フィリピ書研究(第1回) 「恵みと平安への祈り」(フィリピ1:1-2) (2004/12/8)

 本日より「フィリピの信徒への手紙」を学んでまいります。まず初回は、フィリピという町について、どういう歴史を持った町であったか、そこにいかにして教会が誕生したのか、という歴史的なことを見ておきたいと思います。

□フィリピについて
 フィリピはマケドニア州東部の港町ネアポリスから、約15キロ内陸に入ったところにあるローマの「植民都市で、元々はマケドニア王、アレキサンダー大王の父、フィリッポス2世によって創設された町でした。それまでのクレニデスと呼ばれていた町を拡張して、城塞都市して、自分の名にちなんでフィリピと改名しました。ここは地理的にも戦略的にも有利な土地であったようです。
 そしてローマの植民地となってからは、このフィリピは小ローマと呼ばれたくらい、ローマについで重要な都市として、2人の長官で治めるほど重要視されたところでありました。

□フィリピ教会の誕生
 使徒パウロは、シラス、テモテ、ルカと共に、第2回伝道旅行の際にこの町に短期間でしたが滞在しました。その間紫布の商人リディアとその家族が信者となって、その後パウロらが占いの霊につかれた女奴隷のいやしの事件で投獄されたときには、パウロたちの導きによって牢の看守とその家族も救われることとなりました。有名な使徒言行録16章の記事ですが、こうしてフィリピ教会は誕生したのです。そしてフィリピ教会はヨーロッパで最初に出来た教会の一つでありました。

□手紙の執筆者
 言うまでもなく使徒パウロでありますが、この手紙はローマの獄中から書いたものであります。年代は、AD60年〜63年くらいの間であろうといわれます。当時キリスト教に対する迫害が強かった、にもかかわらずパウロは恐れることなくエパフロディテという協力者に委ねてこの手紙をフィリピの教会に送りました。なおこのエフェソ、フィリピ、コロサイという手紙は獄中書簡と呼ばれ、軟禁状態の中で書かれた手紙であります。

 このフィリピ書の特徴は、迫害の中にあってもこのイエス・キリストを信じることがどんなにか喜びであり、平安であり、恵みであるか、ということを証しするところにあります。そして「喜ぶ」という言葉が非常に多く出てきます。「喜ぶ」あるいは「喜び」という言葉があふれています。ですから喜びの書簡という言われ方もするのです。
 また内容は決して理論的、学術的、という固いものではなくて、実践的であり、かつ倫理的な内容をもっています。しかし単なる人と人との道徳的な教訓、といったものではなくて、それを生み出す原動力となるキリスト、霊の命、そういうものであふれているのです。そのことをおぼえて1節から読み進めてまいりましょう。

