わたしの簡単なプロフィール 

なかなか、仕事中の写真を撮らないので、手元にある写真は、飲み会のご機嫌写真になってしまいます。

以前の写真が、あまりにも現実離れして、詐欺気味だったので、久しぶりに差し替えました 笑笑

プロフィール

私のプロフィールを紹介します

1963年12月生まれです。

父母と妻と4人暮らしで、みんなで力を合わせてみかんを栽培しています。

1982年から農業をはじめました。10年一昔といいますが、なんと33年もたってしまいましたね〜。そして、すっかりみかん作りを取り巻く環境も変わりました。

就農するときには地域をあげて進めていた品種も、今では品種更新の対象になっており、その品種の更新の早さには驚かされると同時に困惑しています。

そして、10年先はもちろん、今年のみかんの動向さえも全くわからない昨今ですが、こつこつと毎日がんばっています。

だって、みかんが好きじゃっでやなぁ(すきですからね〜)。

現在の役職

 ・ 南さつま市農業委員 会長職務代理者

 ・ 中間地区みどりの会 事務会計(多面的機能支払交付金事業組織)

 ・ 日本砂像連盟理事

 ・ 津貫地区水利組合会計

 

生産している作物、経営規模(平成24年10月現在)

早生みかん65a
普通みかん10a
雑柑20a
露地極早生50a
はるか20a
屋根かけきんかん19a(ハウス)
無加温極早生30a(ハウス)
施設でこぽん30a(ハウス)
合計250a

それぞれのおおよそ出荷時期こちらをご覧ください。

文化財のこと

私は、以前加世田市の文化財保護審議委員と県文化財保護指導員をしていました。

依頼が舞い込んだときには文化財とは縁の薄い生活をしていましたが、農業という地に足のついた仕事をしている関係で、地元の事を勉強する意味からも興味があっておもしろそうだと引き受けて仕事をしていました。南さつま市が発足すると同時に現職を退きましたが、その当時このサイト内に文化財の情報をUPしました。

私のHPの中に地元の文化財や史跡の説明が含まれているのも、みかん作りをしている私の地域の「津貫」を少しでも知っていただきたいと同時に、昔、学んだ文化財への思いもあるからです。

私の趣味

自転車競技

私の所有する自転車は、学生の時に購入したもので、たしか10万を少し超えたと記憶しています。そのころいつも通っていたナルシマフレンド立川店で

つるしのフレーム(COLUMBUS)
シマノ600ディレーラー一式(フロント2枚*リア6枚=12段)
MAVICのリム
SUPERBEのブレーキ(SUNTOUR:今はないそうですね)

を組み合わせてもらいました。

加世田市で行われましたデュアスロン大会に参加したときに参加した皆さんの自転車を見たときに、時代を思わず感じたのは、私だけだったのでしょうか?.....

 学生の時に4年間、毎日のように自転車に乗っていました。それは、ただ通学の為だけではなく体力づくりを兼ねて、レースに出ることを目的として練習をしていました。種目はピストと、ロードレース。そんなに速くはなかったし、練習量も足りなかったし、でも、自転車の好きなことは他の人には負けませんでした。

残念ながら最後のインカレの直前に体調を壊し、予定していたタンデムピストのスプリントとチームロードレースには出場できませんでしたが代わりに私の手元には、そのとき撮りまくった写真がごっそり残っています(自分の写っていない)。

今は、自転車に乗れる時間もほとんどなくなり、すっかり体力も落ちましたが、たまにサドルにまたがると、つい、目一杯走ってしまって、2日後にこたえるようになりました。

パソコンいじり

 私が初めて眼にしたパソコンは高校生のときで,数学の先生の机の上で動いていた沖電気のif-800です。先生はそのパソコンを使って,囲碁をしていました。それから数えること16年間,直接つきあってきたコンピュータは,初めて買ったシャープのポケコンPC-1251に始まり,大学の研究室では,富士通のFM-7,FM-8,NEC PC-8801,PC-9801F,PC-9801VMと進化しました。まさにそのころのコンピュータの進歩はめざましく,処理能力も目に見えてアップしました。ワープロソフトで卒論を入力することができるようになったのもそのころで,「松」が管理工学社より販売され,一気にコンピュータ用のワープロソフトの代名詞になったのもこのころです(1983年頃)。しかしながら,変換効率が悪く,使い勝手が余り良くない一方,バージョンアップもされずにその上大変高価であったため,発売元の管理工学社が「官吏高額社」と陰口をたたかれ始めた頃,ジャストシステムより一太郎が初めて発売され,これも爆発的に売れました。(1985年頃)。そのソフトのネーミングの異様さに「本当に市販されているワープロソフト?」と耳を疑ったものでした。

