「・・・ぜっ・・・、はぁ・・・っ。」

 体が重い、昨日から色々ありすぎて今日は体調がかなり悪い

 ちょっとしたことですぐ体に来る、この身体が憎い

 茜に突き飛ばされて、床に手をついたまま、それ以上動けなかった

 茜が近づいてくる、怖くて顔を見れない

 痛みじゃなく、嫌われている事が怖い。

 叩かれた頬が熱を帯びている。

「彩・・・?だ、大丈夫?」

 心配になったのか、問題を起こすのを恐れたのかわからないが

 茜は私に声をかける

「・・・なんで・・・?」

 茜は私に嫉妬を抱いている…

 嫉妬の念は、もう嫌と言うほど自身が体験しているし

 今もずっと持っている、悲しいけど消えそうにない

 勉強が出来て、家族がちゃんと居て、仲が良くて、友達が居て

 部屋があって、ケイタイとかも持ってて・・・何より・・・

 「普通の」身体を持って、普通に暮らせる茜に……

 なんで私が嫉妬されなくちゃならない?

 私が持ってないもの、全部持ってるくせに・・・

 なんで一つ位で、それも私が要らないもので怒るんだ・・・・っ。

「くそ・・・・っ」

 歯を食いしばって立ち上がり

 茜に一瞥もせず私は無言で校舎を出た



 外は雨が強く、傘を差していても、何処からか水滴が衣服に触れて染込む

 いっそ傘なんて差さないで歩きたい気分だ、途中で倒れてしまうだろうが。

 足元だけを凝視して吐き気と体の重さに耐えながら歩く。

(信じてたのに・・・。)

