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今年、己丑年(2009年)の六月一日(7月22日)には、 「今月今夜の暦」という考えからすると、日食(日蝕)は、昼のさ中に束の間の短い夜が訪れることだと理解されます。もとより太陽の光を遮って空を暗くするものがほかでもない今の月であれば、これを「今月今夜」と言うのに遠慮はいらない。また、「もういくつ寝るとお正月」というふうに(日食の到来を心待ちにして)カウントダウンできるのは、自然の月を数える暦の利点です。暦の天文学的な解説は弱輩の手には負えませんが、月と季節の関係については、日食との触れ合いを通して説明すると、うまくゆくのではないかと期待しています。 また、3年後、壬辰年(2012年)四月一日(5月21日)には、九州・四国・東海・関東の太平洋岸沿いに金環食が見られます。 今月今夜のこよみ(3ヶ月ぶん) さしあげます。 . 年 year 己丑(つちのとうし)の年 |
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十干(甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸)と、十二支(子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥)とで、60通りの組み合せになります。甲子に始まり癸亥に終わる60年を経過して、また甲子に戻ることを「還暦」といいますが、今年は、その26番目の年です。来年は、27番目の「己丑(かのゑのとら)」の年になります。
昼のこよみ(太陽暦) 1太陽年、4季(春夏秋冬)、12節月、二十四節気。
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. あまたの星が輝く天球上に、「黄道」と呼ばれる太陽の通り道があり、その環道を太陽が長い時間をかけて1回りするサイクルが1年ですが、 月日は百代の過客にして、 ということで、実際には、地球という惑星が太陽の回りを回っていたわけです。 |
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| . 春 . . 夏 . . 秋 . . 冬 |
一月(むつき) 二月(きさらぎ) 三月(やよい) 四月(うづき) 五月(さつき) 六月(みなづき) 七月(ふづき) 八月(はつき) 九月(ながつき) 十月(かんなづき) 十一月(しもつき) 十二月(しわす) |
立春〜雨水〜 啓蟄〜春分〜 清明〜穀雨〜 立夏〜小満〜 芒種〜夏至〜 小暑〜大暑〜 立秋〜処暑〜 白露〜秋分〜 寒露〜霜降〜 立冬〜小雪〜 大雪〜冬至〜 小寒〜大寒〜 |
(2月)February.
4. 2009. 〜 (3月)March. 5. 〜 (4月)April. 5. 〜 (5月)May. 5. 〜 (6月)June. 5. 〜 (7月)Jury. 7. 〜 (8月)August.. 7. 〜 (9月)September. 7. 〜 (10月)October. 8. 〜 (11月)Nobember. 7. 〜 (12月)December. 7. 〜 (1月)January. 5. 2010. 〜 |
冬 |
秋 |
夏 |
春 |
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| 季冬
十二月 |
仲冬
十一月 |
孟冬
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季秋
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仲秋
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孟秋
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季夏
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仲夏
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孟夏
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季春
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仲春
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孟春
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節気月 | |||||
| 小寒 285 |
大雪 255 |
立冬 225 |
寒露 195 |
白露 175 |
立秋 135 |
小暑 105 |
芒種 75 |
立夏 45 |
清明15 | 啓蟄 345 |
立春 315 |
節
