片浦お伊勢講祭り

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「片浦お伊勢講祭り」基礎データ

片浦お伊勢講祭りは、幟、先払いの道化面(ヒョットコ・狐)、祠、稚児が続くご神幸行列の祭りです。伊勢の神は賑やかなこと・荒々しいことを好む神とも伝えられることから、オイセサンを喜ばせ、集落安泰・厄病退散を願います。

「片浦お伊勢講祭り」写真と解説

片浦お伊勢講祭りの振り子1.片浦お伊勢講祭りの概要

(1) 名称

 天照大神を祀る伊勢神宮の大麻を納めた木祠のご神幸行列を行う祭りで、片浦公民館では現在は「お伊勢講祭り」の名称を用いている。もともと単にオイセコウ(お伊勢講)、オイセドン(お伊勢殿)とも呼ばれていた。

(2) 伝承地

 高台にある片浦公民館で神事を執り行った後、集落内をご神幸し、漁協前から旧道を通って片浦漁港の防波堤に向かう。道中5か所で行列をとめ、狐などの面をつけた「振り子」役が四方に散って、見物人を採り物で叩き(祓い)、賽銭を集める(採り物はケン・ナギナタと呼ばれる模造刀)。集め終わると再び整列してご神幸を再開する。防波堤で一振り(振り子が肩に乗せた採り物を左右に振ること)した後、帰路は新道を漁協まで進み(現在は途中1回止まる)、漁協前でご神幸を終える。

(3) 伝承日時

 毎年2月11日で、午後2時から神事、3時ごろからご神幸がみられる。この日は南さつま市笠沙地域・大浦地域・加世田地域でも、お伊勢講が行われている。

(4) 伝承組織

オイセコウのカンサア 片浦公民館の行事。『笠沙町の民俗・上巻』によれば、「村落の役員達の間でクジ引きにより宿を決めて一年交代で祀っていたものが、戦後、公民館に移された。…二才入りの二才祝いがあった後でオイセドンをする」〔96頁〕という。

 片浦ではもとの紀元節(現在の建国記念日)に青年団に入る(二才入り)習慣になっていた。二才入りという、一人前として認められる人生の節目に、これら青年を中心に、伊勢講の祭りが行われるようになったという。現在も男子だけが振り子になる。近年は青年の数が少なく、他の集落の中学生にも参加を呼び掛ける。学校再編で大笠中学校(だいりゅう ちゅうがっこう)となったので、大浦の中学生にも協力してもらっている。2016年の大笠中学校生徒協力者9人。うち片浦は2人。

(5) 由来伝承

片浦お伊勢講祭り 片浦は、享和2年、天保14年、昭和19年に三度の大火に見舞われ、講帳などが伝わっておらず、起源・由来は明らかでない。

 伝承によれば、代参講として起こり、のち伊勢神を勧請して祭るようになったため、代参は行われなくなったとされる。

 当初は、毎年祭る宿を決めて、1年間その家で祭ったという。集落がほとんど全焼した天保14年の片浦大火の際、焼け残った1軒が伊勢神の宿で、これはお伊勢さまの神意によって火事から免れたと伝わる。それ以来、宿が山手に決まった時は、必ず何か異変が起こるに違いないからと言って、集落民全員が、特に火の用心に努めたという。

 その後、いつの頃からか、現在のようなご神幸行列を行うようになったとされる。

2.片浦お伊勢講祭りドキュメント

(1) 道具立て・用具類

振り子の面 皇大神宮の大麻を納めた木祠は、「カンサア」と呼ばれ、幅45cm、高さ84cm、奥行き45cm。ご神幸行列では、これを台座に乗せ神輿とする。その木製の台座は、長さ182cm、幅60cm、高さ7.5cm。

 この木祠は、以前は集落役員(評議員という)が、くじ引きをして宿を決め、その家で一年間祭っていた。その後、公民館で祭られるようになった。当初は付近に住んでいた宮司に頼んで祭り、今は公民館長・主事が管理している。

