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ドキュメント・テコテンドン行事

大隅半島内之浦町岸良の正月山登り行事

岸良位置図●調査日
1998年1月2日(毎年正月2日 午前8時〜午後4時)
●調査地
鹿児島県大隅半島内之浦町岸良 平田神社〜北岳〜平田神社
●初出
未発表稿。Web書き下ろし。


1 大隅岸良へ

 午前2時,薩摩半島加世田の自宅より自家用車で鹿児島へ向かう。午前3時半鹿児島鴨池港発桜島フェリーの中で,知覧中学校の小川秀直先生と落ち合う。先生の乗用車で午前6時前に岸良に着く。郵便局前で車中仮眠を取る。その後,岸良小学校の四元教頭先生宅で荷を解き,7時過ぎに発つ。先生は小学校のうさぎに餌を与えるという。3期休業中は地元に残る先生がうさぎ,にわとり,学校花壇の世話をしている。小学校の生徒は36人,休廃校になった船間・大浦からもマイクロバスで生徒が通っている。司書のいる図書室,コンピューター室,新築の職員室など一とおりそろった立派な学校である。

写真@平田神社 午前7時半,村の西にある平田神社に着く。村人を差し置いて我々が一番乗りとなる。雲一つない快晴である。岸良の村は北と西から海に注ぐ沢を中心に開けた農村である。神社への途中,これから登る北岳を仰ぎ見る。薩摩半島にあるもこもことしたシラスの山並みと違い,間近に美しい山がそびえる。地形図を見ると743メートルとある。2回目の登山となる四元先生から「展望台と呼ばれるあの白い岩までまず登り,さらに頂上を目指す」と教えられる。海辺の集落から700メートル登ることになる。少し体力に不安を感じる。神社に着くと串木野高校の森田清美先生と所崎平先生が駆けつける。先生方は軽装である。その直後神主の上薗氏がみえて,あいさつを交わす。続々と子供達も集まり,20人ぐらいが揃う。(写真1 平田神社

2 北岳登山

 皆で神社に参り,上薗氏があいさつした後8時のサイレンとともに発ち,北の山を目指す。集落の西から谷の右岸に回り込む道が,舗装したものからがたがた路に変わり,沢を越えたところから動悸が始まる。この沢渡りが第1の難関となる。聞けば去年は取材の新聞記者がここですべり,登山を断念したという。今年は3メートルの沢を石ですべる者もなく無事わたり切った。林道までの40分はなんとかもったものの,そこから展望台までの1時間が正念場。途中路はあ写真A北岳登山っても下へ滑り落ちそうなところが第2の危険地帯。子供達も無事通過する。一人二人と先を譲り低学年の子供と共にようやく到着する。天気はやや霞があるものも集落が一望に見渡せる。第3の冒険はこの展望台の岩へよじ登ることだ。(写真2 北岳登山

 小休止の後,「あと40分」の掛け声のもと出発する。ここまで沢から展望台へ回り込むように尾根伝いの急斜面を駆け登って来たが,ここからはなだかな尾根になる。ただし進みが遅い。どうも路が分からないらしい。先頭を行く神主さんや役員の方が薮を払いながら路を作って行っているらしい。いつまでたってもあと10分の笑い声が聞こえる。後から聞いた話では,官山(国有林)のため普段はこの北岳に登ることは少ないという。私にはこれくらいのスピードがよい。なにせ2度目の休憩までは足はつかれず進むが,どうも呼吸が乱れて全然だめだったから。コースは去年とは違っていたようだ。二度目の休憩からアサビの枝が見え始める。子供達は帰りにそれをちぎって帰る。トベラ木の臭気も漂う。子供達から「もう少し先になるとイバラが多くなる写真B山頂祭祀よ」と教えられる。子供が主役の行事ならば,やはりこの登山は試練を与えるためのものだろうと思う。子供はまだ走りながら進んでいる。神主さんは途中サカキを探しに脇道に入って行った。小川先生がついて行こうとしたが早くてやめたと帰ってくる。

