あゆみ
歩 Pick up
隼人が生まれてくる物語 目次
藤原京跡出土木簡 米升法とものさし もくじ
つもり重ねた不幸の数を
なんと侘びよかおふくろに
還って来た 風土を測るものさし
歩と身体ものさし(目盛のないものさし) 才という単位 千石船の才数をめぐる机上の空論 歩の内得米1升(町のかたち)
町 と 町 『周禮』が描く水田のしくみ
円田を測る 方円を測る.
鋸円材之術(円材を鋸引く術) 2004.10.08〜05.2.4.
月と季節とこよみ 2004.
2. 7〜.
今月今夜のこよみ(説明) . "writing-mode:
tb-rl" 大学章句ノート もくじ BBS(伝言板) 過去ログのみ閲覧できます。 Depend on you 文化朋党事件のページ 私のウェブログ 休眠中のWeblog
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.いったいどこまでゆけばいいのか わからない . (多賀城碑)
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はこぶ米 ..........
1升 = 1斤 160匁(600g) 現在の4合
食べる米 ........ 1升
= 0.8斤 128匁(480g) 現在の3合2勺 ↓ 水田の模様を描き写す(Mapping) ↓ (右より続く) 令内租法 と 令前租法 (慶雲3年9月10日格) ...........................................................................
段 租稲2束2把(減)(B 賎田1段 租稲1束5把(減) ........................................................................... 段租稲2束2把(減) 折衷=良田1段 租稲1束5把(不減) 今斗升既平。望請、輸租之式折衷聴勅者。...(AB) ........................................................................... 段租稲2束2把(減) こういう田んぼを「良田」という。 →良田百万町開墾政策 養老六年(722) この良田町形を踏まえて、みちのくの道程はどのように表されていたか? .
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米ます............今 斗升 既 平(均)。 ■■■ ■■■ ■■■■■■ 再び 運ぶ 米 ・・・・・
1升(不減)=1斤 160匁(600g) 現在の4合 食べる米
・・・・ 1升(減)
= 0.8斤 128匁(480g) 3合2勺 . 続日本紀 元正天皇 養老六年 閏四月乙丑 太政官奏曰
開墾膏腴之地 (見積り) 〔賎田一百万町〕
⇒ ⇒ 開墾
⇒ ⇒ 〔良田一百万町〕 開墾完了の暁には、既存の〔賎田一百万町〕に上乗せして、 続日本紀 元正天皇 養老七年(723) 四月辛亥 太政官奏曰、
続日本紀 聖武天皇 天平十五年(743) 五月乙丑 詔曰、
. 「エジプトひも」による正方区画の設営手順
〔注記〕 「エジプトひも」は、 〔09.04.27〕校庭で中学3年生対象に数学の授業
大6尺歩による再測定
. . 平行線の間に存在する距離のことを、「広さ」というとき、 . .
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出雲國風土記。
ローカルな地理空間の創出(国引き説話) . .
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(黒)ボタンを押さないと難度は反映されません
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. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 馬20匹、直金12斤。今売馬20匹、35人分之。 12×÷ 35 = 12 . .
3 × 4 = 12 かねに目がくらんだ人々は、生き馬の目を抜いた。 ということかもしれない。 . 実直な乗分術(面積計算) 3
× 4 = 12 .
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田 1町(耕地3600歩すなわち熟田500代) |
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. 最新 綿を積む船 と 棋験法の旅立ち April 7.2012〜 今年初めての更新です。 Q.角錐(すい)の体積を求めるとき、なぜ÷3するんですか? ですが、それは、「Q.なぜ×(1/3)するんですか?」という質問が出たときの答えではないのと(クレームをつけて)、棋験法は、つぎのように答えます。 このページでは、〔合蓋球〕(図1)について同様のことを考えています。 (図1) 立方体の内で合蓋球の外の部分を、仮に〔四角臼〕と呼んでおきますが、 Q.四角臼(うす)の体積を求めるとき、なぜ÷3するんですか? なぜ÷3するんですか?尋ねられたら、3つあるからですよと答えるのが筋です。 しかし、私は、これは全く〔立方体(合蓋球・臼)〕を研究して得た成果なのだから、3体を〔同形〕とする知恵を授かったことを喜んで、まずは棋験法に帰納するのが「筋」だと思います。もちろん祖晅之も喜んで貢献したと信じます。 則其形有似牟合方蓋矣。八棋皆然似陽馬。圓然也。 ところで、タイトルにある〔綿を積む船〕のことですが、合蓋球の四面体の形をよく見ると、船の舳(へさき)を8つ集めたようなものに見えるということです。 猿蟹合戦では、蟹が柿の実に潰されて死に、猿が臼に潰されて死にますが、これは、〔立方体(合蓋球・臼)⇒円柱(円球・臼)〕という球積追求の筋書きをなぞっているようです。数かたちの論理の厳しさを、倫理規範の厳しさに置き換えると、どうかして親の仇を討つという筋書きになることもあるかと思います。 . 円錐の体積 (円柱3分身の秘密) 2011. 6.23.