 ご神幸行列の先払いとなる振り子は、女装してほおかぶりに鬼や天狗などの道化面を着け、素足で、模造刀のナギナタかケンのいずれかを持つ。

 面には実測したものには次のようなものがある(幅×高さ×厚みの長さ。写真の左下から)。天狗面(15×29×16cm。朽ちている)、ひょっとこ面(17×20×7cm)、鬼面(18×20×7cm)、般若面(16×19×8cm)、狐面(15×22×8cm。口が動く)、狐面(14.5×23×9cm。新しいもの)、おたふく面(17×20×4cm)、ひょっとこ面(15×21×6cm)、エビス面(18×24×7cm)。

 ナギナタは、全長135cm。うち柄は長さ99・直径4cm、刃は幅6.5cm・厚さ1cmで、杉板に銀紙を巻いてある。

 ケンは全長129cm。柄の長さ97・直径4cm、柄にはリボンがつけてある(37cm)。刃の幅は6.5cmで、金の色紙を巻いている。

衣装箱の墨書 行列に使う道具類には、他に以下のものがある。
○鉦…1組。平成2年購入したシンバル。直径31cm。
○幟…2本。長さ176cm、幅33.5cm、朱地。
○挟み箱…2つ。幅44、高さ23.5、厚さ16cm、ナギナタをかつぎ棒にする。
○太鼓…1つ。直径44、長さ41cm。太鼓を担ぐ棒は181、直径5cm、紅白の縞模様を巻いてある。バチはカタギで長さ46、直径2.5cm。
○賽銭箱…長さ90、幅35、高さ7cm。ダンボールで蓋をしている。

 振り子の衣装は、古くはそれぞれの振り子の家の襦袢や親戚の女性の持ち物を借りてきて着ていた。しかし、着ている衣装で誰が振り子になっているか分かったり、衣装比べで金がかかりすぎると批判が出て、公民館で買いそろえることになったという。伝わっている衣装箱の蓋に、「御伊勢様御供勢子衣装類 昭和六年弐月例祭新調 一、衣装二十九人前 一、帯二十九人前」とある。

 鉦・幟・挟み箱・太鼓持ちも、振り子と同じ装束(面・女装・はだし)で、カンサア持ちは白装束に烏帽子をかぶり、墨で髭を書く。

(2) 準備・神事・式典

神事 当日は午前8時から、女性部がぜんざいなど料理の準備を始める。

 午後2時半から神事・祭典が執り行われる。

 神事では、初めて振り子となる数え年15歳の二才に、人生の節目に当たり、健康で立派な青年に育つようにと、その無事を祈る祝詞があげられる。次に公民館長、振り子代表、来賓、女性部の順に、玉串奉奠。

 その後式典となり、公民館長挨拶、来賓祝辞が行われる。

 出発前には、ご神幸の無事を願う意味でしばらく間合いを取る。振り子にはぜんざい(昔は甘酒)、集落役員や来賓には酒をふるまう。

(3) ご神幸

公民館を出発 公民館から集落を反時計回りに、防波堤の灯台に向かう。帰りは漁協向かいの消防団詰め所前まで行列を組み、そこで解散して各自公民館へ戻る。

 ご神幸行列の順は、鉦1人(シンバル、上級生がもつ)→幟2人→振り子(2列でケンかナギナタのいずれかを持つ、実見した2016年は7人×2列で14人)→挟み箱2人→太鼓持ち(2人で一つの太鼓を担ぐ)→カンサァ持ち(2人で1つの木祠を担ぐ)→野間神社宮司(1人)・稚児(1人。小学校入学前の男児)→賽銭箱持ち(1人)→集落役員と続く。

 道中、太鼓の合図で振り子が、肩に担いだケン・ナギナタの採り物を左右に揺らし、「オイヤナー、オイヤナー」と唱える。鹿児島弁で「いらっしゃいますかー」という意味で、賽銭を集めて回るときの掛け声。昔はこの後に、「ヅッケンケン」と続けていたという。停止場所では振り子が四方に散り、これぞと思う観客を叩いて回り、賽銭を請う。「喧嘩みたいにもなる。面をつけているので先生も叩けた。ケンやナギナタもよく折れて、作り直した」という。

