バカの釣り日誌  第三話

磯釣りの瀬渡船はただ船にのるな!vol.2

藤井裕孝著

 父の釣り好きが子供の私へ影響が大であったかも知れないが、私の長男は今のところあまり興味をしめさない。長男が小学3年生の2月28日、前日は大粒のアラレが降り大変に寒い日だった。奄美磯釣連盟のチヌ・クロ釣り大会に参加すべく前日より準備をし釣りクラブ4名に長男、私と6名で宇検村枝手久島へチヌ釣りに行くこととなった。

 潜りも趣味としている会員の船が宇検村の宇検集落に置いてあるという。準備万端で宇検に来てみると船がとても小さい。これでは小さ過ぎるので2回に分けて枝手久島へ渡ることにした。最初は操船する彼と2名が宇検集落の真向かいの浜に上がり、残りの4名が続いて乗り込み枝手久島へと向かった。4名分の荷物と人間4名では船にも無理があった。枝手久島へ向かって三分の一も行かないうちにと2、3回 波をかぶった瞬間に周りの荷物が浮かび上がったのである。まさかとは思ったが水浸しになった船の中で4名顔を見合わせていると瞬く間に船は沈んでいった。エンジンに繋いであった燃料タンクが沈んだ船から自らの浮力でロケット弾のように7、8メートル飛び上がった。

 初めての体験で頭の中が真っ白になった。目が見えない・言葉が出ない。どれだけ時間が経ったのだろう。おそらく一瞬の出来事だろう。我に返ると長男の姿が見えない。「豪!豪・・・!」息子の名前を叫んでいた。「豪!豪・・・!」すると青いビニールシートの下から微かに「お父さん!どこ?」「お父さん!どこ!」と悲痛な叫ぶ声が聞こえた。声のする方へ泳ごうとするが雨靴のように長い磯ブーツを履いているので思うように泳げないのである。やっとの思いでブーツを脱ぎ捨て息子の所までたどり着きビニールシートを急いで取り除いた。青いビニールシートの下からビックリしたような顔をして出てきた。「大丈夫か!」と聞くと「うん」と言って平気そうな顔をしている。船に乗る前に息子には救命胴衣を着けさせしっかり紐まで結んだのであった。救命胴衣のおかげで息子一人だけが浮いているのである。「これから体育の時間!あそこの真珠の養殖筏まで水泳の練習をしよう!」と二人で泳ぎだした。すると「あーもうダメ・あーあ、あーあ」と後方から声が聞こえた。声で分かったが、もー沈んでいくところかなと思い振り返ると泳げない泉君がクーラの上に腹這いになろうとしてはひっくり返りもがいているのである。「クーラーを持って片手で泳がんか!」と怒鳴った。その声に冷静さを取り戻し彼もまた泳ぎ出した。 

 潮に流されながらやっとの思いで泳ぎ着いた真珠養殖筏はロープとプラスッチックの丸い浮き玉だけで出来ているのである。腰を掛けられると思っていた私まで泳ぎ着いてガッカリした。しばらく休憩をしたところで船の操舵をしていた渥美君が「今か船を呼んでくるから!」と言って泳ぎだした。
 
「寒い寒い」と言って息子がすり寄ってくる。しっかり抱き寄せてみると歯をガチガチと鳴らしている。「豪、今度は音楽の時間!二人で歌を歌おう!」と言うと「お父さん!こんな時に歌が歌えるか!」と言う。顎はガクガク、歯はガチガチで歌は歌えないのは当然である。風は吹いて来るし、日は暮れてくるし不安は募るだけだった。
冷静になり泉君を見ると疲れ切ってガックリとして今にも白目をむき出しそうになりロープにつかまっている。

 どれくらい経っただろうか微かにエンジンの音が聞こえ段々その音も大きく聞こえてくる。島のサバニ(板付舟)が助けに向かって来たのである。どれほど嬉しかったか表現出来る物ではない。渥美君が筏から陸まで泳ぎ県道沿いに宇検集落に向かう途中でオジサンと会った。事の次第を話したところ自分の舟を急いで走らせたそうである。
 舟は息子と私の横を通り過ぎ風下の泉君より助けはじめた。流れは早いし風は強いしなん何度も何度も舟を近づけるがタイミングが合わず泉君は舟に上がることが出来ない。それを見ていた息子は
「お父さん、あの舟は僕達を助けないつもりかも?泉兄ちゃんばかり助けようとしてる」と言いながら心配そうな顔をしている。「豪、海で人を助ける時には吹く風の風下、反対側から助けないと舟が流されて難しいから泉兄ちゃんから先に助けるんだよ」と言うと納得したようである。

 三人はやっとの思いで舟に助けてもらった。宇検集落の船留に係留し船を降り浜づたいに歩こうとすると「お父さん、僕歩けない足が曲がらない」と言う。豪の足は寒さで硬直して歩けないのである。私も磯ブーツを海の中で脱ぎ捨てていたので寒さで足が痺れた状態になり息子を抱えて歩く砂浜が針のムシロに思えた。

 助けてくれたオジサンに「枝手久島に先に渡った中間がいますので明日の朝迎えに言って下さい」とポケットから濡れた千円札を何枚か渡し御礼もそこそこにガタガタ震える息子を抱きかかえ車に乗り込んだ。どっぷり日も暮れた頃に宇検集落を出発した。車のヒーターを最強に入れるが体はなかなか暖かくならないものだ。寒さに我慢できず大和村今里へと走り妻の友人宅へ駆け込んだ。事の次第を話し風呂に入れてもらうと思った。家主がお湯を張ろうとするが「おかしいなー風呂のスイッチが入らん!」と言っている。こんな日の事を三隣亡と言うのだなと情けなくなった。全員ガタガタ震えながら車へ駆け込むがヒーターは効いてはいるのだが濡れた服に芯まで冷えた体は寒くてたまらない。

 会員の妻の実家が大和村にあることを思いだしその家へ急いだ。訪ねてみるとお風呂はグラグラ沸いているという一番先に入った私と息子の手の平、足の裏までしわしわになっていた。息子が風呂の中で「お父さん!友達に釣りに行くっち言ったのに今日は魚釣り出来んかったから、明日、釣りに行かんば嘘つきになる!どこかへ行こうね!」と言う。この子はどんな神経してるんだろう返事が出来なかった。皆で焼酎を飲みながら談笑していく内に怖かった事も忘れほろ酔い気分で御礼を言い帰宅した。

 家に帰ると妻が「今晩は枝手久島で泊まるんじゃなかったの?」と言う。妻の顔を見て「息子を死なせずに良かった」という気持ちが沸き上がってきた。息子は事の経緯を妻へ話していた。真っ白になった頭の中が焼酎のお湯割りで段々と元通りになるのを感じつつ「やはりゴツゴツした岩の上でなく日本人は畳の上で寝るのが一番だな・・・」コタツの中で睡魔に襲われながら・・・。

 ただ船に乗って恐怖を味わい魚釣りは出来ない、大切な釣り道具は海の中、体力を消耗した大変な釣行だった話し。やはり「ただより高い物はない!」と昔の人が言ったのは本当だった。このような体験はやろうと思って出来るものでもないし二度としたいものでもない。

このエッセイは1998年11月17日付の名瀬ライオンズクラブ会報に掲載されたものです。

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