2012年1月22日(日)
「悲しむ人の幸い」
(マタイ5:1-4)
  「悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる」(4)
 同じ言葉がルカ6:21では、「今泣いている人々は、幸いである。あなたがたは笑うようになる」とあります。この「悲しむ」という動詞は、英語では"mourn"という語が使われています。「嘆き、悲しむ」という最も深い悲しみをあらわす語です。自分の持つ罪を悲しむことのみならず、死別、病い等、様々な苦しみ、痛みをあらわしています。
 果たして「悲しむ」ことは弱い、情けないことなのでしょうか。詩編にはこうあります。「苦しみにあったことは、わたしに良いことです。これによって、わたしは、あなたのおきてを学ぶことができました」(詩編119:71、口語訳)悲しみに徹することによって、神さまに近づけられるのです。パウロも言いました。「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(Uコリント12:9)私たちは弱さを通して、謙遜ということを学ぶことができるのです。