瑞応院跡


【担当者コメント】
 瑞応院は大通りを挟んで、枚聞神社の西側の住宅地に位置している。
 廃仏毀釈により仏像などの頭はなくなっていて、見るからに無残である。

 【「ふるさとの文化財」より抜粋】
 瑞応院は開聞宮の別当寺であった。本尊は聖観音、阿弥陀、薬師ほか6体で、開山は真言五祖の一人智通僧正で、
 大化5年(649年)の春開聞岳に梵字を構え、白雉3年(652年)この地に寺院を建てた。
 その後、数百年の間、廃寺となていた正中3年(1326年)島津公が真言宗舜請和尚に中興させ、坊津一乗院の
 末寺として開山した。その後、明治初期の廃仏令に至る約450年の間、60数世の住職が続き、また開聞宮の
 別当寺として神社の座主つとめ、神領206石の内179石を授けられ、神仏混淆による神事に参画して大きな
 権力をもっていた。
 この寺には島津元久、家久公の位牌も安置され、頴娃郷の菩提所でもあった。
 本尊は、明治初年の廃仏毀釈の難をさけるため石棺に埋め隠していた。廃仏令が解かれたので、明治12年に
 掘り出したところ木像は光輝を放って出現し、今は坊津久志の広泉寺に安置され、住民に崇敬されている。

 


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