インドネシアの民家


 ひとくちにインドネシアといっても日本の5倍もの国土があり、 1万以上の島々からなる多民族国家であるため、 ここで紹介できるのは、そのうちでのごく一部だけであります。
 学生の時にインド・東南アジアと放浪の旅に出かけ、 インドネシアにはマレーシアから船でスマトラ島(インドネシア北部の大きな島)のメダンに入りました。
(この島の最北アチェでは、今独立運動がおきて問題になっていますが。)  メダンから内陸の方に入って行くと、バタック族の町にたどり着きます。 その伝統的民家は高床式で屋根は大きく反っています。 純正の材料はやしの木の繊維ですがトタンに葺き変わった家も多くありました。
 集落の形態は写真のような家屋が横一列に並んでいて、広場を挟んで米倉がまた横一列に並んでいます。 昔は防衛上の理由から、集落全体を塀で囲っていました。
バタック族 伝統的民家

ニアス島バオマタルオの伝統的民家

 スマトラ島からさらに、船で西に一晩かけて着いたところが小さなニアス島です。
日本人旅行者など滅多に行かないところです。(もし行った人がいたらメールください。)
大きな丸太の土台の上に、箱型の家が乗り、屋根は高くそびえています。その真中には突き上げ式の天窓が開いています。 高い小屋裏は、断熱効果が良く天窓から涼しい風が入ってきます。

バタック族 高床式の米倉
 高床式の米倉は湿気や小動物の侵入を防ぎます。
一段下の架台は、作業をしたり、休憩場所になったりします。
ミナンカバウ族の伝統的民家
 スマトラ島のほぼ中央内陸部にブキテインギという街があります。 この辺りには、牛の角を象徴した尖がり屋根の、ミナンカバウ族の民家が多くあります。
 写真は、権力を持った人の家なので、かなり大きいのですが、一般の民家も屋根に、この角が4本ぐらいあります。 外壁には竹をあじろに編んだ物が一般に使われています。
 この民族は、また母系制で代々女性が家や財産を受け継いでいきます。(家の主はお母さんなのです。)
ニアス島グヌン・シトリの伝統的民家
 同じ小さなニアス島なのですが、こちらは北部の伝統的民家です。
バオマタルオのものより、ひとまわり小さくて、なんと平面が楕円形をしています。 (上のバオマタルオまでは行った人がいたとしても、ここまでは行った人はいないでしょう。もしいたらメールください。)
マドラス島の伝統的民家
 マドラス島はジャワ島西部にある島です。 ヒンドウ教の影響から、その民家は土を固めた基壇の上に、木の柱を立てて造られます。
 屋根は高く持ち上げられ壁には竹を網代に編んだものがよく使われます。 軒の出は長く、高い小屋裏とともに外の暑さを和らげる効果があります。

 観光地として、有名なバリ島には、そのほとんどがイスラム教であるインドネシアにおいて、 昔からのアミニズムとヒンドウ教が一体になった独自の宗教文化が残っています。 その建築も独特で、まず神の住む山側と悪魔の住む海側とでベクトルが定められます。 塀で囲まれた民家は分棟形式になっていて山側には居間や祠が、海側には厠や台所が配されます。 門は直角に曲がって入る形がとられ、これは悪魔の進入を防ぐといった意味があります。
 村の構成もこのベクトルにもとずいて山側には寺院が、海側にはお墓が配置されるといった具合です。

バリ島寺院の門

 インドネシアの東にある大きな島、スラウェシ島のほぼ中央山間部にタナ・トラジャがあります。
この民家の形態、どこかで見たことがありませんか。
そう、コーヒーメーカーのシンボルマークにもなっています。
 写真は右側が住まいで左側が米倉です。家屋すべて同じ方角を向います。 特徴的な船形屋根は昔航海民族であった名残であるとの説があります。
トラジャの伝統的民家

 高床式の家屋の前面には、バルコニーのようなものがあり、 長く張り出した庇を支える棟持ち柱には水牛の角が飾ってあります。
 ここでは葬式の時、豚や水牛を生贄として捧げる風習があり、この角の数がその家の財力を表わしています。
トラジャの伝統的民家
 以上、インドネシアの伝統的民家の紹介になってしまいましたが、 インドネシアでもまた、かつての日本のように近代化という名分のもと伝統的な民家は失われつつあります。 しかしまだこれらの民家と共にある人々の暮らしも残っています。
 多民族が近隣に住む環境で民族としてのアイデンテイテイーを守るため、 その特徴ある形態の民家が生まれてきたのかもしれません。
 またその土地の自然環境のもとで快適に暮らすための知恵もその形態に見ることが出来ます。
 これらの民家をそのまま残すというのは現実的でないでしょう。 しかし、その知恵と精神性は引き継いでいって欲しいものです。
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