「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから、フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ。」(1)
 誰がこの手紙を書き、誰に書いたかということが示されます。パウロの手紙の書き出しは必ずも同じではありません。そのとき、そのときにふさわしい挨拶で書いています。そしてこの挨拶から見ても、パウロの信仰、フィリピ書の真髄といったものが垣間見ることができるのです。
 「キリスト・イエスの僕であるパウロ」、という言い方をしています。普通はイエス・キリストという言い方がされますが、キリスト・イエスとパウロは書いています。特にパウロはキリスト・イエスという言い方を多く使います。どんな違いがあるのかと言うと、イエス・キリストという場合は、ナザレのイエスがキリストであるという言い方。十二使徒の場合はこのイエスを知って、この方がキリストである、ということがわかって従ったのです。ところがパウロの場合は順序が逆なのです。パウロが初めてイエスさまに出会ったのは、復活後のイエス、つまり十字架、復活を通じてすでに勝利されたイエスさまでした。そして迫害者サウロが、宣教師パウロに劇的に変えられることになるのです。ですからこの使徒パウロは、まずキリストに出会ってからそしてイエスを知ったということが言えます。この言い方自体に、パウロの入信の状態、どのようにして救われたのか、ということが示されているのです。
 「僕(しもべ)」(ドゥーロス)とは、奴隷という意味です。単なる家来、仕える者ではなく、絶対服従する奴隷なのです。奴隷にとっては、自分の生活の全てがご主人様によります。ご主人様には絶対服従する生活です。
 ある人はこう言っています。「キリストから自由となる者は、その他一切の奴隷になる。キリストの僕となる者は、その他一切から自由になる。」と。これはマルチン・ルターの考えを分かりやすく述べた言葉です。ルターは「キリスト者の自由」という本を書きました。キリスト者の自由は二つのもの、一つはなになにからの自由、迷信、邪教、無知蒙昧などから自由になる。あるいはエゴイズム、自己中心の心そういうものに捕らわれないで、罪からも解放されて自由にされる。最終的には死というとげがあります。それをも克服し、勝利されたのがキリストであります。このキリストの福音にあずかる者は、その死の縄目からも自由になるというのです。ですからキリストの僕になると、これらのものから自由になるのです。
 また同時に、何々への自由ということがあります。キリストによって愛を豊かに与えられると、私たちはこの感謝をなんとか表現したいと思います。そこからボランティア活動、奉仕、伝道、献身が生まれます。こういうことをしなければご利益はないのだよ、といってある種のノルマを与えられてするものではありません。私たちはあくまでも自由に、押し出されて、自然に奉仕するのです。自分から喜んで率先して行うことができる自由。これが奉仕への自由、ボランティア活動への自由です。そういう自由をいただけるとはなんと幸いなことでありましょう。奴隷=自由とはまったく矛盾するようですけれども、天の神さまのみを敬い、み言葉にだけは聞き従う、キリストにだけはお従いするという僕になると、様々なものから自由になるということです。
 「聖なる者たち」(ハギオス)この「聖」は決して、聖人君子を指しているのではありません、また人格が完璧であるとか道徳的に優れているとかいう意味でもありません。神さまの目的のために選び分かたれたもの、聖別されたもの、とっておかれたもの、という意味です。私たちはそれぞれ得た収入の中から、日常の生活に用いる分とは別に、分けておいたものを月定の献金としてお捧げしていますが、そういう場合のとっておく、というのが(ハギオス)の意味です。ですから神によって、この世俗的な自己中心にむかって進んでいく生活から選び出されて、神さまの栄光の方に向っていくようにさせていただいたもの、というのが聖徒といえるのではないでしょうか。
 「監督」は、長老と同一的に使われていました。また今日で言う伝道者、牧師も、監督あるいは長老という言い方をする場合もありました。

「私たちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」(2)
 これはパウロの祈りです。「平和」は口語訳では「平安」となっていました。平安の方がしっくりくる気が致しますが。「平和」というと戦争のない状態を考えます。一方「平安」は、個人からはじまって戦争のないことまで全て含むのが平安であります。この「恵みと平安」はパウロの書簡の中で必ず使われる言葉であります。恵みはカリス。ただ良い、というだけでなく。魅力のある(charm)という意味が含まれていまして、人をひきつけるものがあることを意味します。キリストの福音とはそういうものですし、キリストの福音に生きるものは、そういう内から湧き出るチャーミングなものを持っているものです。「平和」はヘブル語でシャローム、ギリシャ語でエイレーネです。これもまた、あらゆる良きものをすべて含んだ至福の恵みといったらよいでしょうか。そして「幸福」と同意語のように使われたものです。
 私たちは、神さまを信じることによって真の恵みと平安がいただける、罪を赦され、義と認めていただいたのです。やがて皆神さまの前に立つときが来ます。そのときに罪なき者として、義として受け入れていただけるのです。さらにこの世にあってもインマヌエル(神ともにある)という信仰からくる平安もいただけるのです。神さまは摂理の神さまです。私たちの人生は、表面的には、なぜこんなに辛いことばかり起こるのかと思わされることもあるかもしれませんが、神さまの目から見たら、確実に摂理の中の出来事であるということです。すべてのことが相働いて益となる方向へと導いていて下さっているのです。これが聖書の約束、神さまの約束です。この約束が信じられたときに、今どのような境遇にあっても平安がいただけるのではないでしょうか。「恵みと平安」これに勝る良い言葉はありません。パウロの祈りの常套句として用いられているこの言葉ですが、このキリストの福音がいかに恵みであり、平安であるかを、この祈りを通して、改めて教えられる思いがいたします。

 フィリピ書研究(第2回) 「福音にあずかる者の幸い」 (1:3-11) (2004/12/15)

 この3-11節まではフィリピの信徒のためのパウロの祈りです。ローマの獄中からフィリピ教会にパウロは手紙を書いています。その手紙の中で熱い祈りをささげているのです。

