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町 と 町 2005.7.21.記 2007.7.6.加筆
「町」という漢字の意味を、中国最古の辞書『説文』は、「田の践(あゆ)む処なり。」 つまり、耕地に入り込んだ末梢の農道のことだというふうに説明しています。「田+丁=町」というふうに考えると、なるほど納得のゆく説明です。
言葉だけでなく、実際の町もまた、まさに「田の践(あゆ)む処」として始まっています。
漢時代の『氾勝之書』ですが、「區種法」という農法の記録によって、そのころの町のようすを知ることができます。
(『斉民要術』巻一、種穀第三)以畝為率。令、一畝之地、長十八丈・廣四丈八尺當、横分十八丈、作十五 町 。町間分為十四道、以通人行。道、廣一尺五寸。
町皆、廣一尺五寸、長四丈八尺。尺直横、鑒町作溝。溝一尺、深亦一尺。
積穣於溝間、相去亦一尺。嘗悉以一尺地積穣、不相受令宏作二尺地以積穣。これは、「區種法」をおこなう「區田(区田)」の設計書きですが、華北の黄土地帯において丘陵の斜面に段々畑が拡がっている様子を想像するとよいのではないかと思います。
(中国の「畝」は100畝で1頃となる面積単位ですが、この1畝という面積を、ひとつが長さ4丈尺・広さ1丈2尺になる15片の区画( 町 )に切り分ける。あいだに広さ1尺5尺の小道( 町 )を挿入する。また、畑の両側に通した排水溝の脇に堤防がわりの穣土を積んで耕地を保護する。)
元になる1畝(8640平方尺=240歩)を15等分すると、1つの面積は 576尺=16歩になります。こちらが先んじて「町(作十五 町 )」と呼ばれているのは興味深いことですが、 町 は、とにかく「皆、廣一尺五寸、長四丈八尺。」という「道、以通人行。」であって、すなわち「田の践(あゆ)む処」であったことは確かです。
この「區種法」あるいは「區田」の理念は、「旁らの地を耕さずして、あまねく地力を尽くさしむ。」ということで、畑を開墾するときから、自然の地形を崩さないように配慮するので(凡區種不先治地便荒地為之)、広いあぜ地を抱えた猫の額のような畑の列が段々に並ぶ景観をなしますが、耕作基盤がしっかりしているので、黍・麦・大豆・荏・胡麻・粟などを植えると、あぜ地に留められた分を補って余りある収穫が期待できる。加えて、
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旱(ひでり)の折に水遣りをすると、一畝の収穫が百斛を超えることもある。最後の一言は、とくに耳寄りなはなしで、聞き逃せません。
律令時代の日本でも、阿波の国や山城の国で、「陸田」が班給されたことがありましたが、その際なにげなく水田の面積法が通用されたとすれば、水田と「陸田」の分け目は、上水が得られるかどうかです。たとえば、區田の 町 はを見て、畔の1箇所に水口が切ってあれば水田で、何も無ければ陸田ということになるわけです。( 『周禮』が描く水田のしくみ 2006.1.17.)さて、こうして水田化された區田が実際にあるとして、その景色は、今見る「棚田」の景色と、何ひとつ変わらないと言ってよいでしょう。これもあって、私は、日本の水田の面積の単位が町になっているのは、區田の地割形式を受け継いでいることのなによりの証だと思います。
(町のかたち 2005.7.15)
ただ、日本の水田の「町(=10段)」のひろさは〔129600尺=3600歩〕で、區田の 町 〔576尺=16歩〕からすると、桁違いに大きな面積になっているのはどうしてでしょうか。凡田、長30歩、広12歩為段。10段為町。段租稲2束2把。町租稲22束。
しかし、大宝令(AC701)以前から実際に徴収されていた租稲の束数はもっと少なくて、
熟田100代租稲3束。町租稲15束。
この「代」という地面がつまりは 町 であり、おそらく、この小さな「町」に対して「代」の字を当てておいて、500町(代)をまとめた面積に「町」の字を当てるという言葉の配分がおこなわれ、されたまた、水田化された「區田」に対しては「熟田」という名称が与えられたのだと思います。
熟田1 代 の面積は 259.2尺=7.2歩。その内、1代の面積は〔180尺=5歩〕。
區田の 町 の半分くらいの大きさですが、 町 が介入して本地を狭くする度合いが大きい。
「熟田50代」をまとめた面積は田1「段」に相当する。
田1段(熟田50 代 )の面積は〔12960尺=360歩〕。その内、50代は〔9000尺=250歩〕。
「熟田500代」をまとめた面積は1「町」に相当する。
田1町(熟田500 代 )は〔129600尺=3600歩〕。その内、500代は〔90000尺=2500歩〕。
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ところで、養老六年(722)四月、陸奥按察使管内に良田百万町を開墾せよという"とてつもない命令"が下されていますが、「町」を 代に置き換えてみれば、百万代つまり2000町の水田を開墾するに止まり、現実味のある政策として理解できるのではないでしょうか。
〔2007年7月6日追記〕
その後、日本全国において、この"とてつもない命令"の必要性を理解するに至ったので(『良田百万町開墾政策』は日本の田圃を変える)、「町を代に置き換えてみれば云々」という説は余儀なく取り消すことにします。
私的には我田引水の素晴らしいアイデアと自画自賛していたので、捨てるのがほんとに惜しくて、断腸の思いです。.home
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