バカの釣り日誌  第五話

豚事件

藤井裕孝著

 大きい豚を釣り損ねた暑い夏の日

 豚を釣り損ねた事があった。奄美磯釣連盟暖流会に入会した時のこと。暖流会が今は現存するか定かではないが、暖流会といえば“チンの暖流”と言う異名があり連盟主催のチヌ釣大会では必ず上位を独占するのであった。川上勝会長以下会員の者はこの異名を誇りには思っていなかった。

 それはそれは大きな豚であった。豚を釣り損ねたと言っても磯釣りで釣り損ねたのではない。昭和53〜54年頃だったと思う。磯釣連盟の大会は以前、瀬戸内町一帯で連盟が古仁屋の貸切船を5、6隻借り上げ、住用方面・海津崎方面・西古見方面・与路島方面、風向きによって行けない場所を除き渡礁するのである。大会前夜、連盟事務所へ各釣りクラブの本部役員が寄り合い、釣り場所決めのクジを引くのである。釣れる磯に当たるといいが釣れない磯に当たるとクーラーボックスを洗って帰らなければならない。

 その時の大会もクーラーを洗って帰ったと思うが、帰る途中、現在はトンネルが開通して楽であるが当時は三太郎峠を越えなければならない、魚が釣れない時の帰路の車の中は暗い、会話もなく寝る者、煙草をモクモクと吸う者。

 ところがである住用村の役場を通りすぎ、右折して、ガソリンスタンドを通り過ぎ二つ目のカーブにさしかかった時、“○○畜産”と書いた大きなトラックの荷台に大きな種豚だろうか豚がワンサカと乗っている。「辰義兄!魚が釣れなかったからあれぐらいの豚でも落ちとればや!」と言いながら車は上り坂を上り始めた。ところが、なんと目の前に大きな豚が一頭ビッコをひきながら道の真ん中を歩いているのである。こうなると大の大人四名考えることは一緒。魚のお土産もないし豚の土産でもと考えたのである。四名でガードレールまで追い込み崖下に落とそうと考えたまで良いが豚は崖縁からなかなか動かない。豚も必死である。四つの足を踏ん張ってビクともしない、ちょうど煙草を吸っていた私が豚のお尻に煙草の火を押しつけたものだから豚もビックリして崖の下へ真さかさまになって落ちてしまった。たぶん死んでいるであろうと期待まじりで目検討をつけ豚が落ちた所まで四人の男は走り出した。豚は川の途中で期待とは裏腹になんと元気ピンピンしていたのである。

 辰義兄(チンを釣らすとこの人の右に出る人はいない)久光兄(この人が魚釣ったのを見たことがない)渥美君(一時期は大物ばかり釣り上げていたが)、この三人、川の中へドボドボ入り出した。私はと言うと道の上から「そこの大きな石で頭をおもいきり打て!」とか「豚を水の中へ押し込め!」などと指図している。しかし、さすがに石で打つ事は出来ず、豚の頭を水中へ男三人が押し込むが、豚は水を飲んで苦しくなると三人の男など、いとも簡単にふり飛ばすのである。なんとも道の上から見ていると本当に、なさけないと言うか面白いというか三人の姿を見て一人で笑い転げていたところ下から「どうしようもないから駐在所に行ってお巡りさんを連れてこい!」との声に、車で駐在所まで行くとお巡りさんが私の知っているお巡りさんではない「○○さんは?」「一昨日引き継ぎ致しました。」「何か?」とお巡りさん。「じつは豚を拾ったのですが」と言うと「何処ですか?」と聞くので「その先です」と言うと、お巡りさんは警棒とピストルを身に付けてオートバイにまたがり「行きましょう!」と言って私の後ろから付いてきた。