球の体積 July11.2011〜 棋三品
特別附録 陽馬の曲芸 玉もろともに同体の円筒を潜り抜けてみせます。 . 『歩日50里』の波紋 〜 しあわせは 歩いてこない 多賀城碑 〜 (たがじょう) (ひたちのくに) ← ← ← (しもつけのくに) → → 海道 と 山道。今でいえば、浜通り(412里) と 中通(274里)です。偽碑説が尾を引いて、「誤った距離が記されている」といわれていましたが、決してそんなことはないと思う。 まず、2つの距離数に 3:2 という比を見てから、旅行日程が、海道(9日)、山道(6日)であったとします。これは、海道に9つの宿場が、山道に6つの宿場が置かれていた(左上地図)という事情をあてにしています。 重要なお知らせ 2010. 8.18. 〜 左にあるページ集(米升法とものさし)も、そろそろまとめにかかりたい頃、総目次を中断する断腸の思いでこの場を借りて、抱負を述べました(お知らせ7.23.) まず、奈良時代の米升法の要目をいえば、〔運ぶ米〕と〔食べる米〕を区別する左の如き説明に私は慣れています。2つの米1升の重量比は〔5:4〕であった。 二不得八定田三町百廿歩 可上租穀四石五斗四升料穎五十六束八把 別束籾得八升 つぎに、奈良時代のものさしの要目をいうときには、その米升法との関係では、水田の広さを総括して表すところの〔町・段・歩〕という単位が重要ですが、 この〔町・段・歩〕という単位は、水田において、2つの意味を有していた。 かくして、奈良時代の町段歩は、1人で、2つの境界に接していたわけです。 早速、左上の写真を見てください。棚田の風景です。これを見て考えたいのは、
(左より続く)
頃年、百姓漸く多くして、田池窄く狭し。 定説は、「其有新造溝池、営開墾者、伝給三世。若逐旧溝池、給其一身。」とあるのに紛れて、「池」を引き連れて田んぼから逃れようとしますが、「灌漑用の池や溝」を増加する人口に分け与えたという話は聞かない。嘆息の的になっているのは、盛大な畔地に圧迫されて小さくなっている〔田池〕の狭苦しさではないのか。
このように〔占地〕と〔田池〕が区別されている状況において、水田の面積法にはどのようなタイプが存在していたのか? (A) (O) (AB) (B) 以上4つの田町形は、幸いなことに、慶雲三年(706)九月十日格(令集解)の文中に、揃って登場していて、それぞれのプロフィールを見ることが出来ます。
令前租法「熟田100代租稲3束」は、令の基準(町租稲22束)を満たしている。 「熟田百代」は、男1人に班給される口分田2段に同じで、同じ租稲3束を納めているというのに、判定はどこが違うというのか? ぼんやり眺めていても相違点が浮かばないので、田町形(仮説)に当ててみたところ、熟田500代の本地は実のところ2400歩。班田=〔賎田〕1町の本地2500歩よりもやや狭小であるという。 ■■■■■
租稲15束(不減) Q.班田1町です。どうすればいいの? これぞ"違いがわかる男のゴールドブレンド"です。 以方6尺6寸為
歩 、歩 の内得米 1升 。
しかしながら、定説は「折衷租法」のことをつぎのように言う。 慶雲三年(706)に起きた輸租式折衷事件の真相は以上ですが、その際には、運ぶ米(俵米)と食べる米(枡米)に度量の別があり、田んぼの(6:5)とは異なる比例(5:4)をなしていた。このことが課題の解決に結びついたことは確かです。 A(AB) (A)〔賎田〕1町の身にして、(AB)〔良田〕1町の租稲15束(不減)を負うていた。 〔実例1〕 弘福寺領讃岐国山田郡田図 天平七年(735)十二月十五日 右田数
8町 98束代 直米 41石6斗 〔実例2〕万葉集巻8 大伴坂上郎女竹田庄作歌 (天平十一年己卯秋九月作) 然不有
五百代小田乎 苅乱 田蘆尓居者 京師所念 去る慶雲三年の秋には〔五百代小田〕を僅かな脱税がばれて修正申告させられた〔賎田〕町形でしたが、一転してこの頃は、身に過ぎた不減の田租まで抱えこんで悩んでいる様子です。ただ、「男1人に租稲3束を課す」という大原則があるので、6年1休にしてもらわないと困りますが、こうなるについて何か思い当たることはないか?
