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2 十五夜綱引

(1) 十五夜行事の基本構造

写真5 十五夜綱引きの飾り(小浜2004) 岡山生まれの筆者は、十五夜というと、甘い月見団子の思い出しかない。鹿児島では綱引が盛んにおこなわれるが、南九州以外でこれほど顕著に十五夜綱引を行う地域はないようだ(注1)。
 薩摩半島の十五夜綱引は、基本的には次のように行われる。

@子供たちがワラやカズラや集めてくる。
Aやぐらを組んだり、道に伸ばしたりして、大綱をなっていく。出来たら、とぐろ状にして置いておく。
B子供対青年、集落の上下などで綱を引き合う。
C綱で土俵を作り、相撲をとる。

●南さつま市加世田内山田 市来山下集落

 鹿児島では綱を綯うことを、ツナネリ(綱練り)という。2001年に拝見した南さつま市加世田の市来山下では、35メートルの大綱をなっていった。(以下特記しない場合は筆者調査による)

写真8 内山田市来山下のツナネリ(2001)――市来山下では、ツナネリ用のやぐらを組んで綱をなう。やぐらに芯となるカズラを掛けて、カヤとワラで作った3本の縄を1本の太い縄にない、綱をずりあげて、材料のカヤ・ワラを継ぎ足し、またなっていく。子供が芯にぶら下がり、しっかりと縄が締まっていくようにする。青年(今は壮年)たちが3本の縄を持ち「ソーレ」の掛け声でぐるぐる回る。ぶら下がる子供は、その力に引きずられまいと、ぶるんぶるんと振り回されながらも、懸命に歯を食いしばる。見ていて軽快で楽しい。
 出来上がった大綱は、とぐろ状に巻かれ、月の出を待つ。月が昇ると、子供たちが綱の上に正座をして、月に拝む。その後綱引合戦。最後は綱を土俵に回して相撲大会となる。勝った子供は勝ち名乗りを受け、お菓子や文房具などの景品を受け取る。

 この集落は人口減少により長く綱引も途絶えていたが、近年県営団地ができ、子供達も増えてきたので、地域交流の1つとしてこの年綱引が再開し、現在も続いている。

●南さつま市大浦町 小浜集落

 もう1つ、復活した行事を紹介しよう。

――南さつま市大浦町の小浜では、2004年にワラでなった30メートルの大綱を用いた綱引を再開した。ここでは芯にもワラ縄を使っている。ツナネリは、道路に置いたまま行う。近年はロープを使っていたが、この年、数年ぶりにツナネリが復活。綱引は午後8時ごろ月が出てから、集落内地区対抗や、男性対女性で引きあった。引くときに綱が上下する姿が、竜蛇が波うつようにも見えた。

写真3 復活した十五夜の大綱(大浦町小浜2004) このようにツナネリには、やぐらを使う方法と、やぐらを組まずに地面に伸ばしたままなう方法がある。南さつま市加世田の干河中原では、木に綱を掛け、「ソーラヨイ」の掛け声で大綱をない上げていく。
 出来上がった綱は、とぐろ状に巻いて、月の出を待つという伝承が多い。南さつま市加世田の津貫中間上では、なった綱はかつては公民館の土間にトグロ上にして置いていたという。
 綱引は、青年対子供や集落内を2分した対抗戦を行う。今は、かつての青年が壮年になり、子供は少なくなって女性や高齢者など壮年以外の集落民が加わる。南さつま市加世田の中山では、綱引は男性だけがする行事だったという。また、綱引について、「綱にかかった(触った)だけで風邪をひかん。綱を引けばなおひかん」という言い伝えも各地で聞く。
 綱引の後は、綱を回して土俵を作り、子供たちによる十五夜相撲が盛んにおこなわれる。

 このように十五夜綱引は、@材料集め→A綱ない→B綱引→C相撲という基本構造を持つといえよう。
 十五夜の大綱を、とぐろ状に巻いたり、蛇とみなしている事例が各地にある。また「竜神」という言葉もあるが、下野敏見氏は、竜神の概念は相当発展した文化レベルに位置するもので、農漁民の間では蛇とか大蛇と理解していたと述べ、十五夜綱に関する蛇性のものを「竜蛇」と表現している〔下野1989a、169―170〕。本稿でも、下野氏の考えに従い、これらを竜蛇と呼ぶことにしよう。

(2) 十五夜綱引の付随習俗

 南さつま市坊津町では、この綱引に伴って様々な習俗が見られる。

●南さつま市坊津町坊 上之坊集落

写真16 十五夜お月さま作り(上之坊2006) 上之坊の綱引では、途中、子供たちが綱を切って隠し、青年が見つけ出してつなぎ合わせる場面がある。そして綱引が終わると、青年が3本のカヤの小綱を地面に並べて「お月さんの輪」を作る。

――綱引きは、二才(青年)組と、集落民を含めた子供組みが、坂道の上下に分かれて引き合う。青年はシベ笠を被る。まず役員による十五夜歌(口説歌)が唄い上げられる。唄い終わりを合図に、坂の下側にいる二才が子供組のいる坂の上部に飛び込むしぐさから始まる。綱引きの途中、綱は子供組側の端で切られ、それを子供組が隠す。二才衆はその綱を探し出し、つなぎ合わせて再び引きあう。一連の動作を3度繰り返す。

