧からステップロードを経て朝鮮、日本に

伝来した。思うに、万国共通のものさし(原器)となりうる長さは、ただ1つ、地球の円周しかないので、人類の英知がこれに集まるのはやむをえない。

この場合、地球半周(2万キロメートル)の1億分の1が「周尺」なので、地球1周(4万キロメートル)の1億分の1を「地周尺」としておきたい。
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界域の御者、一寸法師

折節、風荒あらくして、きやうがる島へぞ着けにける。........、船よりあがり、 一寸法師はここかしこと見めぐれば、いづくともなく 鬼 二人来たりて、

一人は 打出の小槌を持ち、いま一人が申すやうは、「 呑みて、あの 女房 取り候はん」と申す。口より 呑み候へば、目のうちより出でにけり。

おに申すやうは、「これはくせ者かな。口をふさげば目より出いづる」。

 一寸法師が海中の孤島にて二人の鬼を軽くあしらう場面ですが、

小さな一寸法師はなぜ鬼より強いのか。寸という単位はどうして境界に強いのか? その答えが『九章算術』にあります。

九章第一  方田 御 田疇界域

 方田とは、区画された平面空間の境された区域を制御する(拡げたり狭めたりする)ことである。

ここに、ミクロな「寸」は、「歩の内得米1升」を通して、方田の主宰者になり、マクロな「田疇界域」を自由に制御することが出来る。

一寸法師は鬼に呑のまれては、目より出いでてとび歩きければ、鬼もおぢをののきて、「これはただ者ならず。ただ地獄に乱らんこそ出いで来たれ。

ただ逃げよ」といふままに、打出の小槌、杖、しもつ、何に至るまでうち捨てて、極楽浄土の乾の、いかにも暗き所へ、やうやう逃げにけり。

 密教の幾何学的な曼荼羅世界の辺境に、鬼がいて、境界を警護していれば、その鬼を自由に使役して、界域を制御するのみです。

さて一寸法師はこれを見て、まづ打出の小槌を濫妨し、「我々が背を、大きになれ」とぞ、どうど打ち候そうらへば、ほどなく背大きになり、

 おそらく打出の小槌とは掛算のことで1回打つと、一寸姫君の背丈と一寸法師の背丈が掛け合わさる。 4糎×3.041糎=12.164糎

 これを3回打つと、12.164糎×12.164糎×12.164糎=1800糎の「米升」の容積になった。

さて此の程疲れにのぞみたることなれば、まづまづ飯を打ち出し、いかにもうまさうなる飯、いづくともなく出でにけり。不思議なるしあはせとなりにけり。

 やはりお米です。
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米俵の重さに悩む

「28寸升」の容積は、720cc であるとされていますが、これは、天平尺(29.5cm)の 1立方寸 25.9cm^3 を代入した結果です。 

この升の容積は 28.125寸 として、、地周尺(40糎)の 1立方寸 64糎^3 を代入し たところ、1800cc になりました。 

試算をおこなってみると、今まで実行しなかったのが不思議ですが、720cc が 1800cc に増量されると、重い米俵がいっそう重くなる。

その懸念が、見直しの実行を、抑止していたと思われます。そういえば、720cc 説には、「4斗」「5斗」という米俵を適度に軽くする作用があった 

わけです。しかし、720cc が天平尺1本に拘泥した夢物語だったとすれば、重い米俵がいっそう重くなるなどと、心配することもなかったのでした。

悩みの解消策 「運米5斗」という米俵の重さは 50斤(30kg) とされていました。

   続日本紀‐天平一一年(739)四月乙亥「令 天下諸国 改 駄馬一疋所負之重 大二百斤。以百五十斤 為 上限。」

   延喜式 「凡公私運米五斗為俵、仍 用 三俵 為 駄。」

この場合、早い話が、「凡公私運米、1斤爲1升。10斤為1斗。50斤為1俵。」なので、

「運ぶ米 5斗」 の意味は、米50斤(30kg)に限定されます。

      「凡公私運米五斗(50斤)為俵、仍 用 三俵 為 駄。(以150斤 為 上限。)」

これに対して 「食べる米 5斗」の意味は、米1125立方寸(90リットル)に限定されます。

それは、「2斤為1升」という感じで、米100斤(60kg)。運ぶ米 5斗の2倍の量があります。

それで、運ぶ米「 5斗 」俵 が、食べる米 になるときには、 食べる米「 2斗5升 」に減額されます。

(例えば、米俵の荷札に「庸米五斗」と書いてある場合、運ぶ 米5斗 のことです。)

