鬼火焚き

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「鬼火焚き」基礎データ

鬼火焚きとは、正月の七日に、大やぐらを焼いて、正月飾りについてきた悪霊(鬼)を追い払う鹿児島の伝統行事です。他県ではトンド焼き左義長などとも呼ばれます。南さつま市金峰町白川では、子供たちが一晩やぐらに泊まって番をし、翌朝、鬼火焚きをします。

「鬼火焚き」写真と解説

1.鬼火焚きの概要

白川の鬼火焚き新しい年を祝う鹿児島の正月行事は元日、七草(七日節句)、小正月の三つのグループに分けられる。7日には、前日のムイカドシに片付けられた正月飾りを川原や広場で焼く、大きな火祭りがある。この行事はオネッコ・オネッポ・オニケンビなどと呼ばれ、いずれも鬼火焚きから来た言葉。竹櫓とともに正月飾りを焼いて、火と竹の弾ける音とで、祖霊とともに正月飾りについてきた鬼(悪霊)を追い払い、残り火で餅を焼いて健康を祈願するものと考えられている。

2.南さつま市の鬼火焚き

南薩の南さつま市でも鬼火焚きは盛んで、現在でも金峰地区・加世田地区に見られる。

筆者の調査によれば、かつて笠沙地区では野間池でも「オネコタンタン」という鬼火焚き行事があった。青年が櫓を組んで、子供たちが集めて回った正月飾りを、野間池の南側の浜で焼いていたという。大浦でも、鬼火焚きは柴内などで見られた。これらは、いずれも現在の加世田内山田で見られるような素朴な竹櫓を焼く習俗と思われる。

(1) 金峰町白川の鬼火焚き「おねっこ」

櫓立て白川では、かつて集落ごとに小さな櫓による鬼火焚きを行っていた(オネッコ。オネコと呼ぶ)。その頃の竹櫓は、四方のうち2方向には川の土手を利用し、残り2方向を今のように茅壁や竹で囲う簡易なものだったという。しかし、その頃も正月6日に夜通し子供が櫓を守り、翌朝点火していたという。櫓の高さは今の半分ぐらい。

こうした各集落の鬼火焚きは戦後一時途絶えたが、1978年、北薩地方に見られる鬼火焚きを模し、現在のような大きな櫓を組む鬼火焚きが復活した。PTAを中心に行事を行ってきたが、少子化でPTAだけでは行事を支えられなくなり、2012年からは住民総出の地区行事となった。

2012年の白川鬼火焚きは、1月7日(土)から8日(日)にかけて、次のように行われた。もともとは正月6日に櫓を作り、7日早朝に燃やしたが、近年はそれに近い土日に行っている。モウソウチク(孟宗竹)などの材料集めは、地区民の協力を得て、12月から始める。

2012年白川の鬼火焚き行事(櫓作り・鬼火焚き)

田んぼのお清め@田んぼのお清め

1月7日(土)午前8時、櫓を立てる田「前田の田んぼ」に、棒で直径8メートルの円を描き、円の8か所と中心に仮杭を打って、柱の目印とする。その仮杭に、公民館長ほか役員がお清めの塩と酒(焼酎)を撒く。

A櫓立て

南向きに寝かせた4本の竹(モウソウチク。長さ17メートル)の、先から5メートルの部分をくくり、ロープをかける。先の笹を若干間引く。北側から20名ほどの住民がロープを引っ張り、やぐらを立ち上げる(この段階では4本柱)。さらに4本の竹を、1本ずつ櫓に立てかける。さきほど立ち上げる際に用いたロープを、後から加えた4本の竹に巻きつける。こうして、8本柱の竹櫓を組む。

B小屋作り

小屋づくり次に竹櫓の下部に、小屋の柱を立てていく。@で差してあった仮杭(9本)を抜き、その箇所に小屋の柱穴を掘る。穴に、二又の木柱(マテバシイ。高さ2メートル)を立てる。それぞれの木柱の間に、梁となる竹(モウソウチク)を渡す。さらに、梁の上にモウソウチクを並べ、天井を作る。

木柱立てや天井づくりは危険も伴うので、男性が中心に行う。これと並行して、子供たちや女性は、櫓のそばで小屋の壁を作っている。壁は茅や藁を並べ、竹(きんちく=ホウライチク、大名竹=カンザンチク)で挟んだもの。それを、小屋に立てかけ、ロープで縛って草壁にする。

