京枡の源流を求めてエジプト尺に会う

久しぶりです 投稿者:青柳俊二 投稿日:2018年12月27日(木)09時05分56秒

亀井喜久男様

久しぶりに投稿します。青柳俊二です。
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ユークリッド原論
U-14. 与えられた直線図形と等しい正方形を作図すること。
Y-13. 与えられた二つの直線の相似する比例中項を見出すこと。

ユークリッド『原論』が気楽に読めるホームページが最近作られていて、私も生れて初めて原論を間近に読む機会に恵まれていますが、上の2件については全く無知であったことを知らされる羽目になりました。
そうした認識不足をおおいに反省して、思い直すに、

奈良時代の人は、二つの三角形(三身之綱)の間合いに比例中項を見つけた。また、長方形に等しい面積の正方形を図形的に作ることができた。二つの歩単位は、面積比で5:6のため、長さの比は無理数に及んでいた。
そういう世界は、数にものをいわせる近代人には暮し難かろうが、
ものさしを図形的に作る人々は平気なものですこしも困難を感じないだろう。

というわけで、
心境に変化が生じて意見が変った内容をこれから追々書き込ませてください。(自分のホームページは閉鎖しました。とほほ。意見を発表する場所がありません。)
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再検討すべき課題の提示 投稿日:2018年12月27日(木)11時44分29秒

〔命題〕面積が 30尺^2 の正方形を作図すること

 正方形(縦5*横5)に接して、長方形(縦5*横6)を置く。
 横5,6 合せて11の線分を直径として半円を描くと、
 円の中心の真上の円周上に等差中項(5.5)が見つかる。
 また正方形と長方形の境目の真上の円周上に、比例中項(5.477..)が見つかる。
 そして、この垂線を1辺として面積30の正方形が作図される。

実際、私は今まで、その正式な作法にはまったく無知であり、
その正方形の1辺(√30尺)を「=5尺4寸7分7厘余」という
計算結果に基づいて作図していたのでした。
このことにようやく気付いて、喜ばしい反面、失われた年月を悲しみもする。
ただ、等差中項(相加平均)や比例中項(相乗平均)について、その図形的背景が顧みられない今の時代に、工夫して自分で発明してしまうのもたいへんです。
悔やんでも仕方が無い。今更ながら気になる課題には再検討を加えるのみです。

出雲國風土記・総説の文中に
「一百歩 七十三里三十二歩 得而難可誤」
という意味不明の文があり、後世に混入した注記とも説明されていました。
しかし、私は、この間に2種の里程単位が存在する。双方で互に換算しあう際手本にすべき範例を記した文であり、原文に相違ないと考えて来ました。

出雲國風土記
 國之大體首震尾坤東南西山北属海
 東西一百三十七里一十九歩南北一百八
 十二里一百九十三歩
  一百歩
  七十三里三十二歩
    得而難可誤
 老細認枝葉裁定詞源亦山野濱浦
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二つの歩単位が、面積比 5:6 において共存していたこと

 一百歩
 七十三里三十二歩
   得而難可誤

「100歩 73里32歩」は、2数の対比で何かを表している数列ですが、
私は既に「この間に2種の里歩単位が存在する。双方で互に換算しあう際手本にすべき範例を記した文である。」
というふうに説明しています。
そこで、まず「73里32歩」に命じて、換算先のこの1里が360歩を含むとするなら、11の倍数になるので、

 73×360歩+32歩=26280+32歩=26312歩 =23920+2392歩

(1/11)に当る2392歩を差引いた23920歩、
これ(23920歩)が換算元の歩数だとしましょう。
で、換算元の1里は300歩を含むとすると、その称は79里220歩です。

 「79里220歩(23920歩)」 ⇔ 「73里32歩(26312歩)」

このような相互換算関係が成立しているようです。
では、これに差し添える「100歩」というのは何でしょうか?
「100歩」を何に加減するのか? 試しに、換算元(23920歩)に加えてみます。

  79里220歩(23920歩)+100歩=80里20歩(24020歩)