 「これです!」お巡りさんは、びっくりしたような顔をしている。川の三人を見るとズブ濡れになりながら哀れな姿で私たちを見上げている。そこへ豚をたくさん積んだ“○○畜産”の車が引き返して来て運転手が「豚を見なかったですか?」と聞く、とっさに私は「いいえ!」と言ってしまった。「どうも!」といいながら“○○畜産”の車は坂道を大急ぎで上って行った。お巡りさんは不思議そうな顔をして「この豚じゃないですかね?」と言うので下心のある私は「違うんじゃないですか!」と言うとお巡りさんは「この豚のはずですよ!」といいながら“○○畜産”の車をオートバイで追っかけだした。「私にしてみたら豚の顔なんて皆一緒に見えるし誰の豚か見分けは付かない。ましてや豚を拾って駐在所まで行ってお巡りさんを呼んできたんだからこの豚は拾得物である。」ぶつぶつ独り言を言っていると、お巡りさんと運転手が帰ってきた。「この豚です!」と運転手、「どこに証拠があるか!」と言いたかったけれど「この豚、車にぶつかりそうになってこの上の崖から落ちたんですよ」と適当にその場は口から出任せに言ってしまった。「すみませんが、豚を車に載せたいのですが手伝って下さいませんか」と言う。「ロープは持っていませんか」とも聞く。7、8m下の川の中から道路まで引き上げるためにロープが必要である。土木工事の車からロープを借り引き上げようとするが、あまりにも豚が重い。道路は狭いし車はひっきりなしに走る。お巡りさんは交通整理はお手の物らしくスムーズにやるが辰義兄と久光兄と渥美君に運転手に私では豚がなかなか引き上げられない。豚がギャーギャー泣くものだから車に載せている豚がパニックをおこして暴れている。行き交う車の人は物珍しげに笑いながら走って行く。息カーカーしながら、やっとの思いで引き上げるが次は車に載せなきゃならない。辰義兄と久光兄と渥美君と運転手の四人が車に載せようとしている姿を見ているとこれまた面白い格好である。豚の足を持ち、豚の腹に頭をあて持ち上げているのである。久光兄の格好ときたら今にも両手で豚の両足の肉を隙あらば、ちぎり取ってポケットに入れたいように爪まで立てている。その間に私はというと、「お巡りさん、この豚は拾得物扱いになるのですか?」と聞いている。私の問いにお巡りさんは「この豚が死んでいましたら拾得物扱いになるのですが生きていますので拾得物扱いにはならないでしょうね!」と言う。

 苦労しながら車に積んだ四人は息が上がってその場にヘタリ込んだ。お巡りさんが運転手を呼んで「あなたはこの四人の方々へお礼をする義務がありますのでお礼をして下さい!」拾得物扱いなら豚の金額の何%から一割とか言っている。お巡りさんが私に「運転手へ名刺をあげて下さい」と言うので「お礼は結構ですよ!」と言いながら名刺を差し出してしまった。帰り際にお巡りさんに挨拶をして「お巡りさん、豚の一割と言ったらどれくらいですかね。足の二本ぐらいですかね」と言ったらお巡りさん笑いながら「本官は解りません」と言って敬礼して帰ってしまった。(お巡りさん、拾得物扱いにしてくれたら貴方に豚の足一本差し上げましたのに!)。

 大きな豚を釣り損ねた事も忘れたその年の暮に“○○畜産”の獣医という方が私の会社へ焼酎二本と脇腹に大きなふろしき包みを抱えて、あの時のお礼に訪ねてこられた。いろいろお礼を言われて焼酎を二本差しだすものだから一応、儀礼的に断りはしたものの脇腹のふろしき包みが気になり出した。(ふろしき包みの中身はもしかしたら、牛肉の固まりか、ハムの詰め合わせセットかな)と一人で考えているうち獣医さんは丁重に挨拶をして帰られた。豚の足(腿肉付)の期待があっと言う間に焼酎二本に変わってしまった。その二本の焼酎も釣りクラブの忘年会に使うべくしてホテルまで持って行ったら玄関で一本落として割ってしまった。(獣医さん、 あのふろしき包みの中身は貴方の書類だったのですね!)。

 大きな豚を釣り損ない焼酎二本が一本になり奄美観光ホテルの正面玄関前を掃除するはめになった哀れな男達の結末。

このエッセイは1998年9月1日付の名瀬ライオンズクラブ会報に掲載されたものです。

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