屋内にいろりを切り、いろりの真上には火を避けるためにトタンを葺く。出入り口を剪定ばさみで整え、靴箱を玄関部分に据え、不要となった畳を搬入して完成。畳の下は藁を敷いてある。発電機からコードを引いて、蛍光灯を灯す。午後4時ごろ、住民は一旦帰宅。

C櫓守り

櫓守り夜になると、地区民は、正月飾りを持って、小屋に集う。正月飾りは、翌朝櫓と一緒に燃やす。小屋では子供たちが1年間の豊富を述べ、歌やゲームをして、楽しく過ごし、午後10時に就寝。大人たちはいろりの火の番をしながら、夜を明かす。

小屋の屋内は20畳ほど。いろりは中心の木柱を避け、北西部に切られている。いろりには自在かぎ。玄関は南西。屋外には簡易トイレも設置。

午前5時に起床し、蛍光灯を取り外し、燃えやすいように灯油を撒く。

D鬼火焚き

1月8日(日)午前6時、子供たちが松明で、櫓に点火。櫓はあっという間に火に包まれ、パンパンと竹のはじける音が、白川地区に響き渡る。

やがて櫓が崩れると、残り火で餅を焼いて食べ、無病息災を願う。午前7時から燠(おき)の片付け。

(2) 加世田内山田 中村・松元の鬼火焚き「おねっぽ」

中村・松元の鬼火焚き2001年の鬼火焚きは、1月3日から準備を始めた。加世田川の川原の草払いをし、竹を切り、櫓を組む。竹もこの堤防の竹を使う。昔は、子供が門松などを集めて、青年団で櫓を組んでいたが、今は集落の人数も少ないので親子会で準備している。

本当は1月7日にする予定だったが、大雨で川が増水して今日(8日)になった。今日は3時半くらいから火を焚き始めた。子供たちは5時過ぎにならないと集まってこないが、親たちの準備があるので、早くから焚いている。この行事は「オネッポ」とか「オネッポッポ」という。

元々は中村集落と松元集落別々にやっていたが、いつごろからか一緒にするようになった。以前は川の向かい側の田んぼ(高齢者福祉施設ケアハウスかせだ増築部)、昨年から施設の増築工事が始まったので、この場所(松元橋たもと)でやっている。以前は、「昭和○○年おめでとう」とか「謹賀新年」などと書いたモウソウチク(孟宗竹)ののぼりをやぐらの中に立てていた。

子供が参加する伝統行事としては、十五夜綱引きもあるが、今は綱ねり(綱綯い)をせず、既成のロープを使ってやっている。

(3) 加世田内山田 市来・山下の鬼火焚き「おねっぽ」

市来・山下の鬼火焚き七草はあらかじめ7歳の子供があることがわかっているので、親戚のうちなどではナナズシ(七草雑炊)の準備をしておく。最近は子供も少ないのであまりやらない。オネッポで焼く門松などは、これとは別に子供たちが集めて回っていた。今は青年団もないので、親子会で準備する。今日は午前中はゲートボールがあったので、午後1時から草払いをして準備した。竹は集落のモエヤマ(共有林)から集めてきた。

焚き始めは午後6時。子供から老人まで70人くらいが参加。オネッポという。火が消える9時くらいまで、オネッポのそばにビニールシートをしいて語り明かす。オネッポの火に当たったら百歳まで生きるといわれる。オネッポの火で餅を焼き、女の子たちが大人に振舞って回る。男の子はこのときだけは火遊びができるので、走り回ってはしゃいでいる。

櫓はモウソウチク(孟宗竹)を4本立て、高さ1メートル50センチくらいのところにモウソウチクで枠組みを作り、その下に燃えやすいように枯草などをいれる。イヌマキの葉も良く燃える。外側を笹や杉板を立てかける。杉板はやぐらが燃えすぎたときに火を調整する役目もする。門松の割り木などもこのとき燃やす。竹のはじけるパンパンという音が景気良く響く。あたりの集落(横平・田頭)でも火が登るのが見える。のぼりを立てたりはしない。

