役に立たない幕末人物紹介




土方歳三土方歳三 (ひじかた としぞう)

新選組副長。近藤と同じく元は百姓の出。
人並みはずれた戦術家であり、彼なくして幕末新選組の活躍はなかった。あの局中法度書の創作者でもあり、なんでもかんでも切腹を言い渡すもんだから隊士たちからそれはそれは恐れられた。人呼んで『鬼の土方』。そのいっぽうで、俳句が趣味(しかも下手)という案外カワイイ面もあったらしい。
近藤亡き後、戊辰戦争の最後まで新選組を率い、五稜郭の戦いで命を落とす。享年34歳。

<オススメ文献>私の一押しは、『燃えよ剣』はじめ司馬遼太郎作品の土方氏。めっさ男前です。ただし性格は悪い。






沖田総司沖田総司 (おきた そうじ)

新選組随一の剣客にして一番隊隊長。
生まれ年がはっきりしておらず、天保33年説と35年説がある。多くの人は35年説をとるので、それによれば15歳で天然理心流目録、19歳で師範代になった、稀にみる天才剣士。
道場主の近藤や同門の土方らについて京都に上り、新選組結成後、倒幕をとなえる浪人たちを斬りまくった。
有名な話なので改めて紹介するまでもないだろうが、沖田総司は労咳(肺結核。当時は不治の病)を患い、鳥羽伏見以降の戦いに参戦する事なく、慶応4年(1868)に25歳という若さで世を去った。
ところで沖田総司といえば、人は薄幸の美青年剣士というイメージを抱きがちだが、実際写真こそないものの(上の画像は似顔絵)、資料に残される沖田の風貌は、ヒョロ長だの色黒だのヒラメ顔だの、乙女の夢を粉砕するものばかりである。夢見るお嬢さんたちは過剰な期待をしてはいけない。

<オススメ文献>私の一押しは『新選組血風録』はじめ司馬遼太郎作品の沖田総司。あのわけのわからない性格がナイス。






近藤勇近藤勇 (こんどう いさみ)

新選組局長。
芋道場と名高い(?)天然理心流試衛館のもと道場主。同門の土方や沖田とは古い間柄。
田舎の百姓の出だが、幕末の動乱に乗じて出世街道まっしぐら。新選組最盛期には小大名ほどの財と権力と持つが、転落も早かった。
鳥羽伏見(近藤は負傷により不参加)後、慶応4年(1868)、流山(千葉県)で捕らえられ、斬首刑に処せられる。
ゲンコツを握ったまま口に出し入れするという脅威の宴会芸を持つ男。






原田左之助原田左之助 (はらだ さのすけ)

宝蔵院流槍術の達人にて新選組十番隊隊長。近藤・土方らとは江戸試衛館以来の仲間。
江戸で近藤らと袂を別った後、消息不明になる。
一説によれば、その後中国大陸に渡って山賊の首領になったともいう。ワイルダー左之ならやりかねない。むしろそっちのほうが、日本幕末という枠にとらわれないデッカイ男だったという事で、楽しすぎるから良し。ナイスだ左之助。

<オススメ文献>私の一押しは、早乙女貢著『新選組斬人剣〜土方歳三』の左之助。この作者の話はあまり好きではないが、この人の書く左之はかっこよくてめちゃ好きである。






坂本竜馬坂本竜馬 (さかもと りょうま)

言わずと知れた薩長同盟の立役者。
幕末において「世界に目を向ける」という、人より二歩も三歩も進んだグローバルな考え方を持っていたが、それを理解する者がいなかったため割と変人扱いされていた。
でも無血革命を訴える彼がもう少し長生きをしていれば、幕末の戦乱はずっと穏やかな終結を見たかもしれない。残念無念。
かなり腕の立つ剣客だったそうだが、これからは鉄砲の時代であることを悟り、いちはやく乗り換えて刀ではなく鉄砲を持ち歩いた。そのため彼を卑怯者と呼ぶ者もあったというが、先見の明があっただけで、事実その数年後には鉄砲が戦術の主流となっている。時代の先駆者はいつも風当たりが強いもんである。
西郷隆盛に呼ばれて旅行に行った鹿児島の地で、妻おりょうと共に日本人初の新婚旅行をした男。(ちなみに世界初はキュリー夫妻。確か自転車での旅だった……どうでもいい話だが)その旅行ルートは今でも『竜馬と歩く散歩ツアー』と題して毎年開催され地元民に愛されている。(当然私は参加なぞしたことはない)
幕府の恨みをこれでもかと買っていたので、慶応3年(1867)に京都にて暗殺される。犯人は京都見廻組だとか、薩摩藩をバックにした高台寺党だとかいわれているが、真相はいまだ謎のままである。






伊庭八郎伊庭八郎 (いば はちろう)

江戸三大道場のひとつ、名門心形刀流伊庭道場の跡取り息子。
『伊庭の小天狗』の異名を持つほどの若き天才剣客。ちなみに沖田総司と同い年。
遊撃隊(将軍の警護を任務とする隊)の副長として鳥羽伏見から参戦する。のち慶応4年(1868)に山崎の戦いにて左腕を失うが、その後も蝦夷に渡り官軍と最期まで戦った。明治2年(1869)、五稜郭内にて絶命。享年26歳。
剣ばかりでなく学問にも秀で、容姿も屏風絵にされるほどの美男だったらしい。天はニ物も三物も与えるものである。
しかし伊庭は生来が由緒正しい武士階級だったため出世欲には欠しかったらしく、(幕末に活躍した者たちはその殆どが元は低い身分の「成り上がり武士」であった)、五稜郭では土方のほうが彼よりはるかに出世していた。これもプチ下克上か。世の中そんなもんなのかもしれない。
土方とは江戸試衛館時代に交流があったという説もある。ケンカの助太刀をしてもらったこともあるとかで、ファンとしては大いに推したい話だ。

<オススメ文献>私が一番好きなのは、池波正太郎著『幕末遊撃隊』のイバハチ。粋な江戸っ子っぷりがたまらない。