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| 大寒 300 |
冬至 270 |
小雪 240 |
霜降 210 |
秋分 180 |
処暑 150 |
大暑 120 |
夏至 90 |
小満 60 |
穀雨 30 |
春分 0 |
雨水 330 |
中
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(数字は、太陽の地心視黄経。) |
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さらに七十二候という細かな節目が設けられていますが、具体的な気象変化に話が及んでおり、取り扱いが難しいので割愛します。 |
月 month
右の計算結果により、月と太陽の黄経差をストレートに描いてみました。月の運びが一見不規則に遅速している実情がわかる絵です。このような図ははじめて作りましたが、この様子を地上から見ると月のかたちになるということで、今まで大切な作業を手抜きしていたようです。 |
月の満ち欠け 月は、地球のまわりを回っている唯一の衛星ですが、ひとまわりするごとにちょうど1回自転して、いつも同じ半面を地球に顔向けしています。月が明るいのは太陽の光を反射しているためで、日当(ひなた)になっているところだけが明るく見え、日陰になっているところは暗くて見えなくなるので、地上から見る月は、ひと月の間に、満ちたり欠けたりしているように見えます。ただし、月は地球を離れてだいぶ遠くにあるので、その夜には地球のどこからでもだいたい同じかたちに見えます。したがって、 太陽と月の黄経・黄緯の計算 「計算対象天体を選択して下さい」といわれるままに、 |
. 昼夜の刻数は此国の見る所也 薩摩暦 |
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月の大小
「太陰暦」では、朔(新月)の日を期して新しい月が始まります。天体の月が地球をまわる(みかけの)公転周期はおよそ29.5日なので、おのづから、30日になる月と、29日になる月ができます。
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夜のこよみ(太陰暦) 今年(2009.1.26.〜2010..2.13.)は、閏五月を含め13ヶ月、384日の年。
(日数)
大(30)
大
小(29)
小
大
小
小
大
小
大
小
大
大己丑
一月
二月
三月
四月
五月
閏五月
六月
七月
八月
九月
十月
十一月
十二月(節 → 中)↓
十日(立春)
九日(啓蟄)
十日(清明)
十一日(立夏)
十三日(芒種)
十五日(小暑)
ニ日(大暑)
二日(処暑)
五日(秋分)
六日(霜降)
六日(小雪)
七日(冬至)
六日(大寒)
廿四日(雨水)
廿四日(春分)
廿五日(穀雨)
廿七日(小満)
廿九日(夏至)
(中 → 節)↓
十七日(立秋)
十九日(白露)
二十日(寒露)
廿一日(立冬)
廿一日(大雪)
廿一日(小寒)
廿一日(立春)参考
(グレゴリー暦)(日数)
(28)
(31)
(30)
(31)
(30)
(31)
(31)
(30)
(31)
(30)
(31)
(31)
February.2009
March
April
May
June.
July
August
September
October
Nobember
December
January.2010節
4日(立春)
5日(啓蟄)
5日(清明)
5日(立夏)
5日(芒種)
7日(小暑)
7日(立秋)
7日(白露)
8日(寒露)
7日(立冬)
7日(大雪)
5日(小寒).中
18日(雨水)
20日(春分)
20日(穀雨)
21日(小満)
21日(夏至)
23日(大暑)
23日(処暑)
23日(秋分)
23日(霜降)
22日(小雪)
22日(冬至)
20日(大寒)
〔自然月〕の中に節気を置くと、どこかに「節」が欠けた月や「中」が欠けた月が出て来ますが、「中」が欠けた月があると、その月を閏月としています。今年はその「中」が欠けた月が出て来る年回りで、閏五月が置かれています。 大大小大小大小小大小小大大 閏五月にしたがって、次の六月小は、本来の六月「節」を欠くことになり、六月「中」を初旬に迎え、七月「節」を中旬に迎えることになります。 |
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六月一日(7月22日;Jury.22.)にはトカラ列島で皆既日食が見られます。 全国各地でも相当の部分食が見られます。 |
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http://www.f3.dion.ne.jp/~p2k/eclipse2009.html
日蝕は、とりあえず、自然の月が新たに始まる日に見られる天文現象です。また、自然の月を新たに数え始める日に見られる天文現象です。もちろん年季的な条件も不可欠ですが、これは二の次です。実際、ここでは朔月が太陽を隠すのであって、太陽が朔月の陰に隠れるわけではないのです。だいたい太陽はそれほど恥ずかしがり屋さんなのか?
