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3 もう一つの十五夜綱引

写真11 万世唐仁原の十五夜綱引きずり(1992)(1) 十五夜綱引きずり

 十五夜綱引の中に、綱引合戦だけではなく、綱を引きずって集落を回るものがあることが分った。
 実は、先に紹介した南さつま市加世田小湊の隣、万世地区は、綱引もやらず、この「綱引きずり」だけをする地域だ。綱引が中山間部の行われる習俗であるのに対し、綱引きずりは海浜部にみられる。

●南さつま市加世田万世地区 小松原集落(大字小湊)

――以前は小松原の各区(1区〜4区)・当房に、それぞれ綱引があった。今はそれを1つの行事として行っている。ここでは綱引合戦はせず、綱を引きずって集落を回るのみの行事。綱引合戦はしないが、「ツナヒキ」と呼んでいる。小松原寄木八幡神社から集落の西に向かい、集落の外周を1周して、神社に戻ってくる。
 材料は、昔は芯にするカズラを山に取りに行き、稲ワラを内山田など稲の多いところに貰いに行っていた。ツナネリは神社のクスノキに綱を掛けてなう。綱はサキヅナ(先綱)・ドンヅナ(後綱)・ヒキテ(引綱)の部分からなる。2002年のものは、サキヅナ9メートル、ドンヅナ11メートル、ヒキヅナはドンヅナの左右に16本つけられ長さ2メートル。綱の大きさや引き綱の数は時代とともに変り、昔は40メートルもの綱をなっていたという。
 綱引では、鷹の絵や「八月十五夜」と書いた幟旗を先導に、十五夜の歌を歌いながら引いて回る。「十五夜お月さん早よ出やれ、子供が喜び、綱を引く」。神社に戻ると綱は境内にとぐろ状に巻いておく。その後相撲大会となる。

写真9 万世大崎の十五夜綱引きずり(2004) 同じく万世地区の大崎では、ドンヅナの最後尾に袋をかぶせて膨らませる。唐仁原では、曲がり角で子供がダンギという棒を持っており、大綱をそれに引っ掛けてうまく回るようにしてある。昔は隣の集落の綱と勝ちあい、道を譲れと先頭争いになることもあったという。
 いずれの集落も午後5時ごろから綱を引きずりはじめ、十五夜歌を唄う子供たちの元気な声が、地区内にこだましている。

 この習俗の構造を整理してみよう。
 十五夜綱引きずりは、先の基本構造からすると、B「綱引」の部分が「綱引きずり」に置き換わっていることが分かる。@材料集め→A綱ねり→B綱引きずり→C相撲。これは南さつま市では海浜部だけにみられる習俗だ。

 既存報告からも薩摩半島西岸の状況を見ておこう。

○南さつま市大浦町柴内 綱の後端を、上に丸く巻き上げて、蛇の尾のようにする。小さな色紙をさして飾る。月が出ると、部落の外回りの通りを引きずって回る。青年達は口説歌を歌う。その後相撲。〔小野1972、5―6〕
○南さつま市金峰町尾下下 15日に大綱と小綱を作る。小綱は稲荷と水神に供える。大綱は子供たちが担いで部落内を回る。その後綱引。「大綱の宿」に運び子供たちが番をする。最後に相撲。〔小野1972、37―38〕
○日置市日吉町吉利麓 本綱と「オ月サン綱」という小綱を作り、小綱は木から木へ張って月に供える。本綱は子供たちが担いで部落を回る。その後綱引、相撲。最後は本綱を海に流す。〔小野1972、39〕

(2) 十五夜ヨコビキ

 薩摩半島南岸に視点を移そう。晴れた日には屋久島を望む知覧町海浜部の門之浦で、一風変わった綱引合戦を見た。通常の綱引は綱をつかむ人々が、綱の中央から左右に分かれて引きあう。しかし、ここでは綱を挟んで人々が向かい合い、大綱にたくさんつけてある引き綱を引きあう。

