11月 亥の日・亥の子 - 秋の農村年中行事「モーモードン」「丑の時参り」 |加世田風物詩 < 南さつま半島文化

亥の日餅のゆくえ

―薩摩半島加世田市のモーモードン行事―

写真●亥の子飾り(加世田市内山田) 黄いろくたなびいていた稲の穂も刈入れが終わりました。

 長屋の内布(ながや校区うちぬの地区)では11月の亥の日,餅を入れたワラヅト(藁筒)を田んぼに立てます。そして子供たちが「いっしゅまーきに,じゅうさんぴょう」と唱えながら,牛の舌のような餅をくわえて引っぱりあいます。1しゅまきとうは1升撒きのなまりで,直播きの時代に1畝に1升の種を撒き,普通は2俵半(100升)ほどが取れました。その5倍「13俵収穫できますように」という,ちょっぴり背伸びしたお願いと,豊作の感謝がこめられているようです。津貫の干河上(つぬき校区ひごかみ集落)では少し謙遜して「1斗撒きに13俵」という方もいます。

 さて,小湊中央(こみなと校区ちゅうおう地区)では同じ亥の日の深夜,「丑の時参り」という田の神様のお祭りがあります。オンナドン(昔の庄屋さん)が田の神様にお参りしてシトギ(米の団子),刺身,酒,柴をお供えします。それからハンヌクンとういところでナンコ(遊戯名)をします。負けた人は「もー」と牛のまねをしなければなりません。ところが祭った後で青年や子供たちが猫のまねをしてお供え物を取りに来ます。これとは別に各家では,牛の舌のような細長い餅を搗いて,お嫁さんの親元や漁業をしている知り合いのうちなどへ配ってまわります。

 子供たちが供え物を取っていくのは,ナニモノかが持ち去ったことを意味しています。おそらく田の神様が猫に頼んで運んでもらったのでしょう。亥の日の餅はだれが食べても良いというのは市内各地で聞かれます。さらに,この日は虫供養の日ともいわれますが,ホゼ(放生会)という言葉も同じ意味をもっているのです。

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