2012年4月8日(日)
「イースターの福音と応答」
(マルコ16:1-8)
  十字架上で死んで下さったイエスさまが、三日目によみがえったという知らせは、周りの人々、特に弟子たちにとっては到底信じられない出来事でした。旧約の預言、またイエスさまご自身も再三、復活を宣言されていたにも関わらず、聖書には「信じなかった」という文字に満ちています。それほど死者の復活とは、信じられないこと、前代未聞、あり得ないことなのです。しかしパウロはTコリント15:14で、「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」と書いています。
 ある人は言いました、「一人の人を長い間だますこと、また多くの人を短い間だますことはできる。しかし多くの人を長い間だますことはできない」と。空っぽのお墓から始まったキリスト教は、いまや世界中に広がっています。あの臆病な弟子たちが、変えられて、殉教をもいとわず、初代教会において、「イエスはよみがえった。だから信じなさい」と力強く伝道を続けることができた、そのことが信ずるに値することなのではないでしょうか。
 イエスさまの復活によって、私たちは罪、死から解放されました。この大いなる恵みを私たちだけに留めるのではなく、人々にお伝えすることが何よりの応答であると言えるでしょう。