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碁石茶製造民具の変容

碁石茶関係地図井上賢一著「碁石茶製造民具の変容」(『民具研究』第152号,日本民具学会,73-76頁所収)
※第39回日本民具学会大会(高知大会)研究発表要旨

  1. はじめに
  2. 碁石茶の作り方
  3. 碁石茶の使い方
  4. 山村の生業変容と碁石茶の位置づけ

1 はじめに

 高知県大豊町の碁石茶は、中国のプーアル茶と同じように発酵させて、団茶のように固めたお茶。日本の伝統的な発酵茶には、ほかに阿波番茶・石鎚黒茶・富山ばたばた茶などがある。ウーロン茶はお茶の葉を自然に発酵させるが、碁石茶は漬物のようにして強制的に発酵させる。1990年に調査した製茶法・使用法を報告し、その変容を検討したい。

2 碁石茶の作り方

茶摘み籠 製茶は加熱一揉捻→乾燥という工程で作られる。茶の葉が自然に発酵していくのをどのように加熱して止めるかという違いで、発酵茶(紅茶など)・半発酵茶(ウーロン茶など)・後発酵茶(碁石茶など)・不発酵茶(緑茶)に分類される。碁石茶は自然発酵は蒸して止める一方で、人為的に強制発酵させたもの。

 碁石茶の製法は、@茶摘み→A蒸す→B寝かす→C漬け込む→D断つ→E乾す→F俵詰めという工程で作られる。莚の中で好気性カビによって発酵させる(寝かす)作業と、漬け桶の中で嫌気性バクテリアによって発酵させる漬けこみ作業が特徴となっている。つまり、強制発酵を二度行う。

 Bの寝かす工程では、まず、普段使っていない部屋に莚を敷き、冷ました茶葉を60cmの厚さに積み、莚をかぶせる。3日で発酵が始まり、4日目から温度を確認しながら、手がばっと熱く感じる60℃になると、莚の上から手で押さえて発酵を抑制する。この作業が工程上最も肝心なところで、永い経験と勘を頼りにするという。5・6日したら、踏んで完全に発酵を止め、冷ます。

碁石茶の乾燥風景 Cの漬け込み工程では、冷ました茶葉に、蒸したときにとっておいた茶汁を加えて、漬け桶に10日から二週間漬け込む。ここまで来る間に茶葉を摘んだ時から三分の一の量になっている。漬ける期間は、漬け込めば漬け込むほど良いという。そのときは雑菌の侵入を防ぐため、蓋に赤土を塗る。昔麦の収穫期と重なる時には、それが一段落するまで置いておいたりしたという。かつては、忙しいので次の年までそのまま置いていたこともあったという。

 約1寸四方に裁断された茶葉を、蓮の上に並べて乾燥させる様子が、碁盤に黒碁石を並べたようにも見えることから、「碁石茶」の名称が付いたと伝わっている(写真6)。

3 碁石茶の使い方

碁石茶の茶粥 碁石茶は、生産する四国山中では飲まれない。すべて瀬戸内へ出荷し、換金作物となっていた。またかつては、塩との物々交換が行われたという。

 筆者が1990年に調査した香川県塩飽諸島の志々島では、「かたまり茶」として販売され、船乗りの茶粥の出汁取りに用いられてきた。茶粥の材料は、米1合・水1〜1.5升・豆・芋など季節の野菜・かたまり茶(5センチ角ガーゼ製茶袋、自家製)。羽がまに水を入れ、かたまり茶を入れた茶袋を煮出す。茶が出たら、材料を入れ15分ほど煮る。

 簡単に作れて、さっと食べられるため、船乗りに喜ばれた。船乗りは船上で、オカから持ってきた水で碁石茶を煮出し、米だけを入れて具のない茶粥を作ったという。

4 山村の生業変容と碁石茶の位置づけ

 管見の範囲で文献史料に碁石茶の名前が登場するのは、「土陽渕岳志」(1746年)が初出(別に、宮本常一『忘れられた日本人』に17世紀の初めに発酵させて固めたお茶を買い付けにきた商人の記録を見たことがあるとの記述がある)。

〔碁石茶関連史料〕

『土陽渕岳志』(1746年)「韮生郷本川山分ヨリ イダス香気アリ」
『南路志』(1815年)…伊予、讃岐をはじめ、中国地方・九州地方へも移出
『土佐ノ国土産名産』(近世後期)「碁石のごとくにして堅し 依って碁石茶と称す」

 碁石茶の成立を考えるとき、堆積発酵を伴う阿波の藍、甑による楮蒸を行う土佐和紙作りなど、四国の植物加工技術との関連も注目される。近世土佐藩では、和紙・茶・葉煙草が専売品であり、この地域でも史料にあがってくる。近代になると、煙草に代わり養蚕が盛んになり、戦後は養蚕・碁石茶とも下火になって、碁石茶を作る農家は、昭和40年代までは相当の数、昭和50年代5戸、そして昭和60年代には、小笠原正春氏のみとなった。

 時代とともに碁石茶製造の使用民具も変わってきた。伝承者は「碁石茶は大量生産には向かず、個人で作るには省力化が必要だ」という。現在は生産組合も組織され、マスコミでも健康食品として度々取り上げられ、「本場の本物」として再興が期待されている。


→〔表1〕碁石茶製造民具(道具)の変容表 - 日程は6月下旬〜7月初めの茶摘みの時期から始まる
→〔写真〕碁石茶づくりの民具


【付記】

 本稿は、第39回大会で研究発表した要旨です。詳しい調査報告は、拙文「碁石茶の作り方・使い方一四国山中大豊町の茶加工民具−」(『鹿児島民具』21号、2009年)、拙文「碁石茶の製茶法と利用法一四国山中大豊町と瀬戸内海塩飽諸島の伝承から−」(『土佐民俗』93号、2011年)を参照ください。

 フロアーからは、次のようなご発言をいただきました。
○明治の「土陽新聞」に、緑茶から紅茶への転換の記事が見えるが、碁石茶生産への影響は――確かに当時、全国的に輸出用の紅茶製造が推奨されたが、郷土史研究家の広谷喜十郎氏がまとめた「碁石茶」の生産量(「幻の土佐の銘茶・碁石茶について」大豊史談20号所収、1989年)の推移や『大豊町史近代現代編』のデータからして、すべてが紅茶に転換されたとは、考えていない。
○『南路志』の記事に、九州方面へも移出とあるが、他の史資料や伝承はどうか。文化交流の視点から注目される――九州についての資料探索・聞き書きは、今後の研究課題としたい。

 大会初日の懇親会では、香美市のおいしい郷土料理とともに、大豊町の碁石茶もふるまわれました。久しぶりに味わう碁石茶のほどよい渋味、大変感激いたしました。地元をはじめ実行委員会・大会事務局の皆さんに感謝申し上げます。大会後、道の駅大杉に立ち寄りましたが、碁石茶100g入り袋は、5,000円+税で販売されていました。お店の方に伺うと、生産組合で各生産者の品質をそろえるに、たいへんなご苦労があったとのことです。

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