これをいうならば、換算元のもっと奥に「80里20歩(24020歩)」があるべし。
そこから100歩を差し引いて逆戻りした後に(1/10)を加えていることになります。

 〔80里20歩(24020歩)−100歩〕+2392歩 ⇔ 「73里32歩(26312歩)」

ただし、「東西・南北」の換算では、実際のところ、100歩の減は行なわず、10歩を11歩に増やすのみだった。
3行目に「而難可誤」というのはこのことで、読者に向けて「一百歩の関与はない」ことを断り書きしている。
ただちに打ち消された。とても重要な事実が指摘されている。見逃せません。


(24020)^2 ÷ (26312)^2 = 5/6=25/30 〔重要〕

「100歩 73里32歩 得」の全容は以下のとおりです。あとで説明します。

21528
21928
+2192 (21928の1/10 26312の1/12)
  -100  24020 (比例中項24019.45..)
  -100
+2392 (2192+200 これは 26312の1/11)
26312

以上、「100 7332 得」は里歩換算の雛形であるという
私の従来からの考えを具体的に展開しました。

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世界の果てまでイッテQ

 東西一百三十七里一十九歩 南北一百八十二里一百九十三歩

前回、「東西・南北」の換算は、10歩を11歩に増やすのみだったという予見を
述べましたが、実際のところはどうだったのか、調べて報告する義務があります。
そこで、換算先の「東西137里19歩・南北182里193歩」を換算元に強制送還する。
これは、逆に11歩を10歩に減らす勘定になります。

 東西13719(49339)−(4485歩) ⇒ 149154(44854)  余裕(146)

 _______________|150(45000) =行程3日

 南北182193(65713)−(5974歩) ⇒ 199 39(59739)  余裕(261)

 ____________________|200(60000) =行程4日

やや先走って世界の果てまで行きますが、
東西の換算元「149154(44854)」のもっと奥には、
              (146を隔てて) 150(45000)という限界がある
南北の換算元「199 39(59739)」のもっと奥には、
              (261を隔てて) 200(60000)という限界がある
という見通しを得ることができました。
また、件の換算は確かに行なわれて「10歩を11歩に増やした」ことが確められました。
(ただし、「80里20歩当り100歩の減」は行なわれていない。)
私は、ここに盤石の自信をもって言います。
換算元にあるのは、歩(30大尺^2)に基づいた「300」という長距離単位です。
         ■■■■■■
換算先にあるのは、歩(25大尺^2)に基づいた「360」という長距離単位です。
         ■■■■■
歴史学界の通説とはまったく異なるけれども、ゆめゆめ疑うべからず。


「國廓1里27歩」と「海80歩」 
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東西の換算元「149154(44854)」のもっと奥には、
              (146を隔てて) 150(45000)という限界がある
 _____ __________」

南北の換算元「199里 39(59739)」のもっと奥には、
              (261を隔てて) 200(60000)という限界がある
 ____ _ ________________」

(146を)(261を隔て)と、合せて1107(407)が「350」から除外されています。
除外された道のりは、出雲国内の道路上どこになるのか探り当てないといけませんが、
それを無きものにしてその存在を顕示すべき奇特な境域は早々に二つに絞られます。

一つは、意宇郡にある「國廓」です。(前件一郡入海之南 此則国廓也)
あと一つは、意宇郡と嶋根郡の堺をなす「海80歩」です。
(通道 通意宇郡堺朝酌渡一十一里二百廿歩。之中、海八十歩。)

合せて1里107歩(407歩)から 海80歩 を差引いた 1里27歩(327歩)が、「則ち國廓なり」。
そう言っておいて、試しに換算してみましょう。

〔300〕 327+32歩 ⇒ 359≒1(360)  〔300

國廓は、条里地割にして1四方の境域を占めていたことがわかります。
また、
 東西 〔300〕 146+16歩 ⇒ 160 〔360
 南北 〔300〕 181+18歩 ⇒ 199 〔360

東西と南北の道は合せて、國廓の西辺で、359を没収されている勘定になります。

又西廿一里、至国庁・意宇郡家。北、十字街。即分為二道。〔一正西道。一枉北道。〕

  〔300〕はこんな感じか?

