佐多の農具・田の神・運搬具 - 2010年鹿児島民具学会「佐多の民具共同調査」調査報告 | 鹿児島の民俗 - 薩摩民俗HOME

佐多の農具・田の神・運搬具

はじめに

佐多町位置図井上賢一著「佐多の農具・田の神・運搬具」(『鹿児島民具23号』,2011年鹿児島民具学会編・発行に所収)

 ここでは島泊集落での畑作ほかの聞書きと、佐多地区の田の神及び佐多公民館収蔵民具について報告する。

1.島泊の畑作農具

島泊の八島神社 島泊は、戸数80世帯の鹿児島湾に臨んだ集落。かつては小学校もあった大きな海村で、集落後背地で畑作が営まれていた。

(1)畑作と土地利用をめぐる聞書き

【割り替え畑・食生活】

○島泊磨崖仏の近くに、かつては畑があった。ウエンハイといった。主に女性がカライモを作っていた。戦後、大坂への出稼ぎが多くなり、徐々に耕作放棄されていった。
○島泊の畑は昭和30年頃まで、個人売買できないように共有にしてあった。今は分割して個人所有となった。地籍調査も5年ほど前に終了している。共有地は、畑が5年、田は3年で、割り替える。それをワイカイ(割り替え)という。くじ引きで場所を決めていた。長男、次男ぐらいまで権利があり、86人の共有だった。三男以下の子供は大工などの職人になったりする。
○戦後は食糧難で、カライモとイワシが主食であった。味噌、醤油は自家製であった。

【交通・交易・運搬】

○島泊の商店には、長浜商店・上籠商店の2軒があった。イサバ船という名前は知らない。自分が知っている運搬船は、ダンベ船という帆掛け(機帆船か)のもので、鹿児島へ運行していた。
○国有林を払い下げてもらい、炭にして、船で鹿児島や指宿に出していた。松はパルプ材になった。戦後は塩炊きもしていた。海水を朝から晩まで炊いて、7〜8升作った。その塩を、指宿に船で持っていき、米と交換した。
○山の木を切って薪にした。長さ40cmほど、直径30cmほどの束を作り、それをニガダケの皮で軽く巻く。あとからさらに2、3本間に入れ込むとよく締まる。薪はカイノ(背負い縄)で背負って山から下りた。島泊ではカリコ(背負い梯子)は使わない。
○牛は各戸で飼っており、畑を耕したり、堆肥を取ったりしていた。馬はほとんどいなかった。馬は運搬用。
○婚姻は島泊内ですることが多かった。

【信仰、年中行事】

島泊のエビス○島泊集落の神仏…八島神社(もともとは小さな神社だった。島泊を開いた27戸が祭りはじめたものという)、エビス、火の神(祭日は新12月の中の巳の日)、ウシガミ、祇園(祭日旧6月15日。お祇園さあの嫁入りといって、祠を持って宿移りする)。
○港のそばに祠を建てて祀ってあるエビス〔写真〕のほかに、個人(網元)で祀るエビスもある。中村スミエさんのところのエビスは、海に潜って拾ってきた石を御神体にしていた。
○十五夜行事…自分が小さい頃は、子供たちが山からカズラを集めて集落の川に浸しておき、十五夜には、2本のカズラを芯にして茅で作った50メートルもの大綱を引いていた。カズラで作ったヒキテ(引縄)を10本ぐらい付けてあった。集落を上・下に分けて引きあった。綱引きが終わると綱を土俵に回し、相撲を取った。終わると綱は個々に持って帰った。後にロープの綱引きになり、集落でお月見(祝宴)をするようになった。

(2)畑作農具

島泊の鎌ほかカギ・カマ・ゾウリンガマ・ノコ

 写真左からカギ(柄の長さ36cm×直径3cm、刃はカギ部分と三ツ股部分からなり全長19cm)、カマ@(柄の長さ22cm×直径2・5cm、刃長さ17cm×幅3cm)、カマA(柄の長さ38cm×直径3cm、刃は長さ17cm×幅3・5cm)、ゾウリンガマ(柄の長さ40cm×直径3・5cm、刃の幅14cm×高さ17cm)、ノコ(柄の長さ17cm×直径4cm、刃の長さ52cm×幅4・5cm)。


島泊の米揺りツイ(米ゆい)

 麦などの調整具。直径57cm。島泊で作れない農具は、鹿屋から売りに来たものを買っていた。米はあまりとれないので、上園から買っていた。


麦たたきムギタタキ

 木製の2股脱穀具。長さ75cm。股の部分から先は、片方が長さ30cm、もう1方が長さ32cm。

2.佐多地区の田の神石像

川田代の田の神 ここでは佐多地区の2体の田の神を紹介したい。
 川田代の田の神 佐多馬籠、川田代集落の棚田脇にある。永吉家の田の神。高さ50cm、幅32cm、奥行き21cmの凝灰岩に田の神像を浮き彫りしてある。うち像部分は高さ38cm、幅17cm。旅僧型と思われ、両手でメシゲを抱き、頭にはシキを被っている。南大隅町指定有形民俗文化財。


