バカの釣り日誌  第三話

磯釣りの瀬渡船はただ船にのるな! vol.1

藤井裕孝著

 「近くだから、友達だから、無料だから」と言ってただ船に乗ったら大変なことにある。

 磯釣りを初めて間もない頃、正月の二日に川上勝兄と弟の達郎君と三人で一晩泊まりで住用村の市へ釣行した。達郎君の嫁さんは市の出身で義父が船を持っているので磯に渡してくれるという。私と勝兄は丁重に断ったのだが、新婚間もない達郎君達が「折角だから渡ろう!」と言うのである。丁重に断っている私達に達郎君の義父まで「ただで渡すから!」と言うのだ。新婚間もない達郎君の顔立て乗せてもらうことにした。
 達郎君の義父の後をついて集落を海へ向かって歩き出した。道すがら近くにいる高校生に声を掛ける。海に着く頃には5,6名になっていた。
「おかしいな?」と思っていると海に船が浮かんでいないのだ。なんと達郎君の義父の舟は浜の奥に上げてあり、舟を海まで担いで下ろさなければならないのだ。現在では立派な船溜まりができ簡単に舟に乗れるが、以前、市集落の海岸は丸い玉石で有名だった。その歩きづらい浜を磯靴を吐いて重い舟を担いで海まで下ろさなければならない。磯靴はご存知のように金属の針を無数に靴底に埋め込んだものだ。玉石の上を磯靴で歩くとツルツル滑る。磯釣りをする前にひっくり返らないように神経とスタミナを消耗したくない。

 すると「ハッケ〜名瀬のネセンキャ(青年達)の力のねんこと!」と達郎君の義父は怒っている。エンジン付近を持たされた私は肩に丸太ん坊がくい込む。「アイタッ!アイタッ!」と唸り声。「ただだから我慢せんか!」とも言っている。死ぬ思いで舟を下ろし浜から離れホッとしたのも束の間、今度はエンジンが掛からない。「ガンタレ船!」と心の中で叫んだ。四苦八苦の末にエンジンがやっと掛かり磯に渡った時には日も暮れかけていた。達郎君に聞こえないように「勝兄これだれば金だして別の船で渡れば良かったや」とに言うと納得したような顔で笑っていた。

 魚は釣れないしおまけに寒くてたまらない。今のようにダウンの寝袋でも持っていたらいいが当時は厚着をするだけであった。寒さを紛らわそうと会話をするが話をすると体温が下がるような気がして黙っていた。「寒い思いをして、餌代、渡船代、弁当代を使ってるのに魚は釣れん。も〜最低である。家に居てコタツに足突っ込んで焼酎飲みながら洋画劇場を観とった方が良かったや」とこのような釣行の度に思うことである。

 正月の二日で水温も下がり小魚が4,5匹と釣果もさっぱりでアイスボックスの中で小魚が虚しく横たわっているだけだった。結果は冬の磯場で寒い思いをしただけだった。翌朝、達郎君の顔を見ると顔半分がやたら大きく腫れあがっている。たずねてみると「ムカデに刺された!」と言う。「ハゲ〜泣き面にムカデじゃがな〜!」とからかうと面白くなさそうな顔をしていた。

 迎えにはエンジン不調の達郎君義父の船は来ず別の船が迎えに来てくれた。市の浜に着き荷物を降ろしていると小学生数人が駆け寄って来て「おじちゃん釣れて?」と言いながらアイスボックスを開けようとするので「それは道具箱!」と見せないようにしていた。するといつの間にかアイスボックスの蓋を開け「あっちゃれ〜三人でこれだけ〜!」と大声で笑いながら走り去っていった。「クソガキめ!」なんとも寒くて情けない正月の釣行であった。

つづく

このエッセイは1998年11月17日付の名瀬ライオンズクラブ会報に掲載されたものです。

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