条里地割に対面して、つぎのことを確認して〔銘記〕しておきたい。
雑令「凡度地。5尺為。300為。」 は、条里地割のそれ(360)とは別のものである。
また、(これは私の意見)
和銅3年格「其度地、6尺為。」 も、条里地割のそれ(360)を対象にした法案ではない。

 

日々並べて 夜には九夜 日には十日を  

すなはちその国より越えて、甲斐にいでまして、酒折宮にましし時、歌ひたまひしく、 
新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる
と歌ひたまひき。ここにその御火焼の翁、御歌に続ぎて歌ひしく、 
日々並べて 夜には九夜 日には十日を 
と歌ひき。ここをもちてその老人を誉めて、すなはち東の国造を賜いき。(古事記)

倭健命と御火焼の翁の問答歌の中で「日には十日を」というのは、状況からわかるように、
常陸の国から甲斐の国まで、10日の旅程を要した、ということです。
そこで、この「十日」なる日行程を里行程に言い換えるといくら(何里)になるかと考えてみましょう。
里程に関しては、公式令に「凡行程、馬日70里、歩日50里、車日30里。」という規定があるので、
「十日」を里程になおすとすれば、馬ならば700里、歩くならば500里、車ならば300里になりますが、
倭健命の旅はもっぱら歩行(日50里)によるものとして、「500里」になおすのが妥当でしょう。
しかし、だからといって、
常陸の国から(新治 筑波を過ぎて)甲斐の国までの道のりを「500里」というのは考えものですが、
実際そうなっているので、私も頭が痛い。

出雲國の「東西137里19歩・南北182里193歩」は、東西150里・南北200里を源流としていますが、
50里を1日と言い換えたなら、「東西歩3日・南北歩4日」に遡ることになります。
公式令に「凡行程、馬日70里、歩日50里、車日30里。」
「歩日50里」は、公の旅行者に課せられた「歩行者は1日に30kmくらいは進め」というノルマですが、
「日が暮れぬ内に30kmくらい先にある次の宿に辿り着け」という道祖紳の脅かしでもある。
それゆえに、東西歩3日の内には、意宇、出雲、神門の順に3つの郡家が置かれ、南北歩4日の内には、
飯石、大原、意宇、嶋根の順に4つの郡家が置かれていたわけです。
かくして「東西150里・南北200里」は、制度として固定された、測量成果が反映されない決め事になっている。


「360歩為里」の使用例 

多賀城

 

去京三千里
去常陸國界四百十二里
去下野國界二百七十四里
去蝦夷國界百二十里
去靺鞨國界五千里
多賀城碑の「多賀城 去京三千里」を、私は、「歩30日・車50日」の里数表現とします。
次なる「去常陸國界四百十二里」と「去下野國界二百七十四里」は如何でしょうか。
これはひょっとして、出雲國風土記で元の歩数にその1割を加えたやつか。

  450里=135000歩+13500歩=148500歩⇒412里+180歩
                           「去常陸國界四百十二里」
  300里=90000歩+9000歩=99000歩⇒274里+1里
                           「去下野國界二百七十四里」

180歩と1里は多賀城の廓内に差し入れると、辻褄が合います。「360歩為里」の使用例をひとつ見つけました。
そこで、換算元になった、450里あるいは300里の実情を、つぎのように考えます。

 去常陸國界 歩9日は、9郡(菊多、磐城、標葉、行方、相馬、宇多、伊具、亘理、名取(多賀城))による。

 去下野國界 歩6日は、6郡(白河、安積、信夫、刈田、柴田、名取(多賀城))

道路距離のアンバランスには目をつぶって、道沿いにあるところの郡家の数を確認しましょう。

童女を中に置きて泣く

(面積が)1.2倍の正方形の作図は、相似する直角三角形を隣合わせる方法で出来る。
今はじめてそのことを知り、失われた年月を嘆いている私ですが、
あらためて考えてみると、この秘法のことは出雲神話の題材にもなっていたのでした。
しかし、愚かな私に、それを読み取る能力はなかった。猫に小判とはこのことか。

