写真●島津貴久の灰塚

●島津貴久

Shimazu Takahisa

加世田校区日新地区愛宕下集落 →地図

島津忠良(日新公)の長男で薩摩・大隅・日向の南九州三州を統一した貴久は,没後加世田で火葬され,鹿児島の福昌寺に葬られた。
その後,貴久の長男義久がこの地に灰塚を立てた。現在のものは享和3年(1803)再興の灰塚。南さつま市指定史跡。

【島津貴久】 1514-71(永正11-元亀2)
薩摩の戦国大名。父は忠良。庶家の伊作家に生まれたが,本宗家の没落により家督を継承し,鹿児島に城を築き領内を統一。南蛮貿易に積極的姿勢を示した。
(朝尾・宇野・田中編『角川新版日本史辞典』,角川書店,1996 から引用)

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