2012年3月4日(日)
「平和を実現する人の幸い」
(マタイ5:3-9)
  「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(9)
 平和は、誰もが望むもの、人類の理想でありますが、現実は平和どころか、常に危機をはらんでいる状態です。また逆にこの平和を大義名分にして争いが起こるなど、完全に実現は難しいのではと思わされます。
 争いの根本は個人のエゴにあります。ヤコブの手紙にも次のように記されています。「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか」(ヤコブ4:1)
 「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、」(エフェソ2:14)
 イエスさまの十字架は、私たちのエゴを取り去る犠牲でもありました。そしてそのイエスさまから、私たちは「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)という使命もいただいています。真の平和は上からいただくもの、祈り求めていきたいものです。