 大学卒業後,初めて買ったデスクトップはPC-9801VX2です(1986年11月)。CPUがそれまでのV30から一気に80286に変わって,処理能力がグンとアップしました。そのころ,CRTとドットインパクトプリンタ(エプソンVP-135K),もちろんVX本体込みで秋葉原価格で70万円也でした。考えるによくそんな金があったなと自分でも感心します。今頃、貯めとけばどんなパソコンがかえるやら。

 実は、本日現在(2015年6月10日)中古市場にまだ残ってるんです。価格、4万円強で売ってます。何に使うんでしょうかね。

 話をもとに戻します。

 ワープロソフト「松」はやっと重い腰を上げ,松86にバージョンアップするもつかの間,一太郎もバージョンをV2,V3とあげてきて,ワープロ戦争もこのあたりになるとだいたい勝負がついた感じがしました。なんと言っても一太郎の強みは,日本語入力部分(FEP)のATOKのみでも販売され,他のソフトの起動時に読み込むことで,一太郎を使うがごとく他のソフトでも日本語入力ができるようにしたところでした。日本語FEPのフリーソフトウェアのWX2がネット上で成長したのもこのころでした。

 さて,コンピュータのソフトウェアが巨大化するにつれフロッピーディスクだけではアプリケーションの実行が難しくなってきました。忘れもしない一太郎がV3までは実行ディスク1枚有ればなんとか事足りたのに,V4になってからというものすっかり「でぶちん」になってしまって,実効速度は落ちるし,フロッピーディスクは箱ごともって歩かないとワープロ使用中にことあるごとに差し替えを求められるし,とうとう我慢できずにハードディスクを購入しました(1988年)。でも私はしばらく一太郎V3を愛用していました。

 当時のパソコンは、MS-DOSというOSの上で走るようになっており、電源を入れると、挿入された5インチディスクのconfig.sys を読み、さらに、autoexec.bat にかかれた順序でソフトウェアを実行するというとてもシンプルなシステムでした。ハードディスクを外付けのRS−232Cポートにつなげて起動することで、5インチフロッピーを差し込む手間がなくなり、代わりに、バッチファイルに記載したメニューで、いろいろなソフトウェアを実行するという画期的な状況に変化しました。これは、今考えても、劇的な環境の変化といってもいいと思います。確か、自分が初めて使った外付けのハードディスクの容量は20Mbくらいだったのではと思います。5インチディスクが640kbだったですもの。笑

 さて,PC98&MS-DOSぞっこん状態からマックにいきなり乗り換えたのは,なにをかくそう,「常に情報提供をしてくれていた兄貴がマックに乗り換えたから」といういたって簡単で浅はかな理由から。(それまでのぞっこん状態が嘘のよう。)

 マックはちょうどそのころOSが漢字talk7.1でCPUが68030に変わったLCIIIを購入しました。(正確に言うと購入してもらった,の方が正しい)。誰でもつかえるマックを両親のぼけ防止にとの配慮で買ってくれたものの,すっかり私のおもちゃとなり,これでマックの罠にはまった私は,PM7300/166を自分で購入するに至ったのです。(平成10年頃の話)

時代は変わり、最近の状況を少し。

メイン機はiMac 24インチ、サブで仕事用はDeLL Vostro になっています。
仕事用のアプリはFileMaker Pro で受注、発送処理をしています。

 

農産物の販売の今後の方向性として私の考えていること。雑談です。

 私が約20年前にアメリカに農業の視察研修に行ったときに痛切に感じたことがあります。
カリフォルニアでリンゴを栽培している圃場の前に看板が立っていました。そこには,栽培する過程で使用した農薬の使用時期と倍数を表示してありました。そうしないと,農家は次の農薬を購入できないのだそうです。私はそれを見て,自分は果たして農薬の散布について公開できるのだろうかと心配になりました。

 確かに,みかんに登録のとれた農薬を正規の倍数で,定められた回数の範囲内で散布してはいるものの,今のこの「農薬=毒,汚染物質,環境に悪いもの」の風潮の中,農薬散布する農家は時代に逆行しているように見られていて,公開したときに受ける自分の手がけた農産物の受けるマイナスイメージをとても心配しているのです。

