2012年1月8日(日)
「心の貧しい人の幸い」
(マタイ5:1-3)
  幸せを求めるのは誰しものことです。しかし価値観の違い、求める方法の違いで、求める幸せを得られないこともあります。本当の「幸い」とは何か。イエスさまの「山上の説教」から、聖書の語る「幸い」をご一緒に学んで行きたいと思います。
 ここでいう「貧しい」とは、ギリシャ語の言語ではプトーコスという単語が用いられています。その意味するところは、無一物の人、神さまに頼らざるを得ない人ということです。自分の無知、無力を知って、ただ神さまに頼ろうとする人に、神さまは近づいて下さるのです。「心の貧しい人」とは、この世のものが無意味、神さまが全てであると知った人。これほど純朴、素朴な心のことを、マザー・テレサは次のように言いました。「祈りは澄んだ心を与えてくれます。澄んだ心は、神さまを見ることができます。神さまを見ることができたら、愛が始まります」