 尋覓上往者、老夫與老女二人在而、童女置中而泣、

出雲神話で、スサノヲ命が八俣のオロチを退治して櫛稲田媛(クシナダヒメ)と
結婚する話には、手名椎(テナツチ)と足名椎(アシナツチ)という夫婦神が登場します。
八俣のオロチが幼い櫛稲田媛を奪いに来る時候になったのを嘆く夫婦が、媛を中に置いて、
おめおめと泣いているところに、スサノヲ命が訪ねて来たのが話の発端です。
ときに名前によれば、手名椎には(手はあるが)足が無く、足無椎には(手はあるが)
足が無いので、両者は一体化して、手足共にあるものにならないといけません。
ということで、このへんは直角定規(曲尺)の起源を語る説話にもなっていて、
彼の夫婦は直角定規(曲尺)の権化だったことがバレてしまいます。
(ちなみに、曲尺の長い柄を『長手』といい、短い柄を『短手』といいます。)

また、三水扁に「立」とつくる「泣」という漢字にも油断がなりません。というのは、
「水に立つ」から「水平線上に立つ」と来て「垂線を描く」という課題が暗示されている。
そこにもって来て、櫛稲田媛の「田」は、面積のある平面図形のことでもある。
(九章算術では、長方形のことを『方田』といい、三角形のことを『圭田』という。)
また、櫛稲田媛の「櫛」には「奇(くすし)」という意味も籠められています。
ここまで来れば、この裏話にも目鼻が付いているといえますが、
今までの私は、
直角三角形の3辺に依拠する、a^2 + b^2 = c^2 なる3つの正方形の作図をイメージするに止まり、
a:b=b:c  ⇒ b・b=a・c なる比例中項が見つけられるとは、夢にも
思わなかった。

 

我泣き濡れて虹と戯る

直角三角形△ab(c+d)は、線分(c+d)を直径とする円に内接している。
このとき、
      a^2 + b^2 = (c+d)^2
また、この直角三角形は、2つの直角三角形(△aceと△bde)を抱えている。
このときには、
       c:e=e:d により e^2 =cd
二つの命題を一図に盛り込むことを考えました。
比例中項を求める課題から、ピタゴラスの定理を、返り見たことになりますが、
比例中項(e)を円周上に見つけるには、とにかく半円を描いておかねばなりません。

こうして半円が道具として重要なときに、天然にみられる半円で、最も顕著なものは「虹」です。
虹が天然の工(たくみ)なるは字の如し。その虹が作る端正な半円を見て、
直角定規の権化たる手名椎・足名椎が、何もせずにいられるとは思えない。
身一つに「八頭八尾」を有するという八俣のオロチの、むくつけきその正体は、
ひょとして、手名椎・足名椎が心待ちにする「虹」だったのではないか。
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モノとモノとの関係に目覚める 

ひとつは、歩(30大尺^2)に基づいた「300歩為里」という距離単位。
     ■■■■■■ (4m^2)  (2m)(600m)
ひとつは、歩(25大尺^2)に基づいた「360歩為里」という距離単位。
     ■■■■■ (3.33m^2) (1.825m)(657m)

歴史学界の通説とは異なるけれども、奈良時代には
すくなくとも出雲の国では、二つの距離単位がこのように共存していた、と私はいいます。
このとき、2つの歩単位の間では、互に値指し合って、後者のものさし(尺)で前者を
測ってしまうようなことはないだろう。
両者の大小関係は、■■■■■■を正方化する内に、図形的に定められているのだから。
しかし、この点はいま自覚したばかりで、私は、つい先日まで逆のことを考えていたのでした。
(今まで、「1の長さは、曲尺で 6尺6寸 になる」というふうに説明していました。)

今、前者に固有のものさし(尺)が求められるとき、(後者は曲尺として今に伝わる)
前者の歩単位が、2メートルに極めて近いことは、私の心の負担を軽くします。
どうせたいして違わないのだから「1歩=2m」として、これをものさし全体の基準にしましょう。