 3-4節 「わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。」
 このフィリピ教会は、非常に純粋な成長をしていきました。加えて自分たちだけが恵まれていてはいけないと、生みの親であるパウロに献金を送って応援して、その宣教活動を支える。もちろん完全とは言い切れない部分もあったことでしょうが、フィリピ教会はそういう健全な教会として成長していったのです。
 あえて問題があったとすれば一つだけ、それは非常に熱心なクリスチャンが多かったので、時々個性の強い信徒が出て、強く自分を主張して伝道活動をする。そうすると他を受け入れない、ということがあったようです。逆に言えばそれほどに熱心な教会であったのです。しかしそれぞれが我が道を行くであっては、熱心なのは良いことですけれども、もう一つ和が足りないということになります。そのことは手紙の後半で触れられるのですけれども、それ以外は本当に模範とすべき教会であったようです。

 5節「それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。」
 パウロの喜びは、フィリピ教会がよく献金を送ってくれた、あるいは物資を送って尽くしてくれた、ということではなくて、何よりもフィリピの教会の人々が、「福音にあずかっている」ことなのでした。
 「福音にあずかる」という言葉に目を留めていただきたいのですが、「あずかる」には、(コイノニア)という言葉が使われています。これは普通は「交わり」、ですが、ここでは「(福音の恵みに)あずかる」とあります。これはキリストの福音を聞いて、その恵みに感謝する。そしてイエスさまと交わりをもつ。自身をありのまま受け入れていただき、罪を赦していただく。そして一方的に神さまは恵みによって私たちを救いに導いて下さる。そのことを指します。
 さらにもう一つ、「(福音の使命に)あずかる」という意味があります。(コイノニア)は交わりと訳せますが、英語でいえば(share)です。即ち「分かち合う、与える」ということです。使徒言行録2:42には、「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」とあります。「信徒の交わり」これが(コイノニア)です。この交わりは分かち合うことであります。ですから礼拝では献金を意味します。福音にあずかるというのは、福音の恵みにあずかる、イエスさまを信じる信仰の恵みにあずかる、そして福音の使命にあずかる、教会の使命は福音宣教です。伝道、宣教が究極の使命です。その伝道や宣教の業に参加する、協力する、これが福音の使命にあずかる、ということなのです。新改訳聖書では「福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています」とあり、リビングバイブルでは(喜んでいるのは)「その知らせを宣べ伝える働きに協力してくれたからである」とあります。ですからフィリピ教会は、イエスさまを信じることで、罪の赦しをいただき、永遠の命をいただき、なんと幸いなことか、といって自分が恵まれたことを感謝しました。この福音の恵みにあずかる。これも大事ですが、ここでストップしないで、同時に教会はこの福音を広める、伝えることのために存在しています。これが唯一教会が存在する理由である、ということをおぼえて、そのために少しでも自分も役に立てれば、とその業に加わっていく。このように両方の意味を含んでいるということをおぼえていただきたく思います。

 6節、信仰をはじめたもうのも主です。ヘブライ12:1-2aでパウロは、「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。」と述べています。私たちは自らの意志で受洗し、信仰に入ったのだと思いやすいのですが、実はもっと遡れば、教会に行くようになったのも、また信仰告白ができるようになったのも、いろんな人の背後の祈りもあったことでしょう。いやそれ以上に神さまの導きがあったことを忘れてはなりません。主が働いてくださっているのです。主が私たちを信仰へと導いて下さるのです。そしてその後もまだ神さまは働いていて下さって、忠実に神さまとの交わりを続けていくうちに、徐々にその人の内に信仰の実を結ばせてくださり、霊的な成長をさせてくださるのです。中には、このパウロのように、キリスト教を迫害してきた人が一瞬のうちに変えられて、やがてキリスト教の宣教師に変わる。こんなドラマティックな改心もあり得ます。しかし大抵の場合は、徐々に徐々に変えられていくものです。でも確かなことは、イエスさまをしっかりと見つめていく中で、私たちの信仰生活は、偉大な主のお働き、お導きによって強められ、成長させられるのです。その主のみ業に委ねたいと思うのです。