そうすると、私はこれを言いたくて焦っていたのですが、(自然の月を踏まえて来たために)その日を「1日」と言うほうがどれだけ優れていることか。(季節の月を踏まえて来たために)その日を「22日」と数えるのは愚かなことに思えますが、実際はどうなのでしょうか。
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月と太陽が出会って日食が起きる状況
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〔黄道〕 〔・春分点〕と〔・秋分点〕 〔白道〕 天球にある月の通り道です。 |
朔と日食
| 〔・昇交点〕〔・降交点〕は、〔黄道〕と〔白道〕が交差するところです。 自然の月が変る日には、〔白道〕にいる見えない月が〔黄道〕にいる太陽に追い越されるわけですが。2つの交差点の近くで追い越されるときには、月の影で太陽が覆い隠されることがある。これが日食です。 今年の六月一日(7月22日)には |
己丑年↓ 一月朔 二月朔 三月朔 四月朔 五月朔 閏五月朔 六月朔 七月朔 八月朔 九月朔 十月朔 十一月朔 . 十二月朔 庚寅年↓ 一月朔 二月朔 三月朔 四月朔 五月朔 六月朔 七月朔 八月朔 九月朔 十月朔 十一月朔 辛卯年↓ 十二月朔 . 一月朔 二月朔 三月朔 四月朔 五月朔 六月朔 七月朔 八月朔 九月朔 十月朔 十一月朔 十二月朔 . 壬辰年↓ 一月朔 二月朔 三月朔 閏三月朔 四月朔 五月朔 六月朔 七月朔 八月朔 九月朔 十月朔 十一月朔 . 十二月朔 |
2009年に月・太陽黄経差が 0°となるのは 12回 |
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![]() 日食の中心地はこのへん→ ● |
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先ほどのページ(http://koyomi.vis.ne.jp/sub/sunmoon_long.htm)で尋ねたところ、その六月朔の時刻は午前11時35分で、黄緯差は0.007度という予測でした。しかし、トカラ列島で皆既日食が見られる時刻はそれよりもやや早く午前10時55分頃になるそうです。これは何故かというと、太陽の側から地球を見たときに(上右図)、空の月は左から右に向かって進んでおり、地球の表面も自転によって左から右に移動しているのですが、月のほうがスピードが速いので、地表に投影される月の影も西から東に向って進んで行くわけです。要するに、空の太陽が南中したときに食が最大になるような日食の中心地がひとつあり、その西側では午前中に日食を迎え、その東側では午後になって日食を迎えることになります。この意味では、日食は月の影を移しながら明け方から夕方までダラダラと続いているわけですが、そういう皆既日食帯がどこを通っているかということは、白道面を地球儀に当てて見ると一目瞭然かもしれないと思いながら、まだやっていません。 壬辰年(2012年)四月一日(5月21日)には九州・四国・東海・関東の太平洋岸沿いに金環日食が見られます。 今年の日食のことは既にご存知だと思いますが、3年後に今度は金環食が日本国内で見られるそうです。閏三月が明けた四月一日というのは偶然のことだと思いますが、今年の日食から数えると、三十五月目の朔に当ります。 〔参考1〕月・太陽・地球の大きさと距離 月●........直径 3,475 km(地球●の0.2579倍)
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太陽●.......赤道直径 1,392,000 km(地球●の109倍、月●の40倍) 太陽●........地球●からの距離 〔参考〕 月と太陽の天球上の動き →
「◎太陽」を選択して、
「◎月」を選択して、 上の視黄経データにより、太陽と月の五月の間の足どりをストレートに描いています。黄道上を進む太陽が30度弱回転する間に、白道上を進む月は〔360度+α〕回転する30日30夜のことです。 |
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〔参考ホームページ〕
http://eclipse.gsfc.nasa.gov/SEgoogle/SEgoogle2001/SE2009Jul22Tgoogle.html
今度の日食の全貌がわかります。
http://www.nao.ac.jp/koyomi/topics/html/topics2009_2.html
画像(皆既日食帯の地図)を無断で拝借しました。
以下は書きかけです。
宝暦十三年九月朔日の日食に際して、薩摩の磯永孫四郎は、その食分を4分と予言して、予報コンテストの勝ち組に入っているけれども、この栄誉はいったん辞退すべきではないのか?という主張ですが、まだよく調べていないので、仮説の域を出ず自信は無いです。(渡辺敏夫著 『日食・月食 宝典』) 磯永孫四郎と、宝暦十三年九月朔日の日蝕予知。
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皆既日食
皆既日食 . |
