写真●我鹿屯倉址の碑

●我鹿屯倉址の碑

Akamiyake <Asukanotomikura> Ato no Hi

田布施校区 金峰町高橋集落の西端

日本書紀に、安閑天皇が533年「婀娜国胆殖屯倉」を設けたとある。『三国名勝図会』では婀娜を阿多と推定し、田布施の地名の起源に引用している。江戸時代にはこの地に薩摩藩の蔵(常平倉)が置かれた。写真は紀元2600年を記念して、昭和16年に田布施村が建立した「我鹿屯倉址」の記念碑。記念碑を建立するとき我鹿屯倉(あかのみやけ)と婀娜国胆殖屯倉(あなのくに・いにゑのみやけ)を混同して建立してのではないだろうか。なお、岩波古典文学大系『日本書紀 下』では、我鹿を福岡県田川郡赤村、婀娜国を広島県深安郡・福山市、胆殖を岡山県小田郡大江村に想定している。

戻る - 南さつま歴史遺産 - 半島文化