 9-11節「わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。」 
 パウロがフィリピ教会のためにどんな祈りをしているかというと、どうかフィリピの人たちの「愛がますます豊かにな」るように、であります。教会の建物が大きくなるようにとか、あるいはその教会が有名になるように、ではないのです。それも確かにいいことですけれども、そうではなくて、フィリピ教会のみなさんの愛が増し加わるように、なのです。ただし、愛と言っても大事なことがあるというのです。それは「知る力と見抜く力を身につけ」た愛、口語訳では「あなたがたの愛が、深い知識において、するどい感覚において、いよいよ増し加わり」とあります。愛が増し加わるようになのですが、愛といっても、あなたを愛しているのだ、といっても相手に迷惑になる場合があったり、神のみ心に適うものでなかったり、相手を助けることにならなかったり、ということもありますから、そのために愛には深い知識と、するどい感覚が必要である。ということであります。それを「知る力と見抜く力」と言っているのです。
 聖書では知恵と知識とを区別しています。私たちはまず神を畏れ敬う、命を何より大切に考えるという基本的なこと、これが知恵です。そしてそれに基づいて現実の生活で、いろいろと判断する必要が生じるときに、命を第一の価値として考えながら判断する、あるいは処理する。そういう力が知識です。いずれにしても神さまを知って、命の貴さを知ります。基本的なことを知ることがまずあって、それに基づいた価値観の中で現実の生活の諸判断を迫られるときに、適切な判断ができることが大事であると思います。
 「見抜く力」とは、先を見る力、先見力という言い方もできると思います。日本人は、最近考える力が衰えていると言われていますが、先を見るということは、思考力、洞察力、判断力、といったものを全て含んでいると思います。そして考える力が身につくと、相手の立場も分かってくるし、先のことも大体は予想がつくのです。今の自分もこのままいったらどうなるか、ということも分かってくるのです。そして正しい価値観のもとで今何をすべきか、判断をし、取捨選択をする能力が身についてくるものでしょう。キュルケゴールは、「無益な事物に対しては、我らの目をかすましめたまえ、汝のあらゆる真理に対しては我らの目を澄ましめたまえ」と、祈りをささげています。イエスさまによって「義の実」をいただくために、神さまに焦点を合わせた上での、物事の優先順位を決めていくことができますように、祈りつつ求めたく思います。

 フィリピ書研究(第3回) 「逆境の恩寵」 (1:12-21) (2004/12/22)

 いよいよここから本論ともいうべき部分に入ります。ここでパウロは、自分の信仰の証しを述べています。
12−14節 ここでパウロは感謝しているのです。何をでしょうか。彼が囚人として捕らわれて、ローマで過ごしていることは、福音の前進に役立ったといって感謝しているのです。「わたしの身に起こったこと」これは何かといいますと、劇的な回心から伝道の旅の中で起こったこと全てといっていいと思います。今や彼の伝道活動の報いは、このローマでの獄中生活である、ところが、ローマに護送されて、軟禁状態の中で過ごすことができるのを心から感謝しているのです。というのは、当時の世界の中心はローマでしたから、いつかローマへ行って伝道したいというのが、このパウロの夢でもあったのです。それが囚われの身という不思議な出来事によって実現したのです。その様子は、使徒言行録28:16に、「わたしたちがローマに入ったとき、パウロは番兵を一人つけられたが、自分だけで住むことを許された。」とあります。また同30−31には、「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」とあります。確かに拘束され、監視の下にありましたけれども、自由に客人を受け入れ、イエスさまのことを伝えることができたのです。そういう中の一人が、フィレモンへの手紙に登場するオネシモでありました。
 「前進」という言葉はギリシャ語で[プロコペーン]で、軍隊用語でして、戦場では一番先頭に立つものは危険を伴うわけですが、ジャングルなどでは、木々を払って道を切り開いていきます。この「切り開く」といった意味があるのです。福音が世界大に広がっていくために、パウロはまさにその先頭に立って、福音の道を切り開いていく役割を果たしたのです。捕らわれの身という逆境が、恩寵として神さまに用いられて、福音の前進につながっていったのです。
 こう考えていきますと、私たちの人生には、思いもかけないような逆境、不幸に見舞われることがありますが、神さまは、それらを通してさらに神さまの目から見て幸いな道へと導いて下さるということがあることを思います。

