エラトステネスの井戸 2005.5.15    あゆみ(歩)

 私が「距離や面積の測り方」といっている事柄は、現在では、自然科学と技術の中の、2つ 〜1.測量(Surveying)、2.幾何学(Geometry)〜 の専門領域に分かれて、あきらかに別趣の事柄として、おこなわれています。しかし、紀元前数千年前、ナイル河の氾濫が収まった後に農地を元通り配分する事業が、測量発達させ、また幾何学発達させたときには、測量と幾何学をわけへだてることはあまりなくて、有能な測量家はすなわち優れた幾何学者であり、優れた幾何学者はただちに有能な測量家になりえたのではないかと思います。

グローバルな測量とは?
 なにげなく口にした測量という言葉の、ほんとうの意味を調べてみると、フリー百科事典 Wikipedia では、地球表面上の点の関係位置を決めるための技術・作業の総称。というふうに説明されています。

 私には「地上の」といってもらったほうが容易に理解できたのですが、そういうと、地面しか頭にない私などは、陸地だけでなく海水面なども(海洋)測量のフィールドになっていることを忘れてしまうので、「地球表面」という言葉で、(地上?の)あらゆる境域が測量のフィールドであることを注意したのだと思います。私は最初に、これを"まるい地球の"表面上の点というふうに誤解したので、つぎのようなことをいっているのだろうと受け止めてしまいました。


 この「点」というのは、"まるい地球の"表面上の点だから、球面の経緯に依拠して、グローバルに位置づけしないといけない。そうでないものはいまや測量と呼ぶにふさわしくない。

 また、日本では伊能忠敬が日本地図作成のため本格的な測量を行ったのが測量の始まりとされるといっていることも、それがまさしくグローバルな測量であったので、有史以来の幾多の測量行為をいまや測量と呼ぶにふさわしくないものにしたというふうに理解される。


 あとのほうも私の読み間違いで、「日本における測量の歴史も古い」ということも含みにして、伊能忠敬のそれが「西洋式の」あるいは「近代的な」測量の始まりとされるというふうに、必要な言葉を補って読みさえすれば、なんでもないことでした。
 しかし、伊能忠敬の測量については、
 "まるい地球の"表面上において測量をおこなった最初の日本人。
というところを、私はやけに強調しておきたかったので、読み間違いの原因の一端は私のそういう下心にあったようです。

プトレマイオスの偉業
 ちなみに、世界初のグローバルな測量は、いつ、どのように、おこなわれたのでしょうか?
 私がこれだと思った事件はやはりエジプトで起きていました。

 プトレマイオス朝の首都アレクサンドリアの図書館長をしていた
エラトステネス(BC276〜196)は、実際的な測量の方法に基づいて、地球の1回りの長さを計算しています。

「シエネの町では、太陽の光が、深い井戸の底を射通すことがある」というはなしは今では科学説話のひとつとして語られていますが、事実はどういうことだったのか? 英文ページに述べられていることを直訳してみました。


 エラトステネスは、地球を囲む円周の長さを推定したが、彼が出した結果が非常に正確だったことには驚かされる。
 その詳細を記した「地球の大きさについて」という論文があったが、現存していない。しかし、その計算の断片的な記録は、クレオメデス、スミルマのゼノン、ストラボなどの著作において、見ることができる。エラトステネスは、シエネとアレクサンドリアとの間で、夏至の正午に最も短くなる日陰の長さを比べてみた。
(シエネの町は、ナイル河中流にあり、現在のアスワンにあたる。)
 彼は考えた。太陽は遥か遠くにあるので、その太陽に発した2つの光線は、互いにまったくというほど平行になっているだろう。そこで、既に知っていたシエネ・アレクサンドリア間の地上距離を考え合せて、彼は、地球の周囲の長さは、250,000スタジアであるとした。

 いうまでもないが、この値がどれほど正確かということは、1スタジアムの長さ如何にかかっているので、後世の学者たちはこれについて遠々と議論してきた。論文[11]は学者たちがスタジアムに与えたさまざまな値のことを検討している。エラトステネスがほんとうに良い結果を得たことは事実だろう。仮に1スタジアムに157.2mを採ると、結果はめざましいものになる。これは、Plinyが与えた値から導かれるもののひとつである。Gulbekian が[11]において示唆しているように、エラトステネスが166.7mを用いていたとすれば、あまり良い結果とはいえないことになる。