養老六年(722)の夏に可決された〔良田百万町〕開墾政策。彼がいう膏腴之地、開墾に適した豊穣の大地はどこにというと、既存の〔賎田百万町〕を圧搾していた盛大な畔地が眼に浮かびます。それで実際のところ、狭苦しい田池を押し拡げるように〔賎田二十万町〕の新開田が見積もられたとしますが、秋収の後10日の開墾期間の内に目ぼしい成果が得られたとは思えない。しかし何をするにしても最初からうまくゆくことは無いので、日本の田んぼを〔良田〕に変えるという政策は立派に受け継がれて、翌七年の三世一身法の中に生きていたのではないか。 おわりに おしらせ. 2007.7. 26. 高麗術「以250歩為段」の意外な効能 (米升法とものさしの内) (答。幡云。) 『高麗法』と『高麗術』のことは、僅かに『令集解』を通して知るのみですが、
〔左〕
「熟田5代」という耕地の面積は36歩。租稲2把2分がかかるひろさです。
.〔あとがき 2010.12.13.〕 ■■■■■■ ■■■■■■ かくして、班田1段の本地(250歩)は「熟田50代租稲1束5把」よりも10歩多いのに、「段租稲1束5把」として澄ました顔をしていたのですが、厳格な律令は悪事を見逃してくれなかった。慶雲3年9月15日「使を七道に遣して、始めて田租の法を定む。町ごとに15束。」という事件は、これがきっかけになっている筈です。
お知らせ 2009.11.25.
還って来た 取りつくし法の未来
かりに歩がベクトルだとしても、ベクトルの大きさはスカラー値で示されるので、「ベクトル単位」という表現は怪しいと思いつつ、なおもそうしたのは、ベクトル値の大きさをスカラー単位で数えるような感覚もかなり怪しいと思い直したからです。 古事記の拾い読みが進んで、大穴牟遅神すなわち大国主神が「始めて国を作る」ところに来ていますが、その様子はどんなかというと、「其の大刀と弓を持ち、其の八十神を追い避し時、坂の御尾毎に追い伏せ、河の瀬毎に追い撥った」とあります。 よって、国作りの基本であるこの測地システムのすべてが須佐能男先生の考案になるものです。ただ須佐能男大神が出雲に王居していたときには、地に下ろすことが(なぜか?)出来なかったので、いまだ駆け出しの若造に助けを求めて、実用化プロジェクトの経営権を譲渡する羽目になった。情けないといえば情けない話ですが、裏を返せば、大穴牟遅神こそ、大神のプランを現実化する性能を完備した、偉大なる神様であったということになります。 風の中のすばる 砂の中の銀河 みんな何処へ行った 見送られることもなく 大穴牟遅神。「大いなる穴ぼこ」という精神。永遠に凹み続ける凹み(へこみ)。 申し遅れましたが、本文(8)は、ホタテ貝に見られる"天然座標"のことです。 ☆ 古事記(原文
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/kojiki1.txt)拾い読み . お知らせ 2009.9. 20.