大川の田の神 大川の田の神 国道269号線、佐多伊座敷の大川集落南側の橋のたもとにある。凝灰岩に彫られた田の神石像。像は高さ44cm、幅28cm。右手にメシゲ(しゃもじ)、左手にスリコギを持ち、頭にはシキを被っている。

3.佐多公民館の農具と運搬具

 南大隅町佐多公民館(旧佐多町中央公民館)には、衣食住、農具、運搬具などが収集されている。保存状態は比較的良い。ラベルは付されているが、収蔵台帳はないようであった。

改良犂オコシ(改良犂)

 中央公民館には6本の改良犂(近代短床犂)が収蔵されている。写真一番手前のものは、木製で、犂身の長さ126cm、犂轅の長さ190cm。犂へらは鉄製左捻りで、長さ45cm、幅10cm。犂身と犂轅をつなぐ角度調整ボルトは45・5cmにしてあった。取っ手は木製で長さ40cm。焼き印は○久式南照號と読める。


平鍬平クワ(平鍬)

 柄は堅木で長さ107cm、直径3cm。刃は鉄製、長さ34cm、幅12cm。柄と刃の角度は40度。


カッサタタキ(脱穀具)カッサタタキ(殻皮叩き)

 ラベルには「カッサタタキ」と記されおり、薩摩地方でドンジなどと呼ばれる脱穀具。カッサは穀物の殻皮のこと。杉木製で、写真左側のものが柄の長さ72cm、打ちつける頭部は長さ15cm、幅・奥行き12cm4方。写真右は柄の長さ77cm、頭部長さ18cm、幅・奥行き13cm。


カリノ(背負い縄)カリノ(背負い縄)

 ラベルは痛みが激しく寄贈者は不明。肩当て部分長さ51cm、幅4cm。縄の部分長さ372cm。結び穴部分長さ9cm。


カガイ(背負い袋)カガイ(背負い袋)

 ラベルはなし。いずれもシュロ製。
 写真左のものは、袋部高さ43cm、幅49cm。縄を通す部分は高さ高さ7cm、幅10cm。縄の部分は長さ77cm。
 写真中央は、袋部高さ40cm、幅48cm。縄を通す部分は高さ高さ5cm、幅10cm。縄の部分は長さ77cm。
 写真右は、袋部高さ40cm、幅47cm。縄を通す部分は高さ高さ7cm、幅10cm。縄の部分は長さ65cm。


カレコ(背負い梯子)カレコ(背負い梯子)

 有爪背負い梯子。ラベルには「かれこ。寄贈者川尻集落。山にまき取りなどに行く時使う道具で、背中にせおって、その上にまきなどの荷を乗せて運んだ」とある。
 写真の左側のカレコは、本体は木製で高さ113・5cm、上部の幅12・5cm、下部の幅41cm。爪は長さ35cm、先の爪間は26cm。本体と爪との角度は60度。本体の後ろからカズラ製のロープがつないであり、荷物の固定に使う。背負い縄は麦藁製で長さ53cm、幅3・5cm。背中当ては稲藁製で、直径41cm。
 写真中央のものは、本体木製108cm、上部幅18cm、下部幅36cm。爪の長さは40cm。角度は60度。背中当ては直径38cm。背負い紐は長さ60cm、幅4cm。背中当て・紐ともにシュロ製。
 写真右側のものは、本体木製、高さ107cm、上部幅17cm、下部幅33cm。爪の長さは37cm、角度は60度。背中当ては直径34cm。背負い縄は長さ57cm、幅4・5cm。背中当て、縄ともにシュロ製。


曳き鞍ヒキグラ(曳き鞍)

 右写真の鞍は、木製で高さ67cm、幅前部78cm・後部50cm、奥行き20cm。前部の木の長さは84cm。前部と後部はネジ状の鉄でもつないである。後部には鉄板をまげた補強が見られる。後部に「鹿屋市 大○製」の焼き印がある。シュロ縄で掛けてある。


曳き鞍 左写真の鞍は、木製で、高さ73cm、幅前部83cm・後部54cm、奥行き20cm。前部の木の長さ91cm。前部と後部はネジ状鉄でつないである。後部に鉄製補強あり。シュロ縄で巻く。後部に「高山 佐○」の焼き印がある。


〔付記〕佐多を歩くのは、学生時代以来約20年ぶりでした。調査をして、特に変容を感じたことが2つ。@「どこの家でも見られた」農具が、廃棄されている。A海に潜って拾ってきた石をエビスのご神体にしなくなっている――。オコシ(犂)などは高価で、以前は使わなくても、納屋に大切にしまってあるものでした。エビスも新しい石像の脇に、サンゴや石と1緒に祀ってありました。
 一方、佐多の皆さんの温かさは、全く変っていませんでした。島泊の聞書きは、N.Uさん(76歳)からお聞きしました。ありがとうございました。

→写真アルバム「佐多町の史跡と景観

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