3 集落一望

 薮を掻き分け,一番後ろからついて行ったが人声が止まっている。ようやくついたようだ。10時のサイレンが第3ラウンドの挌闘の中聞こえたので,到着は11時ごろである。例年より時間がかかったようだ。予想したより斎場は狭い。(写真3 山頂祭祀)大岩のくぼみに高さ30センチほどの祠があり,5メートル四方ほどの斜面に皆んなが座っている。すかさず親たちが火を起こし,子供達は串にさした餅を焼き始める。今年は焼き芋も新登場。

写真C御神体 昨年のこの日に供えられたお賽銭を集め,11個の御神体の着物を新しい白い装束に着せ替え,登山の途中神主さんがあつめた21本のサカキを3本ずつ束ね,赤い布を巻く。赤は女の子の健康を,白は男の子の健康を願うというが,今年は赤だけだった。お神酒の変わりに水を供える。(写真4 御神体

 その後昼食をとる。森田・所崎の両先生は神社での祭りが中心の行事だと考えていたとのことで,お昼は何も準備していないという。小川先生から生涯一の贈り物。奥さん手作りのおいしいお握りにお茶。さすが2回目の人はすごい。神主さんも差し入れてくれた。温かいなあ…。狭いので子供達は小学生が先に,中学生があとで食事を取る。順序がいい。そのあと神主さん写真D山頂での餅焼きがお下りの時間を12時30分と告げると,みんなで大岩に登るという。皆の言い方では御神体という訳ではないらしい。押し上げられながらようやく這い上ると展望抜群である。岩の上は10人で定員。子供は我々が降りるのを今かいまかと待っている。どうも我々は我がままでしょうがない。(写真5 山頂での餅焼き

 最後に祭事を行う。神主さんの唱えごとのあと,全員でニ礼ニ拍一礼する。また小さな声で神主さんが祝詞をあげる。そして出発。神主さんが「神様より先に走ってはだめ」と子供達に注意する。子供達は途中アサビを取って帰る。私は一番後ろから幼児親子と一緒に降りたが,その親子もちぎっていた。体力を使い果たした森田先生と共に10分ほど遅れて休憩場所の林道に着く。帰りの休憩はこの1回だけだ。我々が追いつくと「あわてないようにいそいで」の声で一同はすかさず出発する。写真E柴をムラに運ぶ

4 ムラに柴を届ける

 林道からほどなく中岳の斎場がある。南岳は北岳に合祀されたのか,ここでの唱え事の中に出てくる。お神酒の代わりの水を忘れて役員さんが沢に汲みにいく。神主さんはそのころ自動車で一足先に帰りかみしもに着替えていると言う。中岳からは太鼓も加わり,子供たちが「テコテンドンの歌」写真F神社へ到着を歌いながら降りる。太鼓は途中何回か叩いただけである。午後3時前ようやくムラに入る。集落民はあまり出て来ない。どうやら神社に先回りしてシバが届くのを待っているらしい。帰りは2時間ほどで着いた。(写真6 芝を村に運ぶ

 一行が境内に着くと,正装に着替えて待っていた神主さんにシバが渡写真G社殿を回るされる(写真7 神社へ到着)。その神主さんを先頭にして社殿を3回まわる。左,右,もう一度左に回る(写真8 社殿を回る)。境内ではムラの婦人たちによりぜんざいが振舞われる。そして,神主さんは本殿にシバを供える。全員で拝礼し,神主さんが祝詞をあげる。そしてシバが拝殿で子供たちに配られる。こうしして,写真H柴を配るムラに柴がもたらされる。(写真9 芝を配る

 結局3回ころんで,2回路を間違えた。これほど中身の濃い行事を,子供たちがこなし,そして次の世代につなげている。こうした伝承を着実につづけている力強いムラも残っているのだ。このムラの過疎は,心の中まで侵してはいない。

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