ヨハネの手紙V(2002/11/27)

 ヨハネUと同様、このような短い手紙が聖書の一部となっていることに不思議な印象をお持ちにならないでしょうか。非常に個人的な手紙の中で、神の言葉として私たちに教えてくれるようなものが果たしてあるのだろうかと感じる方もあるかもしれません。にもかかわらず、聖典としてしっかりと聖書の一部を構成している、そこに非常に興味を惹かれます。

◇1-4 あいさつ
 著者ヨハネは「長老」とも呼ばれていました。初代教会の頃は、牧師も長老や監督、牧者とも呼ばれていました。ガイオという人は聖書の中に三人出てきます。使徒言行録の19章にマケドニアのガイオという人、20章にはデルベのガイオ、ローマ16:23をみると、コリントにガイオという人がいます。おそらくこの人ではないかともいわれますが、ガイオという名はかなり一般的な名前であって、この3人のいずれでもない、という説もあり、定かではありません。なかでも三人目のガイオは、第一コリント1:14を見ると、パウロ先生から洗礼を受けた数少ない人のうちの一人であるということがわかります。そしてこのコリント教会で導かれて、伝道して、やがて監督にまでなったといわれています。いずれにしろ当時の教会で有力な役員であり、家庭集会などを主催していた人物であると思っていただければよいと思います。
 このガイオに宛てた手紙であって、個人に宛てたものであるようですが、同時にまたその個人が代表する教会、当時の異邦社会に生まれたキリスト教会及びクリスチャンたちにあてたものということでも読んでよいと思います。
 2節にはヨハネの祈りがでてきます。あなたがたが健康であるように、またその健康はまずその魂が恵まれているように、そしてすべての面で恵まれ、健康であるように、といっています。健康というのは体が丈夫であるというだけではない、心が健全であり、魂が恵まれている状態、そこまで含めないと本当の健康とはいえないのです。
 3節でヨハネが「喜んでいます」というのは、自分が導き、指導したクリスチャンたちが真理に歩んでいるということを伝え聞いているからです。
 4節「自分の子供たち」というのは、ヨハネが伝道した霊の子供たち、信仰の教え子たちのことです。その人たちが皆、真理に歩んでいる、横道にそれたり、挫折したり、この世を愛して神さまに背を向けたりすることなく、示されたみ言葉に従って、歩んでいるということを聞くことほどうれしいことはありません、というのです。
 「真理」という言葉は、ヨハネの書簡には何回もでてきます。ちなみに第一ヨハネには10回、第二ヨハネに9回、第三ヨハネには5回でてきます。この「真理」という言葉は、「神のみ言葉」とも置き換えられますが、究極には「キリスト」ということであります。実際に置き換えて読んでみると、より理解しやすくなると思います。

◇5-8 ガイオへの賛辞
 ここでは、遠方から巡回伝道者がやってきたときに、その伝道者を快く迎えてくれたことに対する感謝を述べています。7-8節では、巡回伝道者は、伝道のための旅行では、行った先の異邦人から、何も特別な謝礼をもらうこともありません、どうぞこの人たちを手厚くもてなして上げて下さいというような意味です。伝道者は福音を伝えます。すべての人が牧師、伝道者のようにして出て行くことはなかなか出来ません。しかしそういう働きをする人を歓待して、もてなすという行為を通じて、この人の伝道に加わることができる、伝道の働きの一端を担うことが出来るのです。それが8節の「真理のために共に働く者」なのです。
 当時は今のようにホテルも旅館もありません。旅先ではその土地の人の家に宿を借りる、また自分の家に旅人が訪れたら、喜んで手厚くもてなす。そういうことが当然のように行われていました。そんな様子が、聖書の至るところに描かれています。例えば、ペテロT4:9には「不平を言わずにもてなしあいなさい」、またヘブライ13:2にも「旅人をもてなすことを忘れてはいけません」とあります。
 
◇9-12 善を行う者、悪を行う者
 ここにディオトレフェスという人が登場します。信仰歴の長い有力な信者であったらしいのですが、よそから来る人を受け入れなかったり、また受け入れようとする信者がいると、その信者を教会から追い出してしまう、といった行いをしていたようです。そうしてこのような行いは「神を見たことのない人」(11)である、と指摘します。
 対称的に、「悪いことではなく、善いことを見倣ってください」(11)といって、善を行う人の代表として、デメトリオという人のことが書かれています。この人については、全ての人も、真理も、この人については立派な人です、間違いのない人です、と証しをしています、と賞賛しています。

◇13-15 結びの言葉
「インクとペンで書こうとは思いません」(13)、当時の手紙は、羊皮紙やパピルスといった高価なものに書かれていましたし、文章だけでは、行き違いや、誤解を招きかねないので、様々な問題については、直接顔を合わせてお話したい、と希望を述べています。

ヨハネの手紙T、U、Vを読んでいきますと、著者がいかに「真理、愛、命」という言葉を愛した弟子であったか、ということが分かります。またイエスさまが「雷の子」という愛称で呼ばれた、このヨハネですが、晩年は「いつも主のみ旨によりかかっている弟子」「愛の人」と呼ばれるようになります。イエスさまが十字架に架かられたとき、最後まで見届けたのは殆ど女性の信者さんでした。たった一人、十二弟子の中で残った男性がこのヨハネでした。このように最後までイエスさまの側にいた人物であります。「雷の子」が「愛の人」に変えられた秘訣は、まさにこういうところにあるように思われます。