秋の種子島調査日誌 - 2006年鹿児島民具学会共同合宿調査「フィールドワーク秋の種子島」 | 鹿児島の民俗 - 薩摩民俗HOME

2006年秋の種子島調査日誌

はじめに

種子島位置図井上賢一著「2006年秋の種子島調査日誌」(『鹿児島民具20号』,2008年鹿児島民具学会編・発行に所収)


 筆者の種子島調査は、これで三度目になる。
 鹿児島からの会員7人は、午前7時30分のジェットフォイル(トッピー)に乗船して、鹿児島港北埠頭を離れた。トッピーは種子島方言でトビウオのこと。曇り空で今にも雨が降ってきそう。

11月18日(土)雨

種子島調査地図1 島内探訪@・西之表から中種子へ

 西之表港で同市在住の会員高重義好先生と中種子の岩坪博秀先生の出迎えを受ける。レンタカー1台と両先生の車に分乗して、フィールドワーク秋の種子島が始まった。

種子島開発総合センター・種子島博物館「鉄砲館」(西之表市) 館の協力を得て、展示資料の写真撮影を許可される。南種子町広田遺跡の貝製腕輪や県指定文化財の奥ノ仁田遺跡出土隆帯文土器、火縄銃、種子鋏などを見学。筆者の今回のテーマは船と運搬具ほか。限られた時間の中で丸木舟の撮影や荷鞍の実測を行う。実測したダシグラ(引鞍)は、幅100センチ、奥行き75センチ。千木型の鞍骨は長さ90センチ、厚さ10センチ。種子島の丸木舟は昭和五十年代までトビウオ漁などに使われたが、現在は資料館でしか見ることができないという。他の調査員もそれぞれのテーマに沿って調査したが、展示資料が豊富なため、出発時間になってもなかなか集まれなかった。いつかゆっくりと拝見したいものだ。南種子町教委の石堂和博氏が合流。ポルトガル船を模して設計されたという館の前で一同記念撮影。
種子島家墓地(同市) 鉄砲館から徒歩で移動。下野先生・高重先生から解説を聞く。この墓地は御拝塔(おはーとう)と呼ばれる拝み墓で、中世の墓石の遺骨はここにはないという。70基ほどが祭られている。鉄砲伝来時の島主・14代種子島時尭や、キリシタン・カタリーナ永俊尼などの墓石を見学。
深川の大石(同市) 慶安5年(1652年)に日逵(にちよう)が御題目を刻んだと伝えられる岩。高さ数メートルの岩に「南妙法蓮華経」と彫られている。
竹之川塩がま跡竹之川塩がま跡(中種子町) 国道をそれ、竹之川神社に着く。この神社は製塩に欠かせない火の神・天照大神を祭ったもの。ここから徒歩で数十メートル海岸へ下ると復元した茅葺屋根を持つ塩竃跡が現れる。製塩用の窯跡で、直径3.5メートル、深さ1.2メートル。石灰の大鍋を掛け、それに海水を入れて、下から焚いたもの。(屋根は平成3年復元。塩がま跡は町指定文化財)
平鍋牧の神・ガロー山(同町) 牧の神の祠を拝見した後、納官消防分団車庫裏のガロー山に向かう。ガロー山は「伽藍山」が転訛したもので、聖地になっている。みだりに入ると祟られるといわれている。下野先生によれば、島内には百五十余か所のガロー山があり、畑作・開田の神ともなっているという。町指定文化財。
宮吉良の石塔(同町) 納官小学校近くの山林にある。高さ数メートルの自然石石塔2基ほか。吉良氏・石堂氏の先祖を祭ってあるもの。
牧の神のシュエー(潮井)原之牧牧の神(同町) この牧神では、供えてあるシュエー(潮井)を拝見した。シュエーは神聖の浜砂のこと。藁筒に浜砂が入れてある。
中種子町立歴史民俗資料館 館内に入ると丸木舟の展示が注目される。以前見学したときには倉庫に3隻ほど保存されていたが、この1艘を残し、島外の館へ移管したとのこと。筆者は荷車・馬耕鞍・ダシグラを実測した。荷車(ダーハチ)は、長さ255センチ、幅114センチ。車輪の直径は87センチ。馬耕鞍は幅80センチ、奥行き57センチ。鞍骨(千木状)長さ73センチ。ダシグラは、幅105センチ、奥行き75センチ、鞍骨(千木状)長さ95センチ。2階考古・歴史展示コーナーでは、地元の岩坪博秀先生・石堂和博氏から説明を受けた。

2 島内探訪A・中種子から南種子へ

 歴民館の会議室で昼食を取り、午後の島内探訪に出発。オープン参加の志學館大学学生のS.T.君とY.K.君が合流した。小雨から本降りになり、傘が必要となる。東海岸を南種子へ向かう。