磯永孫四郎 諱は周英、薩摩国肝属郡小根占の郷士、鹿児島に来て本田武兵衛に暦学を学び、後江戸に出て西川正休の手附となる。宝暦の改暦には西川に従って上京、天文観測、新暦校合に従事した。世上しばしば、磯永を初めから京都方土御門家の助手としているものを見かけるが、誤解である。宝暦2年(1752)8月23日付で、土御門から「先達而薩摩守殿ヨリ御頼之通今日御門弟入被仰付」とあり、このときから初めて土御門家の弟子となった。数年京都に滞留、宝暦の新暦の伝授を受け、改暦後三年の測量を終って、宝暦7年(1757)帰国した。宝暦13年9月朔日の日食を推算して食分4分と予言して、官暦がこの食を記載しなかった誤を指摘した。明和2年(1765)2月14日没した。天真軒大安玄道居士と謚した。 宝暦13年9月朔日日食予報の失敗 宝暦甲戌元暦は宝暦5年から施行せられたが、9年後の13年暦には、9月朔日の日食を記載しなかった。土佐の人川谷貞六は前年10月5.5分の食があることを推算して藩候山内豊敷に上言した。 |
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皆既日食 宝暦十三年九月一日乙卯 (西暦1763年10月7日) (食の状況) 京都 食甚8:21 食分0.73、江戸 食甚8:39 食分0.64 (今年の日食では皆既日食帯の南限にある奄美大島が、逆に 北限になっているように、緯度にして2度くらい低い。) 皆既日食 明和七年五月一日丁丑 (西暦1770年5月25日) |
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宝暦十三年(AC1763.)九月朔日(10.7)の朝、京都において 晴天のもとに優々5分を超える日食が見られた。しかし、幕府天文方がつくり陰陽頭安部泰邦が監修した官暦には、この九月朔日食のことが記載されていなかったのに、民間の天文家にしてこの日食の状況を適切に予知していた者がいたので、暦官の権威が失墜するとともに、天文方の無能力が明らかになった。もっとも、幕府天文方では食分は2分か3分で非常に浅いと推算していたので、委細構わず日食を注記していれば問題はなかったわけです。 いずれにしても、この頃は世間における天文学への関心の高まりにも警戒する必要があったのに、職務に倦んで油断しているところを、新進気鋭の民間天文家たちに突かれて、日食予報の正確さを競うコンテストに巻き込まれてしまったのは残念ですが、この勝ち負けは、食分予想の数字に基づいて判定されています。 (勝ち組) 谷川貞六(5.5分) 西村遠里(4.5分) これでは官民格差があからさまのようですが、勝ち組の中でも磯永孫四郎は薩摩藩の暦官という特異な立場にあったので、彼が食4分を予言したことは、貞六、遠里、剛立のように、純粋に物好きが昂じた結果とは見られません。また、土御門(安部)家の門弟として宝暦の改暦事業に長年従事した経歴からすると、彼もまた幕府天文方と同様に「近世歩日食、多依授時暦旧貫推之」のみで、永続的な観測の成果と照し合せて「増減改正」をおこなっていた貞六ではなかったので、孫四郎の日食推算の結果はおそらく幕府天文方と同じく3分以下であったものの、ひとりだけ地理的な要素に恵まれていた。すなわち鹿児島は、京都から遠く離れているぶん、皆既日食帯にかえって近いので、およそ2分ほど加算して、鹿児島で見られる日食を、4分と予言したのではないか。 |
明年癸九月乙卯朔日食、御暦不注、或雖交限食分至浅、似不可見焉、蓋近世歩日食、多依授時暦旧貫推之耳、不免時有大差、臣用力三十年、甞窃増減改正、至此偶獲六分弱食、可謂奇怪之盡也、不知天象果如何、姑題于巻首、以俟天心清明当否云爾、 また薩摩の暦官磯永孫四郎も4分推算、京の西村遠里は4.5分、豊後杵築の麻田剛立も5分と予言した。さらに中根元圭の子、彦循に学んだ阿波出身で京都に住んだ儒者、曽我部容所なる人も推算と観測を行なっている。 (渡辺敏夫著 近世日本天文学史(上)−通史−)
・鹿児島(4分)
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ただ、もしそうであれば、彼は京都で本当に成功を収めたとはいえないので、有名な話として語り伝えて来たことが嘘になります。賞与に関する一切の疑惑をしりぞけ、孫四郎の名誉を守るためには、彼の4分は、「京都で4分食が見られる」と言って、その場所を明確に京都と指定した4分でなければならないので、この場合に彼がおこなったことを再構成すると、まず、薩摩暦の基地(鹿児島)において見られる食を推算して、5分以上(仮に6分とします)の結果を得たことがあった。つぎに、日本暦の基地(京都)で見られる日食は、これに比べれば、ずっと浅くなる理屈なので、(6分から仮に2分を差し引いて)4分と推測した。 鹿児島に帰って来た孫四郎は、この日食を迎えたとき、もっと有能な天文家になっていたのか。この場合、ひとりだけ地理的な要素に恵まれていたということの意味は、たとえば京都と鹿児島の間にある緯度の差を体験できたことであり、このような天地の恵みは、孫四郎において、遠里が言う「自家の暦法」を育てずにはおかなかった。 (続く) |
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2009.7.22. 皆既日食帯のイメージ 1763.10.7. 皆既日食帯のイメージ