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 人生、山あり谷あり  川原和人
◆物心ついた頃には、大工さん達がそこにいました。◆

私の祖父は、大工でした。昭和23年に亡くなるまで棟梁として何人もの弟子を育てたようです。
現在当社の大工達は、私の祖父の代から師弟関係で数えると、五代目の大工になります。

私が物心ついたころには、実家の庭先の切り込み場には、大勢の大工がおりました。
現在は構造材の加工はプレカット(工場での機械加工)がほとんどですが、
以前はすべて大工が手加工していました。また加工機械も当時は少なく、
鋸・カンナ・ノミ等による手加工でしたので多くの大工を必要としたのです。
一人の棟梁に20人ぐらいの弟子がついていた様です。

私は小さい頃、若い大工の弟子達に遊んでもらったことを、かすかに覚えています。
現在のような高学歴社会でなかった当時は、大工の新弟子は中学校卒業者がほとんどでした。
私の相手をしてくれたのは、中学の制服を着た坊主頭の新弟子達でした。

たぶん、幼い私が仕事の邪魔になるということで、棟梁が弟子に子守りを命じたのでしょう。
その弟子の一人に、現在当社で働いている松久保大工の父もおりました。




◆いきなり苦難◆

東京で会社勤めを6年した後、マル川建設に入社しました。この時、私の父は、
私が後継者になるということで、本社と製材工場を現在の場所に移転新築しました。
ただ、当時会社の状態はあまり良くなかったのです。移転費用の全額を借入で賄っていました。
資金的に無謀で無計画な投資でした。当てにしていた国金は借り入れができなくなり、
振り出した手形の決済ができなくなるような状況に陥りました。

もう駄目かな、という状況の中で地元の金融機関が融資に応じてくれて、何とか息を吹き返しました。
この時の借入額は、当時の年間売上高と同じぐらいの金額でした。
貸す方も貸す方だと思いましたが、この融資はありがたかったです。

◆再出発◆

しばらくして、現在専務である私の弟もマル川建設に入社しました。
昭和から平成になる頃には、景気拡大の影響もあり、仕事も忙しくなりました。
精神的にもゆとりができ、様々な会合に参加して仲間を作り、資格の勉強や、
フランチャイズに加入して新しい工法に取り組んだりと、
今ある自分の考え方や仕事の基礎的な部分が出来上がっていきました。

それから30年、決して平たんな道のりではありませんでした。
しかし、こうして仕事を続けられることに幸せを感じています。

マル川建設は、今年で創業60年。地域の皆様・お客様のお陰です。
感謝しています。

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