●南九州市知覧町南別府 門之浦集落

写真19 知覧町の十五夜ヨコビキ(門之浦2003)――十五夜の夜、二才衆(青年のこと。今は壮年)は、公民館で十五夜歌「愛宕参り」の稽古をして、気勢を上げている。手拭の頬被りに締め込み姿。そこへ子供たちが、二才衆を迎えに来る。「潮は引きもしたが、綱引はまだじゃらそかい」。1度では聞いてもらえず、3度目に青年たちは子供たちの頼みに腰を上げる。浜まで2列で「愛宕参り」の歌を威勢よく唄いながら行進。
 浜には波際に平行にして大綱が置かれている。二才衆と子供たちは綱を挟んで向かい合って立つ。「愛宕参り」を歌いあげ、「イヤー取っとこ、取っとこ、たった一頃ばかしや、エイヤー」の合図で綱を引き合う。引きあうと言っても左右に引きあうのではなく、大綱の両側にたくさんつけられた引き綱を引く。綱引が終わると大綱を回して土俵を作り、そこで相撲を取る。

 「愛宕参り」は薩摩半島各地の十五夜行事で聞かれる歌で、門之浦では次のようにと歌われている。

「愛宕まいれ、まいれ、それは袖も引かれた、それは愛宕の、それはソウレン、ソウカイナ。おもしろや、ヒョー。」(2003年十五夜公民館に板書されていた歌詞)

 下野敏見氏は、「愛宕参り」の歌は薩摩では士族子弟の二才歌で、おそらく近世後期のころに農漁村にもひろまったものであろうと述べている。〔下野1989b、167―168頁〕

 ヨコビキを1992年に見たときには、まだ浜で綱を引いていた。それを堤防の上から見ると、波打ち際に横たわる竜蛇が、くねくねとのたうちまわるようにも思われた。2003年に見たときにはゲートボール場が会場になり、今はそれも途絶えてしまったという。

 この習俗の構造は次のとおりであり、B「綱引」部分がヨコビキ綱引になっている。@材料集め→A綱ねり→Bヨコビキ綱引→C相撲。

(3) 十五夜綱担ぎ

 薩摩半島西岸の綱引きずり、南岸のヨコビキ綱引を見てきた。最後に東岸の指宿地方の事例を、各調査報告から見ておこう。

○指宿市山川大山 子供たちが山にカヤをとりに行き、体をカヤで覆って降りてくる。月が出ると子供は全員で重い綱を担いで集落の主な通りを一巡した後に、子供たちだけで小集落対抗の綱引を行う。〔小野1990、229〕
○指宿市十二町片野田 大綱と「ツキ(月)」と呼ばれる小綱を作る。子供たちは、ワラ帽子・ハカマ姿で、綱を担いで部落の大通りを巡る。道中、青年が子供の帽子を奪う「ボシトイ」が見られる。〔小野1972、25〕
○指宿市西方下吹越 子供たちは昼間、「ミチカザン(道嗅ぎ)」をする。聖なる綱を担いで回る道に汚れたものが落ちていないか嗅いで調べる。月が出ると大綱を担いで部落の道を一周。その後、相撲。〔小野1972、28〕

 指宿地方では、綱引きずりと同様に、綱担ぎの習俗が見られることが分かった。それらを併せて「綱運び」と呼ぶこともできよう。

写真7 万世相星の十五夜綱引きずり(2002) 小野重朗氏は、これら綱引きずり・綱担ぎについて、次のように述べている。〔小野1990、253〕

「十五夜の綱担ぎ、綱引きずりの民俗は、十五夜になって竜神が村をめぐって人々に別れを告げ、海から海彼の竜の国に帰っていくことを象徴しているものと思われる。八月十五夜の頃はこの地方の水稲も生育が完成して、水田の水も乾し上げる時期になり、人々に必要な水を与え雨を降らせてきた竜神が仕事を終えて故郷の海の彼方へ帰る時期にあたるのである。」

 さて、指宿地方の十五夜行事にワラ帽子を被ったり、カヤで体を覆って山を下りるというものがあった。次節では、このことについて検討してみよう。


*動画:南さつま市加世田小松原・相星の十五夜綱引きずり

*動画:南九州市知覧町門之浦の十五夜ヨコビキ

*資料:南さつま市加世田唐仁原の十五夜綱引きずり


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