 いくつかの参考論文(例えば[10],[15],[16])が、彼の結果の正確さについて論じている。特に論文[15]が際立って面白いのだが、その論文で、Rawlins は、かなり説得力のある説を展開している。
 エラトステネスの計算の中で、彼自身が測った寸法は、アレクサンドリアにおける夏至点と天頂との間の距離のみであった。そして彼は7°12'という値を得た。
 Rawlins は、これには16'の誤差が含まれており、このほかにエラトステネスがもちいた出所不明のデータはもっと正確だった、と言い張っている。

 エラトステネスは、太陽への距離も測って、804,000,000 スタジアとしている。また、月への距離は、780,000スタジアとしている。彼はの計算は、月食の開始から終了までの間に得られるデータを活用して、これらの距離を計算した。プトレマイオスによると、エラトステネスは地球の(回転?)軸の傾きを、180度の11/83になる大きさ(23degrees 51'15")でもって、とても正確に測っていた。

 エラトステネスは地理学にも大いに貢献している。彼のスケッチは、エチオピアから来る2つの支流を明らかにして、ナイルからカハルトウムに至る川筋を、極めて正確に写している。彼はまた、ナイル河水系の上流には淡水の海があるのではないかと考えた。ナイル河の研究は、以前から多くの学者がおこなっており、ナイル河の奇妙なふるまいを説明しようと試みているが、とりわけターレスの説明は最悪だ。エラトステネスは、水源付近の地域に時々大雨が降るのだとすれば、洪水が河を流れ下ることの説明がつくと考えたので、彼こそが、この問題に対して、まともに解答した最初の人といえる。彼はまた、Eudaimon Arabia地域(今のイエーメン)に4つの種族が居住することを記録したことでも、地理学に貢献している。現地の事情は、エラトステネスが名をあげた時より、やや複雑になっているものの、Minaeans, Sabaeans, Qatabanians, Hadramites。
これらの種族名は現在も用いられている。


(角距離)7.2度÷360度=1/50 (周上距離)5,000stadia 

  50 × 5,000 stadia = 250,000 stadia

 その計算は簡単な掛算で終わったと。Rawlins説はいうことは非常にわかりやすい。私は、出所不明のデータ、すなわち 5,000 stadia  ほうがより正確であったと彼がいっていることも、ほんとうではないかと思うので、地球周の1/50という気の遠くなる距離のことをすこし考えてみたいと思います。

5,000 stadia は、トロピカル距離
 シエネ(アスワン)の町は、現代の地図を見ると、北回帰線のすこし北側にありますが、古代エジプト人は「ここがまさに夏至の日に太陽が通るところだ」と信じていたとします。エラトステネスが必要としたデータは、夏至の日に太陽が通る道とアレクサンドリアの間の距離ですが、幸いなことに、こういう距離のとらえかたは、太陽神を崇拝する古代エジプト文明の性向とおそらく一致していたので、彼は必要なデータを得るのにさほど苦労しなかったのではないでしょうか。

 シエネの町で井戸の底まで光を差し入れたあと、時計の針は12分ほど進んで、太陽はバリスオアシスのあたりに移っています。私は、最初、シエネの町はここにあったのではないかと思ったほどですが、上のような距離観念が確立しているのであれば、エラトステネスの井戸も太陽と一緒に移動して東経30度の子午線上にあるのと変わらない。

 アレクサンドリア 東経30度 北緯31度
                (7.2度)地球周の1/50

 シエネ(アスワン) 東経33度 北緯23.8度180度の11/83北回帰線
                (0.0度)

 まるい形をした地球という星が他の星たちとともに宇宙に浮かんでいるというイメージを、ギリシャの哲学者たちは、既にもっていたようです。しかし、それは深遠な理論で終わったかもしれないものを、エラトステネスは、古代エジプトの測量技術と結びつけて、もっと身近な事柄にしてみせたというところでしょうか。

太陽はそれほど遠くにあるとは思えない
 今日も晴れていて、太陽を見たのですが、太陽はそれほど遠いところにあるとは思えない。そういう私は、シエネで日陰が無くて、アレクサンドリアで日陰があるのは、2つの光が平行でない証拠だと結論づけてしまうでしょう。つぎはそういう話をしようと思っています。

 あゆみ(歩)

古代エジプト(フリー百科事典 Wikipedia)

ナイル河は毎年氾濫を起こし、肥えた土を下流に広げたことがエジプトの繁栄のもとだといわれる。ナイル河の氾濫を予測するために天文観測が行われ、太陽暦が作られた。太陽とシリウス星が同時に昇る頃ナイル河は氾濫したという。氾濫が収まった後に農地を元通り配分するため、測量と幾何学が発達した。

 

測量(フリー百科事典 Wikipedia)