貯める米 5斗 食べる米 5斗 運ぶ米 5斗
体積 90リットル 72リットル 36リットル
重さ 125斤(75kg) 100斤(60kg) 50斤(30kg)

だいたい、運ぶ米1升と食べる米1升は〔場面〕が異なります。食べる場面では容量が、運ぶ場面では重量が表立ちます。

いかんせん、昔の米1升は、3つの場面ごとに、意味が断然異なっていたわけです。
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ということで、「どこでも28寸升」の束縛から解放されたみたいです。マインドコントロールから離脱したのはよいけれども、虚脱感が甚だしい。
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悲観説・楽観説

思いがけないことですが、基本的な一升ます(歩内升)の容積は、奈良時代の昔も 1800cc で、今と同じだったといえます。

また、日本古来の尺貫法は、知らず知らず、裏に隠れたメートル法と連れ立って、世を過ごして来たといえます。

4糎寸「にはちます」の構想を思いつき、実行するに当っては、次の論文が参考になりました。

稲束量の見直しによる古代の水田生産力規定と租税徴収升の再検討  水鳥川和夫 https://www.jstage.jst.go.jp/article/sehs/82/1/82_27/_pdf

 本稿は古代の重要な計量単位であった稲束の重量を明らかにすることにより,古代の水
田生産力規定と租税徴収升を再検討するものである。これまで古代の升量は720 cm3 で
ある
とされ,班田収授法による班田面積と平安時代の獲稲量規定からは与えられた水田で
は生存に必要な食料を賄うことができないとする悲観説が唱えられていた。今回の検討に
より1 把の舂米が大斤=600 g に当たる稲束が斤定稲または成斤の稲束と呼ばれ,大宝
令の公式の稲束であったことが明らかとなった。これは升量に換算して1450 cm3 となり, 
(3.042糎角の51.84寸になるので、
通説の倍量となる。『弘仁式』『延喜式』における獲稲量も斤定稲であり,通説の倍量とな 
    <以方5尺為歩、歩の内得米1升>に当たる。)
るから,実際上はさておき,法令上は班田収授法の下,農民は必要な食料を賄うことがで
きるとする楽観説を支持する結果となった。(後略)

容積の数で示された 租穀1升 28寸^3 は、天平尺なる2.96糎寸で読むと、720 cc に近くなりますが、720 cc は「運ぶ米1升」の容量でした。

したがって、「食べる米」を基準にして 古代の升量は720 cm3 で ある と請け合った通説は、とんだ見当違いをしていました。ごめんなさい。

今まで通説のマインドコントロール下にあった者として、私がなすべきは、 通説の非を認めて、楽観説の軍門に下ること。

また、用尺を再検討して、「貯める米1升 ≧28寸^3 」 を、1800cc (2斤半) に見直して差し上げることです。

その際、一寸(3糎)法師は、京升(64.8寸^3)に居て、じっと待て。 差し上げる「にはちます」の検量は、一寸(4糎)姫君に、お任せします。

 実感はないけれども大成功! すごい。

 一寸(4糎)姫君による 奈良時代も今も変わらない〔一升〕の検量

 28立方寸 と 8分の1立方寸    3方4糎の立方寸体 (64cc)を28.125個の全体は 1800cc になります。

食べる米1升 今の8合

2段に積んだ18個の木片は、3方4糎の立方寸体 (64cc)です。奥の6個は、2方4寸1方3寸(48cc)です。

 22立方寸 と 2分の1立方寸   3方4糎の立方寸体 (64cc)を22個半の全体は 1440cc になります。

 奈良時代の (稲2把→)米1升はこれです。食べる 米1升 です。今の8合に相当します。 

 班田収授法の下,農民は必要な食料を賄うことができた  楽観説を支持するものです。
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終りに


 一寸(
4糎) 姫君

 64糎×28.125=1800cc

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 一寸(3.0421糎) 法師

 28.125糎×64=1800cc

京升の源流を、古代に、「40糎」、「2米」というメートル法に、求める。

知られざる 4糎寸 の活動を明らかにして、それが歴史上に久しく存在していたことを実証しました。
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 終わり