振り子の行列 叩くのは祓う意味もあると思われる。叩かれた人は、一年間無病息災で、縁起が良いとされる。観客側では、振り子が面をかぶっているので誰に叩いたかわからない。そこに面白さがあるという。隣の集落まで追いかけたという話も聞かれた。

 一通り賽銭を集め終わると、ヂャンヂャンヂャンヂャンという鉦の合図で再び整列し、ご神幸を再開する。防波堤では野間岳(南)に向かって整列して「オイヤナー、オイヤナー」と唱える。

 同じ南さつま市の大浦地区ではお伊勢講のときに、疱瘡踊りがみられるが、片浦では見られない。

(4) 二才入りの祝い

 ご神幸が終わると各自公民館に戻り、二才入りの祝いがある。そのあと、新振り子の家で公民館役員(昔は青年団の人たち)、親戚、知人、集落民、誰ともなく呼ばれ、二才入りした新振り子の成長を祝福し、夜遅くまで祝いの宴が続く。

3.片浦お伊勢講祭りの特徴と意義

 南さつま市内には、各地に御伊勢講行事が残る。特に市西部では盛んで、大浦町には疱瘡踊りが伝承されている。南さつま市における伊勢講行事は、その先一年間の祭祀者(宿・会所・お旅所)を決める「宿決め習俗」から始まり、新しい宿までの「宿移り習俗」、新しい宿での「宿迎え習俗」と続く。

笠沙町のお伊勢講概念図

 笠沙町では宿移り(御神幸行列)に重点が置かれ、大浦町では宿迎え(疱瘡踊り・棒踊り)が盛ん。加世田の御伊勢講は大浦町から伝播した可能性がある(小湊の疱瘡踊り・上津貫の宿移り習俗など)。また、金峰町・坊津町でも伊勢講行事・疱瘡踊りが伝承されている。

片浦お伊勢講 御伊勢講は、もともと伊勢神宮参拝の経費を捻出するために作られた「代参講」の一つ。薩摩半島では、こうした本来の目的とともに、賑やかなご神幸行列や疱瘡踊りが付随して伝承されているのが特徴である。

 笠沙町の御伊勢講は、仮装を伴うにぎやかな宿移り(御神幸)が特徴となっている。その行事は、漁村部と農村部の二系統に分けられる。

 漁村部の野間池・片浦・小浦の伊勢講は、二才入り(青年団入団)というイニシエーションを伴い、伊勢神の集落巡幸の中で豊漁祈願と集落民の無病息災を願う。

 農村部の赤生木では、西隣の大浦町の御伊勢講と同様に、疱瘡踊りを伴い、疱瘡退散と新年(旧暦1月11日)を迎え先一年間の集落民の無病息災を願う。

 赤生木伊勢講には、御師が文化14年(1817)にもたらした掛け軸が伝わっている。近世の薩摩における御師の活躍を垣間見ることができる貴重な資料と言える。

「笠沙町の御伊勢講」記録映像・記録画像

笠沙町の御伊勢講(片浦)
片浦の御伊勢講

2004年
YoutubeWMP

笠沙町の御伊勢講(小浦)
小浦の御伊勢講

2006・2013年
YoutubeWMP

笠沙町の御伊勢講(野間池)
野間池の御伊勢講

2008年
YoutubeWMP

笠沙町の御伊勢講(赤生木)
赤生木他の御伊勢講

2007年
Webアルバム


〔実地調査〕
2004・2013・2016年2月11日

〔参考文献〕
下野敏見編 1990 『笠沙町民俗文化財調査報告書(2)笠沙町の民俗・上巻』鹿児島県笠沙町教育委員会
編纂委員会編 1993 『笠沙町郷土誌・下巻』鹿児島県笠沙町

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