15−18節 キリストを伝える、というときに、いろんなタイプの伝道者、証し人がいます。たまには、救いへと導いた数を競い合ったり、伝道することで自分に周囲の尊敬を集めたいと願う者があったり、私たちは、伝道の動機というものを強く意識することがありますが、パウロは非常に心の広い人のようで、「だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます。」(18)と言っています。このことは倣いつつ、逆に福音を汚すようなものに対しては、頑として反論することが必要なのではないでしょうか。
 
19節 動機がいろいろあろうとも、キリストを伝えていくならば、いろんなタイプの人がいてもいいではないか。みなさんの背後の祈りと、聖霊の導きに委ねることによって、これが私の救いとなるのです。とパウロは言います。「救いとなる」とは、もちろんパウロは既に救われているわけですが、この場合、安心できる、平安を保つことができる、そういうニュアンスで使っている言葉であると思います。

20−21節 健康が与えられて生きていけるのは全てキリストのためであり、もしも死なねばならなくなったなら、それはまた益なのです、とは何と力強い信仰告白でありましょうか。

 ハンセン病に苦しんだ人の証しの中で、「この病は[天刑病]である、と言われましたが、キリストを知った今は、[天恵病]です。」と言われていたことを思い出します。周囲の人に忌み嫌われるような病の中で、どん底まで突き落とされて、そこから上を見上げてキリストを知り、罪の赦し、永遠の命をいただけたときに、これは何たる恵みであろうか、という感謝にあふれた、ということでした。
 今日の中心は、一見人間的に見て、捕らわれの身となって、獄中の生活を送るというこの逆境、災いと思えるようなことが、実は神さまの目から見るときに、福音の前進、つまり主のみ名が崇められ、パウロを見て、人々の信仰が強くされる、そういうことにつながるので、私は感謝であるという点にあるでしょう。

 フィリピ書研究(第4回) 「使徒パウロの死生観」 (1:21-26) (2005/1/12)

今日は使徒パウロの死生観ということで学びたいと思います。パウロがこの時点で、どういう心境でここを書いているかということを少し想像していただきたいと思います。パウロは、今捕らわれの身となって、ローマで軟禁状態になっています。しかもいつ最高裁にあたるような場に引き出されるか、またその裁判が、良くいったら釈放、あるいは悪くなれば殉教の死を遂げねばならなくなる、どっちに揺れるか分からない、大きな不安の中にあるといっても良い状態に置かれているのです。
 そんな中でのパウロの言葉は、「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。」(21)でありました。
 この21節は、日本語としては分かりにくい言葉です。これは原典のギリシャ語にも動詞がないのです。それを直訳すれば、for to me,live,Christ,to die,gain.となりましょうか。「私には生きること、キリスト。死ぬこと、益。」ということです。しかし、この言葉が実に力強く感じ、私たちの心に訴えかけてきます。
 「生きるとはキリスト」とはどういうことでしょう。これは生きることはキリストのため、ではないのです。これを偉大な指導者たちは、様々に訳しています。ルターは「キリストは私の命である」と、ティンダルは「キリストは私にとって命である」と、またモファットは「命は私にとってキリストを意味する」と訳しています。果たしてその真意は何でしょうか。私は、(自分が今生きているのはキリストによる、自分はキリストによって生かされている。自分の生活はキリストによって意味づけられ、キリストから離れたら全く意味を失うのだ)というような意味ではないかと考えます。
 バークレーは、「パウロにとってキリストは人生の始まりでした。ダマスコ途上でパウロはあの日生まれ変わって人生をまったく初めからやり直したようなものであったのです。またパウロにとってキリストは人生の継続でした。パウロがキリストのみ前で生きなかった日は一日たりともなかったのです。キリストはパウロが恐れを感じるとき、いつでもそこにいてパウロを励ましておられました。またパウロにとってキリストは人生の終わりでした。なぜなら人生が導かれていくのは永遠なるキリストのみ前だからです。パウロにとってキリストは人生の霊感でもありました。彼にとってキリストは人生の活動力であり、主動力でありました。キリストはパウロに人生の課題を与えました。パウロを使徒として、異邦人の伝道者として用いられました。キリストはパウロに生きる力をお与えになりました。パウロ自身の弱さを完全なものに変えられて、キリストの恵みの溢れんばかりに恵まれたのです。パウロにとってキリストは人生の報酬でした。なぜならパウロに与えられた人生の報酬は、キリストとの交わりをだんだん深めることだけだったのです。」と解説しました。
 これを読むと、キリストはパウロの人生を変えられ、毎日の交わりの中にパウロを生かして下さった。そして彼の人生の終わりもキリスト。キリストとつながっていることの中で、霊感が、力が、使命が、あるいは目標が与えられたということなのです。キリストはパウロにとっての全てであったのです。 このことを、ガラテヤ書では、「わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」(2:19−20)と述べています。「生きるはキリスト」とはまさにそういう心境なのでしょうか。
 「死ぬことは利益なのです。」これはたとえ死んだとしてもまあまあ益である、ぐらいに考えられそうですが、ところがそれは違うのです。(to die,gain) は、死ぬことはまさに利益です、恵みです、というのです。これは非常に力強い言葉です。死ぬことも無駄ではなかった、ではなく、死ぬことが益なのです。というのです。なんたるこのパウロの心境でしょうか。普通は死は恐怖です。最終的に死を乗り越えて、死が恐れではないという心境に至る信仰はキリスト教だけであると思います。
 「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」(第一コリント15:55)
 「今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである」(ヨハネの黙示録14:13)