 あの時に茜は茜自身の為に私を助けたと言った

 それが嬉かった、初めて他人の中に自分が居たのを感じた。

 やっと居場所が出来たと思っていたのに・・・。

「くそ・・・・・・・・っ。」

 溜め込んだ感情が、頬を伝って、雨粒へと溶け込む

 腕で拭っても一向に止まる気配がない

 地面もまともに見れないくらい視界がぼやけていた

「みゃ〜〜〜〜っ。」

 少し間の抜けた、猫の声

 気をとりなおして、もう一度涙を拭って

 その声の方を向く

「・・・あ・・・えと・・・、お、おはよサヤ。」

 マリアが不自然な形でカバンを持っていた

 傘を持っていない為、出来るだけ雨に濡れないように

 建物に張り付くように立っている

 マリアのカバンを見ると隙間から白い毛のようなものが見える

 中にいるのがさっきの鳴き声の主だろう。

 一つ深呼吸をして、声を出す。

「何で・・・お前・・・。」

 冷静に取り繕ってみたものの、声がしゃくりあがっていた。

「ちょっとサボっただけだ、今帰る所、そっちこそ何で・・・・。」

 マリアは頭を掻いて、私から目を逸らす

「・・・いや、何でもいいや、それじゃ明日。」

 傘も差さずにこの雨の中を帰る気らしい

「待てよ、傘やるよ。」

 マリアが間抜な顔で振り向く

 建物の壁に背をぴったり合わせ蟹歩きをしながら

 出来うる限り私に近づいて来た

「同情か?」

「そうだよ・・・、そのカバンの中の猫にな。」

「あ、なるほど・・・私は遠慮しないよ?」

 マリアは私が持っている傘の中に入ってきて

 本当に遠慮せず傘を手に取る

 ようやく雨をしのげるアイテムを手にして

 表情には出ないがうんうんと頷き本人なりに満足しているようだ

「明日返せよな・・・。」

 そういって、傘の下から出ようとした私の胸に

 マリアは猫の入ったカバンを押し付ける

 思わずそのカバンを手に取ると

「じゃあ、サヤはその中の猫持っててくれる?」

 と、マリアはニヤリと笑って言った

 傘は当然使うが私を傘から出す気もないらしい

「その猫、私が抱っこしても暴れるし
 カバンを縦にしたら教科書で猫がつぶれるだろ?
 彩なら多分大丈夫だと思うし
 明日といわず私の家についたらすぐ傘返すよ。」

 相変わらず勝手な奴だ、私の体力の事は無視している

 ・・・とは言いつつもカバンの中から猫を出しては見る

 教科書などで重いカバンはマリアにすぐ返した

「私は気分が悪いんだ・・・・お前のクソ重いカバンは持てない。」

「じゃあしばらく私の家で休んで、
 義母さんが帰ってきたら駅まで送ってもらう・・・とかダメ?
 待つのがいやならバス代出すよ。」

 正直傘にマリアと入るのは嫌だといいたいが

 子猫とは一緒に居たい

 黙ってマリアの後についていくことにした。



 10分程、私もマリアも一言も話さず歩いていた

 私はともかくマリアが話しかけない事に違和感を感じる

 体調は相変わらず最悪だが、子猫のおかげで精神的にはかなり楽である

 子猫は私の腕の上で何をするでもなく、くつろいでいる

 そんな様子を見てようやくマリアが口を開く

「ちぇっ、やっぱり懐いてるよ・・・そいつ私には全然なのに、拾ったの私なのに。」

 ムスッと子供みたいに嘆いているが

 猫の入ったカバンを無造作に私に手渡そうとしたり

 結構乱暴に扱っているのが原因のような気がする

 子猫よりマイペースで物事を運ぶのに感心するやら何やらだ。

「それよりサヤ・・・アンタ大丈夫か?、足フラフラ・・・。」

 心配する通り、どうも限界が近いみたいだ  駅まで傘なしで歩いたら本当に倒れてたかもしれない。

「あとちょっと・・・5分もあれば着くけど・・・。」

 そう言うと私のカバンも持ってくれた、「軽っ」は余計な一言だが。

 荷物がなくなった私は両手で猫を抱き上げる

 さっきより自由になった猫は、私の腕の中をもそもそと動き回る

「へへ・・・。」

 思わず顔が緩んでしまった、慌てて平静を保つ努力をしてみるが

 それを目ざといマリアが見過ごす訳はない

 マリアの方を見ると目が合ってしまった、見られていた?

「・・・え?いや、見てないよ?、サヤのゆるゆるな顔なんて。」

 わざと言っているようにしか思えない返事だった

 しかし、この子猫が悪いんだ

 無性に可愛い、私が飼いたい程に

 親に言ったら、間違いなくダメと言うだろうな。

 私の狭い部屋で飼ったら、毛を吸って喘息が悪化するかもしれないし

 マリアにそういう事情は無いのだろうか?