=2mが、5尺ならば、1尺は 40cm。 6尺ならば、33.33cm。 7尺5寸ならば、26.66cm。 8尺ならば、25.00cm。

(雑令「凡度地。5尺為。300為。」 は、条里地割のそれ(360)とは別のものである。〔銘記
 これは、もとより  1=2m のことであるので、
 和銅3年格「其度地、6尺為。」 では、 1尺の長さが 40cm ⇒ 33.33cm というふうに変った。)

ただ、ものさしを別にしたことで、 の関係が疎遠になるわけではない。
今まで「1の長さは 曲尺6尺6寸 になる」と説いていた私がいうのも変ですが、
数や言葉(説明)を排除したとき、モノとモノとの関係は最も緊密になるはずです。
ところで、
日本の曲尺1尺(公定30.30cm 10mの1/33という) と、大英帝国の1フット(公定30.48cm)の
値が近接しているのは偶然でしょうか。√(1.2)で首が繋がっていたことを思うと、
彼らを古代メートル法の名残とする考えを否定し去るのは惜しい。
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英雄なぞなぞ伝説 

  山のあなたの空遠く 我泣き濡れて虹と戯る

前々回の投稿の題を「我泣き濡れて虹と戯る」としました。その上の句のことですが、
虹なる八俣のオロチの身長が「谿8谷・峡8尾」に渡ることに因んで、
「山のあなたの空遠く」とさせてください。

 問「其形如何。」
   してその八俣のオロチの形態はいかに?
    スサノヲ命のご下問に対して、手無椎はなにか謎めいた答えを返します。
 答白「(なぞなぞです。)
   彼目如赤加賀智而、
   そいつの目はホウヅキのように真っ赤で、(虹の光源が太陽なることをいう)
   身一有八頭八尾。
   1つの身体に8つの頭・8つの尾がある。(虹のスペクトルをいう)
   亦其身生蘿及檜榲、
   また、その身体には、ヒカゲ及びヒノキ、スギなど、青色が強い植物が生えている。
   其長度谿八谷峽八尾而、
   その蛇体の長さは「谿8谷・峡8尾」を測り渡すほどである。
   見其腹者、悉常血爛也。」
   その腹を見ると、いったいに赤く血ただれている。
   (それはいったい何?)

この謎々の正解が「虹」というのは決定的に思えます。
世界中の英雄が悪魔を退治する話では、勇ましい武闘を前にして、よく謎々の問題が出されます。
(「この謎々が解けなかったら、お前を生かしてはおかないぞ」と悪魔は言う。)
知力に優れた英雄は、その謎々を難なく解いて、死地を免れ、悪魔の出鼻を挫きます。
彼の者の正体については、簸の川の氾濫などの災害がいわれていますが、それでは英雄になれません。
やはり、本命は「虹」でしょう。
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十拳の剣 
「虹」とは何かというと、大気圏に住む気象という象の仲間です。この虹は、ことのほか水気を好むところから、
稲田の水を飲み尽くして日干しにする犯人と目されていました。スサノヲ命は、何も知らない虹に、一気酒を飲ませ、
酔い潰れて寝込んだところを狙って、斬り殺そうと企てました。ただ、敵が無色透明のままでは姿が見えないので、
8頭8尾を着色すべく、8色の塩(鉱物)で着色した8色の酒を用意させました。
接待を受けてまんまと8色の酒を飲まされたオロチは、すぐに身体を硬直させて寝込んだので、スサノヲ命は、
十拳の剣でもって、オロチの身体を斬り散らすと、簸の川の水が血に変じて流れたという。

  其八俣遠呂智、信如言來、乃毎船垂入己頭飮其酒、於是飮醉留伏寢。
  爾速須佐之男命、拔其所御佩之十拳劒、切散其蛇者、肥河變血而流。

違う話になりますが、「十拳の剣」を見てふと思い出しました。
 1=2mが、2尋ならば、1尋=1m。 1尋が、10拳ならば、1尋=10cm。
というふうに書くと、メートル法と区別しがいのない歩があり、また尺があった、という認識に至ります。 
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ものさしは刀 
wikipedia 十束剣 の内容ですが、