平山ガロー山(南種子町) 本降りになり、足早に斎場を見学。
宝満神社・たねがしま赤米館(同町) まず、宝満神社の御田植祭りが行われる御田の森・舟田、赤米を栽培するオセマチと御田を見学。石堂和博氏が傘を指しながら解説をしてくれた。次に薄暗い参道を上り、宝満神社から宝満の池を望んだ。そして閉館前の赤米館で展示してある赤米を見ながら雨宿り。
真所のモイドン(森山)真所下中八幡神社・森山(同町) 宿舎へ向かう途中、真所にある下中八幡神社へ立ち寄る。ここでも御田植祭があり、神社の向い側にはこんもりとした、美しい森山が見える。宝満とともに森山信仰の盛んな地域だと感じた。ここではリュウキュウチクの名称について、M田甫先生から解説を受けた。

 午後5時に南種子町上中の宿舎「うみの旅館」に入る。便利な場所にある宿で、宇宙開発事業団の方もよく利用されるとのこと。2001年には始めて種子島で開催された県下一周駅伝の選手宿舎になったとのことで、写真がたくさん飾られていた。夕食後、広間を借りてミーティングを行い、そのあと情報交換会。これには、西之表に宿泊する志學館大の2人も参加し、初めて行う本格的民俗調査について期待を述べた。途中、南種子町地名研究会の先生方も合流し、種子島の民俗文化について語りあった。

11月19日(日)曇り

 この日は、種子島南端の門倉岬から中世山城がある島間地区を回った。

1 島内探訪B・南種子町西海岸

カンザー(種子島の背負い袋) 雨はどうにか上がったが、どんよりとした曇り空。11月にしては種子島は暖かい。まず上中のコンビニで弁当を調達して出発。

南種子町郷土館 昨日見学する予定であったが、回りきれずにいた南種子町郷土館を最初に見学した。上中市街地の南、宇宙ヶ丘公園にあり、ロケットの発射時には格好の見学場所になるとのこと。郷土館では、下野敏見先生から種子島の鍬について解説を受けた。先生に寄れば、柄と刃の接合部分について、種子島を境いにして琉球型とヤマト型に分けられるとのこと。そのあと、カンザー(三角藺製の背負い袋)・カリーコなどの運搬具や、五葉松で作られた丸木舟を計測した。カンザーは、高さ39センチ、幅45センチで、135センチの綱(カリーノー)と分離している。(写真)
花峰インギー鶏・照葉樹林原生林(南種子町) 門倉岬に南下する途中、花峰小学校で飼育されているインギー鶏を見学。インギーはイギリスのこと。このインギー鶏は、明治時代に種子島に漂着したイギリス帆船の救援のお礼として、同船から贈られた食用鶏の子孫(調査3日目に、食堂でインギー鶏定食を頂いた)。花峰小学校の裏山は、照葉樹林の森となっており、下野・M田両先生の案内・解説を受けて散策した。
門倉岬・鉄砲伝来記念碑(同町) 門倉岬東側の展望台で記念撮影。東向きの展望台からは、右手には砂浜が続き、飛砂防備用の垣が手前に見える。真所の森山から、奥には竹崎のロケット発射場まで見渡せる。門倉岬では、鉄砲伝来記念碑を前に、高重義好先生から史料にのっとった鉄砲伝来の解説を受ける。同岬で昼食。南種子町教委の徳田有希乃さんから手作りの郷土菓子ツノマキ(粽)をいただく。
下立石のエビス南種子西海岸各集落エビス(同町) 午後は西海岸の旧道をとおり、下西目・立石・上立石のエビスを見た。それぞれ海を向いて祭られている。恵比寿神像ではなく、自然石のエビス。神像以前の素朴なエビス信仰の姿を見た。駆け足の探訪であったが、牧島先生と岩坪先生は、海岸まで降りて熱心に調査されていた。
中世島間上妻城(同町) 島間港を望んだあと、中世山城の上妻城(こうづま じょう)に到着。高重先生から解説を受けた。築城については諸説があるとのこと。自然の要塞に、土塁・掘り切りなどの遺構が残っている。そのあと、島間の竹細工師・Hさん(昭和16年生まれ)から全員で聞き書き・作業場見学を行った。

2 南種子町生涯学習講演会

 午後5時過ぎに宿舎に帰着し、夕食後、南種子町福祉センターで行われた生涯学習講演会を、同町教育委員会の配慮で特別に受講。下野敏見先生の「種子島の海の民俗―南種子町の民俗学・海の視点から―」。@風と潮 Aシオ祭り Bエビス C塩釜・製塩 D磯風呂と岩穴風呂 Eガロー。

 終了後ミーティング、情報交換会。

11月20日(月)晴

ツノマキ(粽) この日は、各班に分かれて民俗・民具調査を行った。まず、我々の班は、地名研究会の羽生源志先生宅(上里)で、手作り味噌の作業風景を見学。昼食は全員そろい、上中の食堂でインギー鶏定食を頂いた。歯ごたえがよい。午後は、石堂和博氏の案内で、河内神社(極楽寺跡)、上中上野神社脇の墓石群を調査。その後、ツキアミ鴨猟の伝承者であるY.O.さんを勤務先に訪ねた。夕方から調査団全員でツキアミ猟見学。