「なぁマリア・・・コイツを飼えるのか?」

「問題ないと思う、ちょっと前も猫飼ってたし・・・。」

 マリアは悲しそうに答えた、昔飼っていたのは死んでしまったのか

 前飼っていた猫を思い出していた。

 また二人とも黙り込む、傘が雨をはじく音と時折通る車の音だけが聞こえる

 無口な子猫はいつの間にか眠っていた。



「着いたよ」

 ようやくマリアの家に着いた

 家は、ここ一帯の住宅よりちょっと古くて小さい

 二人暮らしには丁度いいくらいの大きさだ

 マリアは玄関の前の花瓶の下から家の鍵を取り出して鍵を開けていた

 いくら都会じゃないからってそれじゃ鍵の意味すらない、防犯感覚がなっちゃいない

「・・・鍵くらい持ち歩け・・・。」

 体力が限界で口を開きたくもないがあまりのずさんさに忠告をせざるを得なかった

「そう?やっぱりセキュリティー面で問題があるかな・・・。」

 問題がないと何故思うか不思議だ

 マリアは私を玄関に招き入れる

 よろよろと歩く私を引っ張って床の間のソファーに寝かせようとする

「・・・大丈夫か?布団がいい?」

「いや・・・ここでいい・・・。」

 少し寒いけど・・・横になれた分ずっと楽になった

 眠ったままの子猫は暖かいからお腹の上に置いておこう

 マリアは床の間の隣のキッチンから冷蔵庫を覗いている

「う〜〜、お腹すいたなぁ・・・サヤは何か食べた?」

「いや・・・食べてないけどいらな・・・」

「じゃあおかゆ作るよ。」

「いらないって言っ・・・」

「いいから食べるといいよ。」

 まるで聞く耳持たずに会話を進めていかれた

 今までの事を鑑みても、これ以上何を言っても同じだろう

「その猫、生まれて1ヶ月ちょっと位かな・・・?
 確か子猫用のドライフードなら・・・」

 殆ど独り言と化した会話をしながら、手馴れた様子で料理を始めた

 しばらく時間が経つと暇になってくる

 人の家で寝ているという事に違和感があるからなかなか眠れない

 折角なので色々観察してみる

 この家庭、余計な物を嫌うのかえらく簡素な部屋だ

 その割にはあまり広くない部屋にソファーとテーブルが同居していたりする

 テレビを横になって見るには丁度いい位置だから

 その為だけにあるのかもしれない

 家はくつろぐ為の場所、という事に特化しているのが何となくわかる

 壁にはカレンダーが貼っているが、もう7月が終わるというのにまだ6月の表示

(・・・・・・・・剥がしてぇ。)