葦原中国平定の説話において、アメノワカヒコの葬儀に訪れたアヂスキタカヒコネが怒って十掬剣で喪屋を切り倒している。
この剣は正式に「大量」(おおはかり)、亦の名に「神度剣」(かむどのつるぎ)という名前がついている。

これは、30尺^2 為歩 が「大量」で、25尺^2為歩 が「小量」ということかしら。
(「度量衡」というとき、長さは「度」で、体積は「量」ですが、面積は「度」なのか? 「量」なのか?)
「ここまで粘った甲斐があった。」と独り言をつぶやいて、本筋に戻ります。

  故、切其中尾時、御刀之刄毀、爾思怪以御刀之前、刺割而見者、在都牟刈之大刀、
  故取此大刀、思異物而、白上於天照大御~也。是者草那藝之大刀也。

オロチの身体(虹)の真中あたりを切ったとき、十拳剣の刃がこぼれたので、身を刺し割って見ると、
「都牟刈之大刀」が在ったので、異常な物と思い天照大御~に言上した。これが「草那藝之大刀」である。

チャンバラの場面になりましたが、
これは、十拳剣が「大量(30尺^2 為歩)」で、草那藝之大刀が「小量(25尺^2 為歩)」ということかしら。
これは、出雲国風土記の三行注が示唆しているように、
 2つの距離歩単位の大きさが、面積比が5:6になる正方形の1辺として定められている、ということかしら。
ただしかし、その意味でも、スサノヲ命は虹の体内に比例中項をまさぐっていたのだと思う。
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通説はわかりやすい

 長短2つの距離歩は、面積比が6:5になる二つの正方形の1辺の長さになる。
 したがって、長い距離歩を求めるには、長さが5と6の線分の比例中項を見つければよい。

言葉使いも変ですが、何を言っているのかわかりますか。
意味が伝わらなければ言う方も厭になります。
それにひきかえ、通説のほうは断然わかりやすくて、羨ましい。
基本にある田面積単位をみると、歴史学界の通説の場合、

ひとつは、歩(36大尺^2)による「2500歩為町」という田面積単位がある。 (4.80m^2) (12000m^2)
     ■■■■■■■ll
ひとつは、歩(25大尺^2)による「3600歩為町」という田面積単位がある。 (3.33m^2) (12000m^2)
     ■■■■■

私の説とどこが違うのか? 見比べると違いがわかります。

ひとつは、歩(30大尺^2)による「2500歩為町」という田面積単位がある。 (4m^2) (10000m^2)
     ■■■■■■
ひとつは、歩(25大尺^2)による「3600歩為町」という田面積単位がある。 (3.33m^2) (12000m^2)
     ■■■■■

1歩の長さを1.8mとする通説は、歩(30大尺^2)による町の構成を欠いています。
銘記
雑令「凡度地。5尺為。300為。」 和銅3年格「其度地、6尺為。」 は、1.8mのとは別のものである。

雑令1歩の長さを1.8mとする通説は、(長い距離歩を知らぬがゆえに)、歩(30大尺^2)による町の構成を欠いています。
(ここが大事)
雑令1歩の長さを2.0mとする私説は、(長・短2つの距離歩を知るがゆえに)、歩(30尺^2)による町を構成することが出来た。
(呪いの言葉)
雑令1歩の長さを1.8mとする通説は、長い距離歩の存在など、永遠に知らぬがよい。
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終りに
原論U-14. 与えられた直線図形と等しい正方形を作図すること
それが無条件に出来ることをはじめて知り、モノとモノの直接の関係にも目覚めた結果、

長短2つの距離歩が、面積比5:6において見合っているとき、
それらの距離歩単位は、面積比が6:5になる正方形の1辺の長さであればよい。
また、2者の間に、形と形の大きさが横たわるとき、それを細かな小数にして言うことはない。

そんなことを考えるようになりましたが、
謎の三行注「100歩。73里32歩。得而難可誤」という奇抜な対比数表現を見て、
(√(1.2)のことを、80里20歩(24020歩)と73里32歩(26312歩)の対比で表した。)
奈良時代の人達の考えもまったくそのようであったことを知りました。
ここに生じた新たな見地を、私は、つぎのように表現したい。