 その後、公民館の前庭で「お月様の輪」作りとなる。ロープ状の細く短い綱(コマイケ…小さく巻いたもの)をつなぎ合わせて輪を描くもの。この綱は、大綱の材料となったカヤを束にして下ろす際に巻いていたもの。口説歌の相の手「ハーレヤナッ、ハーレヤナッ、ヤットコセー」の掛け声のもと、二才が手をつないで回転し、輪を作っていく。これも数回繰り返してようやく「お月様の輪」が出来上がる。

●南さつま市坊津町泊地区

 一方、同じ坊津町の泊地区では十五夜の日、2度にわたり、盆踊りのような「十五夜踊り」を踊る。夜の部では、少年たちが踊りの邪魔をする「オドリコワシ」という習俗が見られる。綱引きは踊りのあとにあるが、最後に綱を川に投げ込んでしまう。

写真13 坊津町泊の十五夜踊り(2005)――泊の十五夜行事は、八朔(旧暦8月1日)から始まる。土俵づくりから筋回り(触れ回り)・十五夜相撲が連日続き、十五夜前日にツナネリ(綱ない)をする。綱は国道226号線をまたいでアーチ状に掛けられる。十五夜当日の行事は、男子の十五夜綱引き行事群と、女子の十五夜踊り行事群が交錯して展開する十五夜行事となっている。
 十五夜当日の午後、九玉神社へ宮参りし、女子による最初の十五夜踊りが披露される。このとき男子は「帆柱」と呼ばれる棒を担ぎ、十五夜唄「お久米口説き」を歌いながら、踊り子の後ろから参詣する。
 月が昇ると、公民館前の広場(かつては浜)で、2回目の十五夜踊りがある。そこでは男子が、踊りの輪に走り込んで邪魔をする「オドリコワシ」という習俗が見られる。踊りは1旦止まってしまうが気を取り直して再び踊りはじめる。オドリコワシは何度も来襲し、十五夜踊りは停止と再開を繰り返す。その後、櫓にかけていた十五夜綱を下ろし、地区対抗で綱引き合戦。綱引きが終わると、十五夜綱を川に投げ込んで終了する。

 下野敏見氏は泊十五夜のオドリクヤシ(踊り壊し)を次のように解き、十五夜行事が死と再生のモチーフにちなむ健康祈願・豊作祈願の行事であると述べている〔下野2005a、271〕。

「十五夜の綱は蛇の象徴であり、オドリクヤシはオドリの輪や列を蛇と見ての“断ち切り”である。欠けてもまた満つる月や脱皮しても再生する蛇は、永遠不死の存在であり、こうして人々は仲秋の名月に健康祈願を祈るのである。それに月の夜は露が降り、蛇は水の主でもあって、月と蛇を祈ることは雨乞いに通ずるもので、豊作祈願の趣旨もある。」

 さて、以上の習俗の構造を単純化して、先ほどの基本構造をもとに整理してみると、十五夜踊り、お月様の輪作りいずれも、基本構造B「綱引」に付随する習俗と言える。

(3) 多彩な十五夜綱引習俗

写真6 津貫中原のツナネリ(1994) ここまで南さつま市加世田地区・坊津地区における筆者調査による十五夜綱引を見てきた。次に、薩摩半島における他の地域の事例を、先学の調査報告により紹介しよう。(地名は現在の市町村名に改め、報告は要約した。詳細は引用文献を確認されたい。以下同じ)

○南さつま市笠沙町野間池 綱を引く前に月にお供えする意味で、綱を3回もちあげる。〔笠沙町の民俗上巻、40〕
○南さつま市笠沙町大当 綱引が終わると、綱の一部をお月様にあげるといって、川に流す。〔同書、75〕
○南さつま市笠沙町小浦 小浦は漁村なので、ワラを農村に貰いに行き、芯には漁船のロープを使う。〔同書、125〕
○南さつま市笠沙町山野 綱引のあと、村落をひきずって回る。引き回すと、そのワラが腐って作物ができる。〔同書、208〕
○南さつま市加世田小湊 綱はドンヅナとサッヅナの部分に分かれる。在(農村地区)と浦それぞれに綱を引きずって集落を回る。2つの綱が途中で出会うと、それを結び合わせて綱引をする。〔小野1972、14〕
○南九州市穎娃町青戸 綱は大綱と、細いコゼン綱(子勢の綱)の部分からなる。子供たちが「綱を引いてください」などと青年達に頼む。青年はさんざん文句をつけてようやく綱引き。〔小野1972、17〕
○南九州市穎娃町大窪 家々から子供たちが貰い集めたワラだけで綱を作る。13日にムッガラヤキ(麦殻焼き)。子供たちが集めたムギガラやワラに、青年が火をつけて回る。青年と子供組との綱引。〔小野1972、19〕

 このように薩摩半島では、さまざまな綱引及びそれに伴う習俗が見られる。いずれも先に示した基本構造に沿った事例となっている。また、子供組と青年の「儀礼的抗争」が盛んなことも薩摩半島における十五夜綱引の特徴ともいえる(注2)。

 さて、以上の資料をよく見ると、南さつま市の笠沙町山野のものと、加世田小湊の事例が、その他の習俗と異なっていることに気づく。綱引もするけれども、綱を引きずって集落を回るということをしている。
 次の節では、このことについて検討していこう。


*動画:南さつま市加世田内山田の十五夜綱引き坊津町上之坊十五夜お月さん作り

*資料:南さつま市加世田津貫中原・中山の十五夜綱引き坊津町泊十五夜踊り

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