6月 海運の歴史 加世田市万世からは江戸時代,海の道が日本中につながっていた。| 加世田風物詩 < 南さつま半島文化

海の道の名残

―薩摩半島加世田と日向美々津の廻船―

写真●海運業者の土蔵内部(加世田市万世)  宮崎の美々津(日向市みみつ地区)という港町に行ってきました。知覧(ちらん)や出水(いずみ)と同じような古い街並みの続く景観の美しい街です。古くから九州山地の村むらから木材や木炭をいかだで降ろし,ここから千石船で大阪などに送ってきました。江戸時代に建てられた廻船問屋の白壁,防火用の空き地,屋根のかかった井戸など,歩く者をすっと吸い込んでいく静かな街並みです。日向市にあるこの街へは,高速道路を利用して加世田から5時間ほどでつくことができますが,この港はかつて海の道でも,鹿児島とつながっていました。

 さて,加世田にも海運業を背景とした商家が万世(ばんせい)にあります。マルチョウやカネシチなど,江戸時代から大坂や琉球へ日用雑貨や食料品を運んでいました。こうして万世の大崎が廻船で栄えるようになったのは,江戸後期に,相星(万世校区あいほし集落)に河口のあった万之瀬川(まのせがわ)が氾らんを起こし,今のようにサンセットブリッジの方へ流れるようになったからです。
 南さつまでは,指宿(いぶすき市)や山川(やまがわ町)が廻船で知られていますが,知覧の塩屋や松ケ浦,門之浦からも何日もかけて運搬船が大阪へ向かっていました。そしてこの美々津も,その寄港地の一つになっていました。

 美々津の方とお話ししていておもしろかったことがあります。それは,ここから大阪へ船が通っていたことはご存知なのですが,鹿児島など以南から上方へ向かう船の大切な寄港地になっていたことは,あまり意識にはなかったようです。海の道は一方通行ではないのになあと思うことでした。
 屋久島を歩くと,加世田と聞いて丁子屋の名前を思い出す人もあります。美々津も万世も,陸運の発達によって海運が衰退していったといわれます。けれどもかつて海の道を通して,人・物・文化の流れがあったことも記憶に残しておきたいものです。

 万之瀬川河口の新川集落では,海上安全を祈願して旧暦6月の水神祭りで,ガラッパ相撲が奉納されます。

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