水車からくり - 夏祭り六月灯に上演されていた,今はない農村水車からくり人形を伝承から復元 | 鹿児島の民俗 - 薩摩民俗HOME |

水車からくり・六月灯(ろくがつどう)

六月灯
六月灯の起源


水車カラクリ
ビデオ
高画質ビデオ
知覧
加世田
吹上


研究ノート

祭礼の中の水車カラクリ

万之瀬川流域の農村水車カラクリ

六月灯と水車からくり

竹田神社水車からくり ●六月灯とは

鹿児島の夏祭りは六月灯(ろくがつどう)と呼ばれます。江戸時代に鹿児島城下ではじまり,現在は県内各地の社寺での夜祭りを六月灯と呼ぶようになりました。
六月灯の起源

六月灯では神社の境内にたくさんの灯篭をともします。町内会や子ども会が中心になって,人気漫画のキャラクターを描いたり,習字を書いたりした灯篭を手作りします。大きな回り灯籠が奉納されるものもあります。出店が続き,花火があがったりと,六月灯は鹿児島の夏の風物詩です。

●水車カラクリ人形

ここでは,この六月灯で催される農村水車からくり人形芝居のレポートを紹介します。

現在のこっている水車カラクリは加世田市竹田神社と知覧町豊玉姫神社,吹上町温泉祭りの3つ。実はほかに万之瀬川流域9箇所にも水車カラクリのあったことがわかりました。

竹田神社と豊玉姫神社のカラクリは,国の選択無形民俗文化財として「薩摩の水からくり」という名称がつけられており,また,鹿児島県の有形民俗文化財として「南薩摩の水車からくり」という指定もうけています。

水車からくりビデオ

豊玉姫神社水車からくり

2007年豊玉姫神社水車からくり

毎年7月9日・10日の両日,六月灯で奉納されます。2007年の演目は「風林火山」。第四次川中島の合戦の名場面。

竹田神社水車からくり人形制作

2003年竹田神社水車からくり人形制作

人形は頭・胴・手足のパーツからできており,竹網製の胴体は使いまわしです。ビデオでは金網製の頭及び馬の制作風景を紹介しました。

豊玉姫神社水車からくり

2006年豊玉姫神社水車からくり

2006年の演目は「那須与一」。屋島の戦い・扇の的の場面。源平双方の船が並びます。

2002竹田神社水車からくり

2002年竹田神社水車からくり

毎年7月23日の六月灯で,等身大の人形が古式ゆかしく奉納されます。2002年の演題は,「日新公,松阪権現へ必勝祈願」

豊玉姫神社水車からくり

2003年豊玉姫神社水車からくり

2003年は「武蔵」。武蔵と小次郎の巌流島の決闘シーンが再現されています。

竹田神社水車からくり

2001年竹田神社水車からくり

2001年の演題は,「北条時宗と元寇」です。この年の大河ドラマに因んでとのこと。バックの歌声は同時に奉納される稚児踊りの歌です。

豊玉姫神社水車からくり

2001年豊玉姫神社水車からくり

浄瑠璃人形に似た30センチ前後の人形が,個性豊かにさまざまな動きを見せます。2001年は牛若丸と弁慶。牛若丸が華麗に宙を舞います。

吹上の水車からくり

2006年吹上温泉祭りの水車からくり

吹上温泉祭り(湯之権現六月灯)に,水平回転の水車動力をそのまま利用して,等身大の人形を回るカラクリが見られます。

― ビデオはすべてMediaPlayerでご覧になれます ―

研究ノート


■六月灯の起源

『三国名勝図会』第6巻 「鹿児島(5)」 六月灯起源の解説

○新照院観音堂(府城の西)

 西田村の内、新照院といへる地にあり。…東北側に上山寺あり。これを守る。…上山寺の鐘銘に曰く,「新照院重宝山上山寺は,島津判官忠久公,観音大士を安置,以降香花搬掃為,鼎建するところなり。上山寺は,往古上山某が開基にして,上山城にあり,慈眼公その山の麓に府城を構え給うを以て,慶長六年,今の処に移し,…」と見え,この観音堂も,またもと上山城にあり,上山寺と共に移されしとぞ。…

○西田村:鹿児島城下町の西にある新興武家屋敷地区。
○上山:今の鹿児島市城山町。うえやま。城山。
○新照院:今の新照院町(しんしょういんちょう)は城山の西麓にある。
○島津忠久:島津氏初代
○慈眼公:18代島津家久
薩摩藩初代藩主。鹿児島城(鶴丸城)を築城

慶長6年(1601)に,初代藩主島津家久が鶴丸城を築く際,背後の城山山上にあった「重宝山上山寺」と「観音堂」を,城山西麓の西田村新照院に移した。

 又本府の俗,神社仏閣,毎年六月,必ず其の縁日の定夜ありて,大に燈(トウロウ)を陳(ツラ)ぬ。六月灯と呼ぶ。是 寛陽公の御時とかや,此の上山寺観音に,数多の燈を点じ給い,諸人も寄進し,参詣多かりし。これに濫觴して,あまねく行れたりとぞ。

○六月灯:方言ではロッガツドウと呼ぶ。
○寛陽公:19代島津光久
第2代藩主(1638-1687)
○濫觴して:起源として。らんしょう。

鹿児島の風俗に,毎年6月,神社仏閣の縁日の夜,大きな灯篭を連ねて灯すというものがある。これを六月灯と呼ぶ。2代藩主島津光久のころ(1638-1687),新照院観音堂では幾多の灯篭を灯した。すると人々の寄進も多く,また参拝者も多くなったという。六月灯はこれを始まりとして,城下に行きわたった行事だといわれている。

(凡灯明は,諸仏智慧の光明を表す。菩薩蔵経に「十千灯明燃,衆罪懺悔」。十千とはこれ万なり。万灯会のこと。諸経に明せり。むかし朝廷に於ても,万灯或は二万灯を点じて,福を修し給うこと,国史にも往々出づ。)

○智慧=知恵。
○菩薩蔵経:「経」・「律」・「論」で「三蔵」。ここでは広く仏典のことか。
○万灯会:まんどうえ。ざんげのために,たくさんの灯明を灯して,仏や菩薩を供養する行事。

おおよそ灯明とは,諸仏の知恵の光明を表している。仏典にも「1万の灯明を灯し,衆罪をざんげする」とある。いわゆる万灯会のことだ。歴史書にも,「かつて朝廷でも1万も2万もの灯明を灯して,福を修めた」と述べられている。

※「注」「六月灯起源の解説」は井上が記述したものです。

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