測量(そくりょう)は、地球表面上の点の関係位置を決めるための技術・作業の総称。地図の作成、土地の位置・状態調査などをおこなう。

測量業に従事するためには測量士もしくは測量士補の国家資格を必要とする。 内容については測量法において決められている。

歴史は古く、古代エジプトの時代からおこなわれてきた。 日本では1800年に伊能忠敬が日本地図作成のため、 蝦夷地(えぞち、北海道)で本格的な測量を行ったのが始まりとされる。

 


The MacTutor History of Mathematics archive

Eratosthenes of Cyrene

Born: 276 BC in Cyrene, North Africa (now Libya)
Died: 194 BC in Alexandria, Egypt

Eratosthenes made a surprisingly accurate measurement of the circumference of the Earth. Details were given in his treatise On the measurement of the Earth which is now lost. However, some details of these calculations appear in works by other authors such as Cleomedes, Theon of Smyma and Strabo. Eratosthenes compared the noon shadow at midsummer between Syene (now Aswan on the Nile in Egypt) and Alexandria. He assumed that the sun was so far away that its rays were essentially parallel, and then with a knowledge of the distance between Syene and Alexandria, he gave the length of the circumference of the Earth as 250,000 Stadia.

Of course how accurate this value is depends on the length of the stadium and scholars have argued over this for a long time. The article [11] discusses the various values scholars have given for the stadium. It is certainly true that Eratosthenes obtained a good result, even a remarkable result if one takes 157.2 metres for the stadium as some have deduced from values given by Pliny. It is less good if 166.7 metres was the value used by Eratosthenes as Gulbekian suggests in [11].

Several of the papers referenced, for example [10], [15] and [16], discuss the accuracy of Eratosthenes' result. The paper [15] is particularly interesting. In it Rawlins argues convincingly that the only measurement which Eratosthenes made himself in his calculations was the zenith distance on the summer solstice at Alexandria, and that he obtained the value of 7degrees12'. Rawlins argues that this is in error by 16' while other data which Eratosthenes used, from unknown sources, was considerably more accurate.

 Eratosthenes also measured the distance to the sun as 804,000,000 stadia and the distance to the Moon as 780,000 stadia. He computed these distances using data obtained during lunar eclipses. Ptolemy tells us that Eratosthenes measured the tilt of the Earth's axis with great accuracy obtaining the value of 11/83 of 180degrees, namely 23°51' 15".

Eratosthenes made major contributions to geography. He sketched, quite accurately, the route of the Nile to Khartoum, showing the two Ethiopian tributaries. He also suggested that lakes were the source of the river. A study of the Nile had been made by many scholars before Eratosthenes and they had attempted to explain the rather strange behaviour of the river, but most like Thales were quite wrong in their explanations. Eratosthenes was the first to give what is essentially the correct answer when he suggested that heavy rains sometimes fell in regions near the source of the river and that these would explain the flooding lower down the river. Another contribution that Eratosthenes made to geography was his description of the region "Eudaimon Arabia", now the Yemen, as inhabited by four different races. The situation was somewhat more complicated than that proposed by Eratosthenes, but today the names for the races proposed by Eratosthenes, namely Minaeans, Sabaeans, Qatabanians, and Hadramites, are still used.


 

「アレクサンドリアとシエネの間の道のりを間断なく測量しているのはもちろん、そのマンハッタン距離(Manhattan distance)を2つの成分別に集計することができる」というデータが用意されていたという都合の良い作り話ですが、しかし、古代エジプト人ならこういうことを平気でやりかねない。

追記 2006.12.22.

エラトステネスの篩(ふるい) 倍数をふるい落としてしまえば、残されたものはすべて素数であるという。
このツールを使って、1000未満の素数をすべて抜き出してみました。

Eratosthenes also worked on prime numbers. He is remembered for his prime number sieve, the 'Sieve of Eratosthenes' which, in modified form, is still an important tool in number theory research. The sieve appears in the Introduction to arithmetic by Nicomedes.

つぎの事柄も重要か?最重要かもしれないので書き留めておきます。

One rather surprising source of information concerning Eratosthenes is from a forged letter. In his commentary on Proposition 1 of Archimedes' Sphere and cylinder Book II, Eutocius reproduces a letter reputed to have been written by Eratosthenes to Ptolemy III Euergetes. The letter describes the history of the problem of the duplication of the cube and, in particular, it describes a mechanical device invented by Eratosthenes to find line segments x and y so that, for given segments a and b,

a : x = x : y = y : b.

By the famous result of Hippocrates it was known that solving the problem of finding two mean proportionals between a number and its double was equivalent to solving the problem of duplicating the cube.

 a/x = x/y = y/b   1/2 = 2/4 = 4/8   1/2 = 2/2 = 2/2√ mean(平均)