 しかし,他方で,贈答品としての一面を持つ果実は,外観のきれいさをとても要求される品物でもあり,その要求を満たすためには,農薬の使用を抜きにしては考えられないのが現状です。

 消費者の皆さんが生産者に要求している農産物の品質を判断する2大要素(=完全なる安全性と完全なる外観)は生産者からみるとお互いに大変矛盾した2点なのです。

 そこで,私は考えました。
みかんに関して言えば,病気や虫の被害は大きく分けて2通り有ります。
一つは,一度被害を被ると致命的で,その後の樹や果実そのものの生長に重大な事態を招くおそれのある病虫害。
もう一つは,被害を被っても,外観に多少の傷や,病班を残すだけで食味には影響のでない病虫害です。

1.前者については,その農薬を省くことで被る被害の重大性を皆さんに知っていただきつつ,農薬の使用を容認していただく。
2.後者については,その農薬を省くことで出る傷や病班を理解してもらい,その傷を容認していただく代わりに,その病気に対する農薬の使用を控える。

ことを考えています。

 現在,農産物も昔のような「食料が少なく作れば売れる時代」から大きく転換し「消費者の求めるものを生産しなければ売れない時代」になりました。ですから,私達も農薬を食品添加物の一つとしての位置づけをし使用した農薬については隠さず公表すると同時に,消費者の皆さんにも農薬の必要性を認識していただき,おたがいに信用をして合意の上で農薬の利用を制限し,生産されたものは購入していただく。のが最もいい方法ではないかと最近考えています。

特別栽培に関すること

  ちょうど、ハウス蜜柑の研修会があって、2015年6月9日に県内の大崎町に行ってきました。

 ハウス蜜柑を栽培する上で、近年、最も問題になってきていたのは、ミカンハダニの防除が困難になってきているということです。

 ダニといっても、みかんとかお茶の葉や果実の表面を加害して、樹勢を落としたり、商品価値を低下させるダニで、人にはなんら害を与えません。
 そのハダニは生育サイクルが短いために、薬剤を散布してもすぐ薬剤抵抗性を持ち、別の農薬を散布しないと防除ができなくなってしまい、最近は、防除に使える農薬がとても限られてきています。

 そのハダニを防除するための方法として、大崎ではスワルスキーカブリダニというダニの天敵を使って防除する方法を確立していました。詳しくは省略しますが、この方法で、ダニの防除にかかわる農薬使用はだいぶ減少させることが出来るようになったということです。

 わたしのミカン畑は祖父から受け継いだ3代目の圃場ですが、最近、ミカンを植栽してもうまく育たない場所がじわじわと増えてきました。考えてみれば、同一の品目のみかんを植え続けて100年も経ってる圃場ですが、有機物そのものの補給もままならないままに、広い面積の農地を一生懸命管理をしている中で、振り返ると、土作りを本当にやれてなかったのかもと、そのいつのまにか枯れてゆくミカンの幼木をみるにつけ、思うようになりました。

 大学で、植物を育てる三要素、微量要素、そして、土壌微生物の働きを助ける腐食についても十分学んだことが、実際の農業では、日々の管理に終われているうちにいつの間にやらおろそかになっていたと思います。

  折しも、ひょんな事から、大学の後輩が外国でもうかれこれ10年以上も、日本野菜の栽培を必死に手がけていることを知りました;。種子を現地に持って行き、試行錯誤を繰り返しながら、それも、完全有機栽培で取り組んでいるとのこと。

 その努力に驚き、また、感動もしました。 農業を生業としているからには、植物に真っ正面から向き合い、土にまみれ、植物と対話をしながら、その恵みをいただくことが一番大切と、改めて、考えさせられました。
まだ、間に合う。有機栽培は無理としても、みかん栽培農家なりに、みかんの樹と真っ正面から向き合って、また、農業のできる喜びをかみしめたいと、深く誓う今日この頃です。

産地直送に関すること

 お陰様で、最近、直送を希望されるお客様が増えてきました。いつも心がけているのは、「先方様にご依頼主のお気持ちを届ける」ということです。

 もちろん、私の栽培したミカン類をお送りするのですが、みかんそのものをお送りするのだけではなく、わたしのみかんがご依頼主の気持ちを代弁していると、常に意識をしています。
そのために、その時にお送りできる、いい品質のみかんをお送りするよう努力をしています。


連絡先

末永農園 末永俊浩

〒899-3611 鹿児島県南さつま市加世田津貫11242

Tel/Fax 0993-55-2208