出雲國風土記の文中には、
ひとつは、正方歩(30大尺^2)に基づいて、「300歩為里」という距離単位が見られる。
       ■■■■■■ (4m^2)  (2m)(600m)
(東西)149里154歩<150里 (南北)199里39歩<200里
この1歩(2m)は「古代メートル」というものさしではかられた。「曲尺で6尺6寸」ということはなかった。

ひとつは、正方歩(25大尺^2)に基づいて、「360歩為里」という距離単位が見られる。
       ■■■■■ (3.33m^2) (1.825m)(657m)
「東西137里19歩 南北182里193歩」  この1歩(1.825m)は「曲尺で6尺」になります。

銘記〕雑令「凡度地。5尺為。300為。」 は、2.0mの歩だから、1.8mのとは別のものである。
これはいうまでもないことですが、曲尺に遠慮して今まで曖昧にしていたのを、はっきりさせたい。
それで皆様には、『出雲國風土記』を読んで、長短2つの距離歩があることの確認を御願いします。

一連の投稿はこれで終ります。亀井様、有難うございました。
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古代メートル法に憑りつかれて@ 投稿日:2019年 1月 6日(日)11時23分40秒 

亀井様
エクセルが - や = を入力するたびに動作を停止するなど、先が危ぶまれる暮しぶりで、
ついこのことに逃げてしまいますが、
あとで気になってどうしても書き足したいことを、@、Aに分けて投稿させて下さい。

副題を 〜古代メートル法に憑りつかれて〜 と題して、

@は下に書きました。

 「100歩。73里32歩。得」その羽根を拡げるとどうなのか。朧げにしか考えていなかった。
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@無理数に向う平方根を有理数の内に生け捕りにした。そんな算法をおおいに賞賛したい。

「100歩。73里32歩。得」の羽根をおおいに拡げて全面展開したところ、つぎのようになりました。

21528
21928
+2192 (21928の1/10 26312の1/12)
  -100  24020 (比例中項24019.45..)
  -100
+2392 (2192+200 これは 26312の1/11)
26312

元は√(1.2)の値を求める計算が拡大されて、21928と26312の比例中項の値を求める場面になります。
24020/21928 or 26312/24020。 √(1.2)の実用的に十分な値をどちらとも示しています。
思うに、平方根の値を有理数の内に求める方法として、こういう算式が知られていたのではないか。
試しに、この算式を模倣して、√(1.25)の値を、求めてみます。

14000
14400
+1800 (14400の1/8 18000の1/10)
  -100  16100 (比例中項16099.68..)
  -100
+2000 (1800+200 これは 18000の1/9)
18000

元は√(1.25)の値を求める計算が拡大されて、14400と18000の比例中項の値を求める場面になります。
16100/14400 or 18000/16100 √(1.25)の実用的に十分な値をどちらとも示しています。
このようにやや一般化したところで、この算式の特徴をいえば、
比例中項の値が無理数に向うところを、等差中項の値で待ち受けて、有理数の内に生け捕る。
誰が考えたのか、アルキメデスが考えたのか、実用性に配慮した、柔かくも力強い算法だといえます。
また、比例中項の作図から引き続いて、この計算の成り行きを追えます。
(二つの線分(5:6)の継目から立上がる垂線が半円(直径32400)を切る点に比例中項が見つかります。
これを、14400と18000の等差中項 と 14000と18000の等差中項 の中間の高さで近似します。)
ゆえに、スサノヲがオロチ虹をあちこち斬り裂いて草薙の剣を得たような、この算法が、
(「300歩為里」「360歩為里」2つの距離単位系がある。(歩)^2 の比は 6:5 である。)
ところに応用されたのが「100歩。73里32里。得」であるという。やや出来過ぎたはなしになりました。