ずっと以前は公民館前の広場でやっていたという。オネッポは戦後一時期途絶えていたが、昭和47年くらいに市来山下壮年会という組織ができてから、今の場所(立神川の旧河川跡)でするようになった。ここなら集落から遠いので、火事の心配も要らない。県営団地ができたが、参加者はもともとの集落の人が中心で、少し寂しい。団地の子供たちにもっと出てきてもらいたい。

坂口集落では「オネッポの竹はどこで取ってもいい」といわれている。

七日節句の火祭り - 加世田風物詩 / 加世田の鬼火焚き分布図

3.鬼火焚きの分布と意義

小野重朗氏がまとめたところによれば、正月の火祭りには、大晦日、七日正月(6日・7日)、小正月(14日・15日)の三種類があり、小正月や七日正月の盛大な火祭りに対し、大晦日(年の晩)の火祭りは家ごとの火の燃やし始め習俗だという。さらに小野氏は、これらの火祭りについて分布図を示し、全国的に見られる小正月のトンド(ドンド焼き)系名称の火祭りに対し、七日正月の鬼火系名称(オニビタキ・オニビ・鬼ノ骨焼き)の火祭りは九州に主として分布しているという。さらに北九州のホッケンギョウも七日正月の火祭りで、九州以外でも七日正月の火祭りが東日本まで転々と見られることが報告されている。また、九州中部では小正月火祭りのトンドと七日正月の鬼火が接触・重複する地帯が見られるという。〔小野「正月と盆」388頁〜393頁〕

正月の火祭り(小野論文から筆者がまとめた)
区分 期日 名称 おもな分布 性格
大晦日の火祭り 大晦日(年の晩) 「年の火」「元旦火」など 全国各地 家ごとの囲炉裏の火で、新しい年を迎えての火の燃やし始め 
七日正月の火祭り 1月6日・7日 「鬼火焚き」「ホッケンギョウ」など 九州を中心に、全国に転々と残る 村の火祭りで、鬼など災厄をもたらすものを追い払う。 
小正月の火祭り 1月14日・15日 「トンド」「ドンド」「左義長」など 全国各地
(九州中部にも見られる)
盛んな火祭りで、農作の祝いの意味が深い。

鬼火焚きで燃やされる正月飾りなお、左義長については、平安時代の史料にも「左毬杖」「三鞠打」と記されているという〔『日本民俗大辞典』上巻(吉川弘文館)〕。

下野敏見氏は、屋久島で鬼火焚きの燃え残りのハマガシを自宅に持ち帰り、そこでも燃やす習俗から、正月の火祭りに家単位の「小さな火祭り」と村単位の「大きな火祭り」があり、「小さな火祭り」から修験道の影響を受けて「大きな火祭り」へと発展していったと述べている(修験道の影響は、北薩に見られる祭壇状の櫓からもわかる)。また、しめ縄が単なるおめでたい飾りではなく、神聖なタマ(霊)祭りを行っている屋内へ、悪霊(浮遊霊)が入らないようにする(シャットアウトする)ためのものであり、鬼火焚きではその悪霊の付いた正月飾りを燃やして退散させるとしている。〔下野1989〕

4.まとめと鬼火焚きの今日的意義

少子化の中、子供たちの参加する伝統行事には消滅に向かうものが多い。一方、鬼火焚きに限っては、その土地土地での古風な伝承を伴いながら、改めて復活し、さらに巨大化・風流化する変容が見られる。地域をつなぐ新しい民俗行事として、これらも注目される。


〔実地調査〕
2012.1.7〜8 鹿児島県南さつま市金峰町白川
2001.1.8 鹿児島県加世田市内山田(現南さつま市加世田内山田)中村・松元集落、市来・山下集落。
その他、各地で調査。

〔参考文献〕
小野重朗著「正月と盆」(『南日本の民俗文化U 神々と信仰』所収、1992年、第一書房)
小野重朗著「薩南の鬼火」(前掲『南日本の民俗文化U』所収)
小野重朗著「ドンドと鬼火の接触」(前掲『南日本の民俗文化U』所収)
下野敏見著「鬼火焚き・門松の意味するもの - 二つの火祭り・二つの正月 - 」(『東シナ海文化圏の民俗』所収、1989年、未来社)

鹿児島祭りの森