 まさに聖書でしか言い得ない主の勝利の宣言です。「キリストから離れずに死を考えよ。主から離れると、死は忌まわしくなる。主にあっては、死はまったく別になる。それは愛すべき聖上な信者の歓喜である」(パスカル)

 22−25節 生きようが死のうが、パウロはどちらでもいいのです。生きているのは、周囲の人々を励まし、力づけることができれば、それも重要なことであり、自分はこの二つの間で板ばさみになっている(23)。とまで言っています。普通は板ばさみというと、どっちに転んでも、恐怖、痛み、苦しみ、というマイナスの状態を思いますが、ここでは全く反対です。こういう心境で人生を送ることができる、ということはまさに神の恵みとしかいいようがありません。クリスチャンはそういう生き方ができるのだ、というすばらしい模範を私たちに示してくれています。

 フィリピ書研究(第5回) 「福音にふさわしい生活」 (1:27-30) (2005/1/19)

 前回は、「生きるはキリスト、死ぬのは益」と、その死生観を力強く述べたパウロでした。その後のところで、個人的には死と共にあることが望ましいと思っているが、今こうして肉において生きているのは、フィリピの信徒のみなさんのためにも必要であるからだと思う。であれば私はまだ生かされているのだから、喜んで地上の生を全うしたい、というような意味のことを述べていました。
 そして今日のところにつながるのですが、それではパウロが、どういう生き方を私たちに期待しているのか、どういう生き方が幸いなものであるのか、ということが記されています。

 その最初に出てくるのが「キリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」(27)です。この一文に全てが集約されていると思います。ここで非常に興味あるのは、生活をしなさい、生活を送りなさい、という言葉です。ギリシャ語の意味では「市民としての生活を送る」という意味があります。どういうことかというと、フィリピの皆さん、あなたがたは、家庭生活、社会生活、市民生活、こういう言い方で言われる生活をしているのだけれども、その生活を、キリスト者としてふさわしく過ごしなさい、という意味なのです。つまり教会の中だけでのクリスチャン生活なのではなく、日々の平凡な、市民としての生活そのものが福音にふさわしいものであるように、という勧めなのです。クリスチャンでない人々と一緒に生活をする、その真っ只中でキリストを信じる者としての価値観に立って、キリストの福音を信じる者としてふさわしく生活しなさい、という意味なのです。
 外国へ行きますと、一個人の日本人がすること、語ることは、「日本人とは・・・」という目で見られます。同じようにキリスト教とは無縁の人々の只中で、クリスチャンの生活をする場合に、そのクリスチャンをキリスト教はどういう宗教であろうか、という目で見るわけです。つまり一個人の生活といえども、それは公的な意味も持ちます。ですから生まれながらの、自分本位の考え方で押し通すのではなく、キリストのものとされた今は、天国を代表するものとして生きていくという自覚が必要であるということです。もちろんそれは完璧に、道徳的にも人格的にも、完全無欠の生活をする、ということとはまったく違います。逆に欠けや破れが多ければ多いほど、あんな人でもあんな風に生きていけるのだということになります。むしろその欠けや破れを通して、中におられる輝かしいキリストを見ることになるのです。私たち自身が、立派だ、というふうに人々に映れば、それは中におられるキリストを遮断してしまいます。自分自身をPRするのではなく、毎日の市民生活を通して、神さまが崇められるように、と努めたいものです。
 榎本保郎先生は、「信仰というものは、神から現実を見る態度である。」と言われました。こんな不幸な出来事がある。この地上のどこに神があるのか、という人があるが、私たちは、現実がうまくいっているから神を信じているのではない。私たちが神を信じるのは、イエス・キリストを私たちに送って下さった、イエス・キリストにおける神を信じるのである。神さまはひとり子を給うほどに私たちを愛されたのです。ここに立って現実を見るとき、それがキリスト者としてふさわしい現実の見方であると思います。福音にふさわしい生活を送るためには、そういう見方が必要である、ということをも教えられるのです。
 「愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。また異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります。」(Tペトロ2:11-12)

