第二次世界大戦終戦直後の1945年8月22日
吉松、真幸間の第二山神トンネルにて
列車が勾配を登りきれず立ち往生、線路を歩いて避難していた所に
列車が逆行してきて50人以上が轢死したと言う惨事である。
客車の屋根までも鈴なりの乗客という超満員の列車であった上、
粗悪な石炭、整備が行き届かず疲弊した機関車、
狭い真っ暗なトンネル、乗客への案内の不備など様々な要因が重なった事故である。
付近には慰霊碑が設置され地元の方々が慰霊されている。

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