2012年2月12日(日)
「憐れみ深い人の幸い」
(マタイ5:3-7)
  「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける」(7)
  「憐れみ」とは、情け、いつくしみ、思いやりといった意味を含む、非常に奥深い言葉です。英語では“sympathy”という語が使われますが、その語源は「一緒に」+「苦しむ」の意で、苦しみを共に分かち合う、共感するといった意味合いがあります。
 ただ、自分で良かれと思ってなす行為も、時に相手にとっては、おせっかい、ありがた迷惑となることもあります。何よりも相手の立場に立って考えることが、ここでいう「憐れみ」になるのだと思います。
 聖書では、積極的な憐れみ、行動を伴った憐れみ、といったことを私たちに求めているのですが、いざ実行に移すとなると、現実には非常に難しいことです。何よりも憐れみの源である神さまを知り、その神さまから私自身が愛されていることを知ること、これが出発点です。「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい」(コロサイ3:12)
 憐れみ深い人の幸いは、その人自身がまた「憐れみを受ける」ことだと、イエスさまは言われます。なんと幸いなことでありましょう。人を憐れむことの出来る者と、変えていただきたいと切に祈ります。