1 民俗・民具調査

上里集落(南種子町) 午前中の調査では、羽生源志先生(昭和10年生まれ)宅の味噌作りを見学した。工程は次のとおり。@大釜で大豆を茹でる。取り出すときには三角形のコゾウケ(笊)を使う。コゾウケは真竹製で笊編み。A餅つき機で大豆をつぶす。Bモロブタで大豆を冷ます。Cオオバラ(丸口箕)で、2晩寝かした麹菌のついた麦と、冷ました大豆を混ぜ合わせる。麦が2に大豆が1の割合。熱すぎると麹菌が死んでしまうので、冷ましながら混ぜる。オオバラは直径97センチ。あじろ編み。D焼酎を振り掛けて団子状にした後、味噌壷に入れる。奥様手作りのカカランマンジュウ(サルトリイバラの葉で包んで蒸した団子・カカラン団子)を頂いて休憩。その後、羽生先生の案内で上里城跡・上里神社を見学。
広田集落(同町) 羽生先生の紹介で広田のM.T.氏(大正12年生まれ)から年中行事などのお話を伺った。印象に残ったのは、ツリイ(吊井)と呼ばれる共同井戸の話。正月に水神を祭るという。その他、クサイモン・カーゴマー(以上1月)、石塔祭り(8月の盆)、九月の節句(豊年踊り)、牧の神(馬頭の神)などの話を伺った。

2 ツキアミ鴨猟見学

突き網鴨猟ツキアミ猟の道具 網は、V字型の網竿(アザオ)に柄(テギ)を取り付けてある。実測したアザオは竿の長さ240センチ、幅269センチ。これを投げ上げ、鴨が網に入ると、アザオの手元の部分が外れ、鴨が網に巻き込まれる。アザオ・テギは分解して持ち歩き、猟場に作った木の上の櫓につるし上げ、その上で組み立てる。櫓は木の枝に組んだ柵状のもの。
宝満の池のツキアミ鴨猟 夜明けに鴨が餌を捕りに池から出るときと、日暮れに池に返ってくるときに行う。今回の調査では、夕方の猟を拝見した。午後5時頃、櫓のうえにツキアミを引き上げ、上で組み立てて、鴨が通り過ぎるのを待つ。ツキアミをする人は今は4人。別々の木の櫓にそれぞれ登っていった。あたりが薄暗くなると、次々を鴨が返ってきた。十数回投げ上げたが、この日は取れなかった。投げ上げて竿が落ちると、テギにつけたロープを引いてまた櫓に引き上げる。もう1度組み立ててさらに投げるという具合。

 午後7時ごろ宿舎に戻り、夕食・ミーティング・情報交換会。

11月21日(火)晴

 早朝、下野会長と筆者で、南種子町役場に調査協力のお礼に伺った。お忙しい中、柳田長谷男町長をはじめ教育委員会事務局の方々が対応をしてくださった。柳田町長は文化にも造詣の深い方で、下野先生とも古くからの知人とのこと。

1 島内探訪C・南種子から中種子へ

 帰路の島内探訪はまず、同じ旅館に宿泊していた川口雅之氏(鹿児島県立埋蔵文化財センター文化財研究員)の案内で、中種子町の大津保畑遺跡を見学した。その後同町内の文化財を回り、夕方西之表港に到着。

大津保畑遺跡(中種子町) 同遺跡は坂井地区にあり、この日はまだ発掘作業を行っていた。作業の休憩時間を利用して、川口氏から話を伺う。この遺跡からは、日本最古の落とし穴遺構が検出された。今から3万年前の旧石器時代のもの。穴は直径約150センチ。
古市家住宅・大ソテツ(同町) 遺跡から程近い坂井地区に古市家住宅がある。平成6年に国の重要文化財に指定されている。弘化3年(1846)の建築。木造瓦葺の切妻造り。さらに同地区にある矢止石(法華宗改宗に因む伝承がある)、大ソテツ(樹高7メートルで日本一)を見た。

2 島内探訪D・中種子から西之表へ

増田共同墓地増田大共同墓地・上妻家石塔(同町) 野間のAコープで昼食用の弁当を買い込み、東海岸の増田地区へ向かう。増田では共同墓地と増田周袈裟女之墓、上妻安房守家真の石塔(天正18年の記銘あり)を見学した。共同墓地はよく保存された墓石群が残り、無指定ながら、指定文化財に値するものと思われた。
雄龍岩・雌龍岩(同町) 中筋から再び西筋に戻り、雄龍岩・雌龍岩を道路から撮影して、住吉灯台で遅い昼食を取った。そして、高重・岩坪先生の見送りのもと、午後3時発の高速船トッピーで鹿児島へ向かった。

調査を終えて

種子鋏(種子島博物館) 調査前半は天候が悪くどうなることかと心配していたが、日を追って天候は回復。暖かい気候と人情豊かな人々に出会い、有意義な日々を過ごせた。もっとも印象に残ったのは、鴨のツキアミ猟で、こんな素朴な狩猟法が今も残されていることに驚かされた。また、南種子西海岸の自然石エビスも、興味深いものであった。
 地元会員の先生方をはじめ、伝承者の方々、各市町教育委員会に感謝申し上げたい。


※このweb版レポートでは、研究者以外の方のお名前はイニシャルで示しました。

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