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民俗誌作成と図書館利用

四国山中大豊町の碁石茶伝承地から

地図●高知県大豊町●調査日 1990.4〜1991.1
●調査地 高知県四国山中長岡郡大豊町東梶ケ内(ながおか・おおとよ・ひがじかじがうち)
●初出 『高知大学付属図書館報 山桃』27号 1991 高知大学付属図書館 に所収。(原題「民俗誌作成における図書館利用の一例」)


 「土佐はよい国,南を受けて,薩摩おろしが,そよそよと」よさこい節の一節。私はこの春(1993年)から鹿児島に移り,日本民俗学の研究を続けることになった。鹿児島といえばご承知のとおり桜島である。こちの風が吹けば市内は見る見る曇天となり,雪のごとくの降灰。この街自体既に飽和状態にあり,それが埃っぽさを一層増している。景観の変化には戸惑った。水田を見ることのない暮らしは,私にとって初めての経験である。鹿児島市は平野部が極めて少ない。そのわずかな平地でさえ既に宅地化が進み,その勢いは背後のシラス台地へと手を伸ばしはじめている。一方耕地といえば,台地上のカラ芋畑があたかも水田を見るかのように続く。

 ここでは卒業論文を振り返り,民俗誌作成における資料検索の具体例を示すことにする。『新版 民俗調査ハンドブック』では,文献資料の利用手順を以下のようにまとめている。@郡史・県史・市町村史・調査報告を含めた参考文献目録の作成。A参考文献における必要次項のカード化。B国勢調査,農林業センサスなど官庁の統計資料の活用。

 従来の日本民俗学は歴史資料を十分には活かし切れていたとは言いがたい。その反省を論旨の一課題に置いた拙論は結果的には失敗に終わったといってよいが,参考までにその概要を示すと,「文献資料の基づく対象地域の開拓史研究と,伝承資料に基づく民俗変容研究をあわせて,山村の民俗誌的考察を行う」ものであった。具体的には長岡郡大豊町(高知県ながおかぐんおおとよちょう)の一山村をとりあげ,そこに残る幻の茶「碁石茶」をめぐる民俗を調査考察したものである。この論文において参考文献として巻末にあげたものは合わせて58文献あった。その所有の内訳は高知大学付属図書館所蔵が14,史学研究室書庫所蔵が7,教官研究室所蔵及び教官私蔵が7,高知県立図書館所蔵が1,高知県庁所蔵が1,残りは私が個人的に購入したものもしくは入手したものである。またこれとは別に17の史料を使用した。その数は大学付属図書館7,史学研究室5,県立図書館5,個人所有2である(史料集などに所収されているものは出典ではなく,その史料集の所蔵館を示す)。

 次にハンドブックに従い参考文献目録作成上その整理を行うと,これらの史料は山村研究文献/対象地域資料・史料/茶関係資料・史料の3群に分類することができる。第一の山村研究文献はおもに教官研究室及び大学図書館の蔵書を利用した。そのうち一読して特に必要と思えるものは購入する。これらの文献は主に研究史の整理と課題の提示に使用した。第二群の文献はまず調査の下調べとして大学付属図書館において刊本化された近世地誌史料,町史や農林業センサスなどの参考文献を検索するものである。また県立図書館では未刊行の資料を郷土史料班の先生方のご指導のもと検索し,また統計類の近代資料にも眼を通した。県庁では県内の集落について統計資料をいただいた。さらに農林産省高知農業統計情報事務所では最新の農林業センサスが農業集落カードとして閲覧でき,またそれ以前のデータはマイクロフィルムとして利用できる。次にむらに入る際,町役場を訪問し明治9年の切図(地籍図)を写した。地籍図の閲覧にはかなり厳重な市町村もあるが,私が調査した大豊町の場合,文化行政に力を入れていることもあり研究者に対し極めて好意的であった。またその際教育委員会社会教育課を通して資料閲覧を依頼したことはさらに有益であった。同課の照会により近世史料を所有されている方にもお会いでき,貴重な原史料を書き写させていただいたこともある。最後の第3群碁石茶関係資料・資料であるが,県立図書館所蔵の近世資料及び土佐史談会所蔵の四国各県史談会会報などを利用した。このように民俗誌作成に当たっては大学付属図書館をはじめ,県立図書館,県庁,町役場など多くの方々に大変お世話になった。この場を借りてお礼申し上げたい。特に大学付属図書館は郷土資料の充実と学生に対するその公開に恵まれ,鹿児島での体制と比較して大変幸運であった。蛇足であるが,学部1回生のころ暗い書庫において高知高等学校の写本である和書を,初めて紐解いた瞬間は正に感動的であった。

 以上文献資料の利用例を示してきたが,これらの資料は民俗学の基幹資料である伝承資料と有機的に活用された場合にのみその機能を十分に発揮するものである。拙論の欠陥の一つとして文献資料に頼りすぎたゆえ,後者と有効に結びつけることが出来なかったことがあげられる。そうした私に薩摩での貴重な研究の場を与えてくださった高知,鹿児島の両先生方に感謝し,また2年間を両地における比較の視点をもって精力的に歩きたいと稿を進めるうちに改めて感じた。この小さな文章が後輩の研究活動の一助となれば幸いである。

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