ローカルな地理空間の創出と測量の起源。
ヤマタオロチは想像上の巨大生物ですが、そういう巨大生物の遺跡が奈良時代にも確認されていた。というのは、出雲国風土記(BC733)に「国之大體、首震、尾坤。」と記されていることです。出雲の国体には首(頭)と尻尾があり、首は震(卯)に向け、尾は坤(未申)に向けているという意味ですが、これを言葉の綾だというのは臆病です。しかし、これほどの巨体になると地上では身動きが出来ないので、龍のように空中を風に乗って移動していた。実際、安萬侶は、ヤマタオロチの本性を、〔水を呑む蛇〕すなわち〔虹〕であると考えていたようです。 虹は川や池、沼などの水から出るという信仰は日本では広い地域に拡がっている。.......。ことに印象深いのは、琉球において虹は雨を呑むものと考えられていることである。...........。たとえば瀬戸内町薩川のユムグトゥ(誦み言)は、虹を擬人化し、その出現の理由を問いかけ、その理由は雨水を飲むためだろうとの憶測から、雨水を飲むのなら、飲んでさっさと唐大和(他界)へ消え失せろと、いかにも虹が水を飲む生命体であるかのようにその竜蛇的怪物の即座の消滅を願望しながら歌いあげている。............ 高天原から追放されて、出雲の国は鳥髮の地に降りて来たスサノヲ命ですが、 これは、「八俣遠呂智」というよりも、〔虹〕にひっかけた謎々です。ただ「虹は多彩な湖水を飲んで色づく」というのは科学的な説明とは異なりますが、そんな〔虹蛇〕には毒酒を飲ませて悪酔いさせるのが楽しみになります。毎年恒例の来客を迎えるにも、今年は趣向を変えて、8色の色とりどりの酒をお供えすることにしました。 (ここまでの話から、ヤマタオロチは旱魃をもたらす〔虹蛇〕だったということが明らかになりました。しかし、お呼びで無い余所者を玄関先で追い返そうとするのでなく、座敷に招き入れてどうこうしようというのは様子が変です。時代は下手な雨乞い芝居も打切りになる大きな転換期を迎えているのですが)、 これで古事記と出雲国風土記の接合面を一つ確保したつもりです。発見に手間取りましたが、キーワードは〔虹〕でした。ですから、安萬侶が「蛇」と書いているところは〔ニジ〕と読んでおけば間違いないと思います。
「氾濫が収まった後に農地を元通り配分するため、測量と幾何学が発達した。」というのはナイル河の話ですが、あとは本文を見てください。
才という単位
(才数)は、個々の貨物の体積を お知らせ 2009.3.18. 還って来た
取りつくし法の未来(7)
π.........1...1...1...1...1. 足し引きする単位分数たちの正体は正方形の面積です。ライプニッツ(1646_1716)においては、正方形1を関数(0≦x≦1) y =x n が切り分けた面積でした。ただ「円周率の公式」に連なると、1/n+1 を占めるという〔大きさ〕だけが必要ですが、
不必要なその〔かたち〕まで、ライプニッツが見ていたように、再現してみました。 おおよそ分数は〔比を有する数〕ゆえに、上下に2つの整数が並べてありますが、上方の整数がとりわけ1であるのが単位分数です。その1の〔かたち〕は基本的には正方形ですが、その面積の大半を片隅から齧り取られても、正方形の2辺と要点3箇所を固守しているので、2つの整数の大きさを比較するのに困らない。私は、ライプニッツ固有の〔分数の概念〕はこれであったのではないかと考えます。だいたいこんなことは、天才ライプニッツ が思わなければ、誰も思いつかないと考えるからですが、もちろん私にしても、以下のPDFファイルを見るまでは、夢にも思わなかったことです。 青年ライプニッツ会心の円周率発見 中村滋 私のページ(天才ライプニッツと一反木綿(∫ )と〔分数の概念〕)は、その内〔3 ライプニッツの円周率公式の発見〕のところを書き写して、いくつか説明図を加えたものです。すこし関連して、四角錐を切り分けてわかる3で割る3つの理由 を書き直したので、底面積×高さを3で割る理由が、1/3 という分数が持っている 2/3 という欠陥の自覚を通して解明されることに興味のある方は是非見てください。 |
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お知らせ 2009.1.18. 還って来た
取りつくし法の未来 「方」という概念が分数にも浸透していることを指摘するために、「乗分術」のところを紐解いて、つぎの問題を堅実に図解したはずでしたが、 馬5匹、直金3斤。今売馬4匹、7人分之。 いまどきの分数は何かと小難しくて、理解するのに骨が折れます。この手の課題を分数掛算(乗分術)で解く理由が、半年かけて、ようやくわかりました。理由は、計算式の奥に比例が潜んでいることですが、私の図解ではそれを明らかにしきれていなかったことがわかり、やはり計算の途上において〔比例の結びつき〕を見せるのが一番だったということです。
3
× 4 = 12
× 20 × 12 この課題に先立って、
馬4匹(←)には2つの意味が見てとれます。1つの意味は、金3斤(↑)に掛って、その積が金12斤(↑)になる。この関係は計算に載っています(3×4=12)。 馬4匹(←)を、馬5匹(←)に置き換えて、馬5匹(←)においても、その3つの意味を見定めると、双璧が完璧になりますが、すべて後の祭りで、図解したときに必要な分析ができなかったのは恥かしい。 (あとは本文を見てください。)
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おしらせ. 2008. 4.04. 男は3束。女は2束。租稲は人頭税だということがわかる。 今、田1町が有る。租稲15束を収める。男5人(女7人半)の口に分けて授ける。 男は、口分田2段を貰って、租稲3束を負い、 私が答えるとすれば、 よく「租稲は地税だ」と言われますが、そう言う人は、大宝令の田令の第1条 . |
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