 次に福音にふさわしい生活をするために、フィリピ教会の現実に目を向けて、この教会に対する要望、またパウロの期待が次に述べられています。それは何かと言うと、27節後半ですが、ここで福音にふさわしい生き方を、フィリピ教会に当てはめた場合に、まずフィリピの教会が、努力して欲しいことは、一致ということでした。一つ心になって教会生活、信仰生活を送ってほしい、というのです。
 フィリピ教会は比較的に、欠点の少ない教会で、たとえばコリント教会のように不道徳の問題もなかったし、ガラテヤ教会のように、異端に左右される弱い教会ではありませんでした。むしろ献身的で、献金も多く捧げて、パウロの宣教活動を応援していました。ただ一つ問題があったのは、フィリピ教会には一致が欠けていた、ということでした。みんな熱心なのですが、ときには個性の強い人がいて、思う通りにならないとがまんできない人がいたり、なかなか一つになれない、ということがあったようです。それは不信仰とか不道徳、というのとはまったく違います。霊も心も一つになって、堅く立って信仰の道を歩んでほしい、とパウロは願いました。堅く立つというのは、主体性をもって堅く立つ、ということです。今の時代は、価値観がしっかりしていない、あるいは何を信じるべきか、頼るべきかを知らないために、ふらふらと周囲に流されてしまいがちです。そうすると堅く立つということはなかなかできません。しかし私たちには、神さまから与えられた道徳規準がありますから、周囲がどう言おうと、聖書の基準に照らして堅く立つことができるのです。「特定の宗教を信じると、人間が自主的に生きられなくなる。」と言う人もいます。しかしそうではありません。神さまを信じる者こそが、周囲のいろんな声に左右されず、正しい立場に堅く立つことができるのです。
「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。」(ローマ5:1-2)

「つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。」(29)
 私たちは、キリスト者として、一般の人々の中で社会生活を送っていますが、天国に本籍を置き、現住所は旅人として、仮住まいの一時的な生活をしているのだ、という思いで生活しています。天国の基準によって日々の生活を送ろうとする人、これはわかった人には感謝されますが、そうでない人には誤解を受けたり、迫害を受けたりすることさえあります。でもそういう苦しみは、恵みとして与えられているのですよ、というのです。キリストを信じて、なおかつ、みんなから好かれるというのは逆におかしいのです。「また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」(マタイ10:22)とイエスさまも言われました。ですから、そういう意味での苦しみも、恵みとして受け止めなさい、と言うのです。神さまを信じて、神さまに敵対するものから嫌がらせを受けたり、苦しみを受けるのは当然のことであって、自分が神さまの側に立っているから苦しむのだ。そう思えば、むしろ苦しむことも恵み、といってうそではないのです。
 ある人は「苦難は聖書の最良の注解書である」と言いました。苦難を通して、私たちは聖書の真理が見えてくるということがある、というのです。たとえばイエス・キリストの歩まれた道。それは苦難の連続でした。私たちも苦難を通して、わずかながらイエスさまのお気持ちを知ることができるのです。また人の弱さを思いやることができるのです。秋吉台の聖者と呼ばれた本間俊平氏は、「難有りは有難し」と言いました。苦難があったからこそ、イエスさまの気持ちが分かったのだ、と。
 「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを/学ぶことができました。」(詩編119:71、口語訳)とあるとおりです。