出雲國風土記に載る「一百歩。七十三里三十二歩。得而難可誤。」ですが、
「これは後世の注記が紛れ込んだもの」という安請合いな解説がなされ、読者の支持を得ていたのは、
文が意味不明なことによります。読者は、この文に重大な意味があることを、まったく知らずにいる。
(「東西137里32歩・南北182里193歩」は、あくまでも「360歩為里」に換算した限界値であり、
 「300歩為里」の境地では「東西150里・南北200里」が限界値になる。そのことを読者は知らない。)
そのために、読者が記事を読み損ねる被害は全巻にわたっている。
今更ではあるけれども、この文の隠された意味を周く知らしめて、それを過去のことに終らせたい。 
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古代メートル法に憑りつかれて(2) 
エクセルの不調はシステムの復元で直りました。
最後の回に何を書くのか、何が書き足りなかったのか、わからなくなりましたが、
古代メートル法がここに立ち現われている。私は、見たことを心に止めずに、報告しなければ。
スサノヲが草薙剣発見のことを天照大御神に言上したように。
これでもって、ようやく書くことが決まりました。

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「200古代メートル。26312歩。得」

日本国がメートル法条約に加盟した際、1尺は(10/33)メートルと定義しています。
天平5年の「一百歩。七十三里三十二歩」の場合、これに似た事情、すなわち、
古代メートル法が国内にすっかり浸透していたという事情があり、
古代メートル法と、歩、尺との関係を、(数によって)定義していると考えます。

21528
21928
+2192
  -100 100歩 ←これを 200古代メートル と言い換えます。
  -100
+2392
26312 73里32歩(26312歩) =古代48040m 得

「200古代メートル。26312歩。得」にしたがって、
「80里20(24020歩)=48040古代メートル」と言い換えます。

∴ 26312は、古代48040mに相当する。

下2桁の端数は、双方共に切り捨てれば、ロスがないので、
「263は、古代480mに当たる。263尺は、古代80mに当たる。」
というふうに定められます。これから、1歩、1尺の長さを割り出します。

 1は=1.8250古代メートル  1尺は=30.42古代センチメートル

古代メートルはもちろん世界的なものさしなので
曲尺=30.30cm はもとより、英米のフィート=30.48cm も相手にします。

最後に、からへ、主役の交代という話をして終わりにします。

藤原から奈良の時代にかけて、2つの歩単位が、面積比5:6において存在していた。
ひとつの歩の長さは、1.825mになり、もうひとつの歩の長さは2mになる。

前の歩(1.825m)は、曲尺(30.4cm)の6尺にして測られた。

後の歩(2m)は、特別に40cmの尺が作られて、その5尺にして測られた。
(大宝令;凡度地、5尺為歩。300歩為里。)
(古記;令5尺為歩者高麗法、用度地令便、而尺作長大。)

私、これまで、後者も曲尺で(6尺5寸8分にして)測られたと説明していたのですが、
「曲尺のみが令尺である」という考えをあらためて、正直な説明をするようになりました。
この時代の汎用尺は、1尋(1m)を5尺で、1歩(2m)を10尺ではかる 20cm尺 であり、
今に伝わる曲尺は、汎用尺としては、まだ駈け出しの頃であった。
それで、からへ、主役の交代というのは歴史を遡っての話になります。

大宝令、雑令「凡度地、5尺為歩。三百歩為里。」の1歩は2mだから、40cmの尺ではかられた。
このとき30cmの尺が用いられなかったのは勿論ですが、
天平七年検税使算計法に
「東山道、北陸道、南海道は、2800寸を以って、斛法と為せ。
 東海道、山陽道は、2700寸を以って、斛法と為せ。
 山陰道、西海道は、3200寸を以って、斛法と為せ。」
とある穀倉の室内寸法も、上の40cmの尺で、1寸=4cmのものとして、はかられたのではないか。
そうだとすると、
  4×4×4=64立方cm   64×28=1800ml
28寸の1升は 1800cc 今と同じになりますが、「それでいいのだ」という話も耳にします。

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本当にこれで終わります。長さというのはまだ数ではない場合がある。
そんなことが考えられるようになったのは最近のことで、混乱の最中です。
下手な文章を長々と書き連ねてご迷惑をおかけしました。