 例えば単行本がちゃんと巻数通りに並んでいないと気が済まないように

 カレンダーも今の月を表示させたい、それが他人の家であっても店であっても。

 体が絶不調だというのに、折角、子猫と一緒にくつろいでいるのに

 要らぬものを見てしまったと後悔した

 猫を起こしたくないからじっと我慢してしばらくすると

 料理の匂いに気がついたのか、子猫が起き上がった

 それをチャンスと私はゆっくりと起き上がって、カレンダーのページをめくる

 7月に切り替わったカレンダーを見て、なんだかスッキリした

「・・・何してんのサヤ・・・?」

 ソファーに戻る私にマリアは不思議そうに声をかけた

 いつの間にか料理は出来ていたようだ、子猫の分も

 おかゆを作るといっていたのに、とき卵とニラが土鍋から見える

「サヤと私はにらと鶏の雑炊、猫には子猫用ドライフードをぬるいミルクでふやかしたもの。」

 二人分にしてはやたら量の多い雑炊だ。

 子猫にドライフードはどうかと思ったが、昔飼っていただけあってちゃんと対応していた

「それじゃ頂きます。」

 マリアが手を合わせていただきますを言う

 自分は何年そういう事をやっていなかっただろう

 それにあわせて私も手を合わせる、猫は既に食べていた。



 食事も終えて私は再び横になって休んでいた

 雑炊の殆どはマリアの胃の中に消えたが、一体どういう構造になっているんだろう

 大食いの人間の胃ってのは・・・。

「おいしかったよ・・・雑炊・・・」

「お、褒めるなんて珍しい・・・
 そういえば今日、渡辺さんとも会ったよ。」

 突如マリアが話しかけてきた

「それで昨日の事聞いたんだけど・・・・・・ええと。」

「知ってる。」

 あんな事なら知りたくはなかったけど。

 ―――わずかの静寂が流れる

「あ、知ってるんだ・・・って事はやっぱり―――
 ・・・・それはともかくちょっとした・・・
 感情の、発露だよ、夏休み明けには直ってるよ、きっと、多分。」

 マリアなりに考えながら慰めているつもりなんだろうか

 言葉が飛び飛びになっている。

 「やっぱり」・・・は「頬が紅かったのはやっぱり」「泣いてたのはやっぱり」

 の略か、タイミングの悪い所を見られてしまった

「私、男に興味があんまりないからわからないんだけどな。」

 人に対してもさして興味ないマリアが言う

 執着とか嫉妬って言葉に最も遠そうな奴に分かるはずがないだろう。

 夏休み明けても、来年になっても多分変わらない。

 でも自分ではもうどうしようもない

 考えたら涙が出てきそうだ・・・・。

「・・・なぁ、本当に大丈夫か?明日学校に来れる?」

 私が何も言わないでいると

 マリアの余計なお節介が飛んできた

「同情すんな・・・私の事だろ。」

 人間関係って言うのは1対1でも頭が痛くなるほど大変なのに

 3人となればもはや複雑すぎて手に負えない

 茜とマリアは切り離して考えたかった

 この二人に限らず・・・・全てにも

 そんな気持ちをわかってもらえるわけもなく

 マリアはふくれっ面でこちらを見ている

「またそれかよ、だったらなんで泣いたりすんだよ・・・。」

 感情って言うのはどうして我慢しても外に漏れるんだろう

 そのせいで今こうして余計な詮索をされる事になっている

「そんなにふくれるなよ、別にマリアが嫌いなわけじゃなくて・・・
 それより今何時?、もう少しだけ休ませえてくれる?」

「2時半、別に休んでも泊まっても構わないけど。」

 泊まりはしないけど、そういうのなら2〜3時間ほど横になっていよう

 子猫でもゆっくり観察していよう。

「あ、そうだ・・・この猫の名前、どうしよう。」

 寝ようとしていたところにわざとらしい口調でマリアが私に問いかける

「折角だし彩もなんか考えてよ。」

 何が折角なんだか

「お前が飼うんだから自分で好きな名前つけてやれよ・・・。」

 ストーカーや茜の事で頭がいっぱいでとてもそんな余力は残っておらず

 猫とはいえ一生に関わる事だし、安易な名前はつけたくなかった

 白い子猫はマリアが抱き上げると、ひどく暴れていた、ご飯を食べたから元気になったのかも知れない

「私が名前つけんの?」

 とマリア

「って言うかお前の猫だ・・・。」

「じゃあ、彩ってつけてやる、白いから。」

「や、やめろ・・・・!」

 思わず掌を突き出して静止させる

 なんてとんでもない名前をつけようとするのか

 白けりゃなんだって私か、人のコンプレックスもお構いなしだ。

「私それしか浮かんでこないんだよ・・・この猫、渡辺さんにはやったら甘えるし。」

「・・・・・もういいから喋るな・・・蹴るぞ。」

 誰が茜に甘えてるんだ・・・

「じゃあシロでいいんじゃねーか?」

「安直過ぎる・・・もっとサヤっぽいネーミングセンスを・・・」

「どんなだよ・・・」

「アヤ、とか?」

「それは・・・・聞くだけでムカついてくるからやめろ・・・!」

 姉貴の名前だ、私が心から嫌いな人間の一人

「そんな殺気だった顔するなよ、誰なんだ?、答えてくれそうにもないけど。」

「・・・ねむそうだからネムとかどう?」

 無視して猫の名前を片っ端から挙げる

「それがダメなら・・・なんか偉そうだから姫。」

 適当に上げていくがマリアは全く頷かない

 本気で自分では考える気がないと見える

「・・・・じゃあルイとか・・・。」

「それどっから?」

「いや、ルイ=アームストロングから・・・」

 ルイアームストロングはアフリカ系アメリカ人のジャズミュージシャンで

 What a Wonderful Worldはあまりにも有名だ

 ・・・・少なくとも私の中では

 どうせなら好きな名前をつけたい

「じゃ、ルイにしよう、漢字で泪。」

 マリアも認証したようで、「るいるい〜」と機嫌よく子猫を撫でようとして

 景気良く猫に噛まれていた。

「私やっぱり嫌われてんのかな・・・」

 マリアは餌を与えても、なついて来ない猫に不安を覚え始めてきていた

 嫌いだったなら逃げる、私ならそうする

 「噛んでも引っかいても面倒を見てくれる」かどうか、多分確認しているんだろう

 捨てられたと言うのが子猫とはいえショックな出来事だったんだろうな

 今はマリアを母親なのかどうか確かめてるんだと思う

 ・・・・とはマリアに言う気もなく。

「ま、がんばれよ・・・私はちょっと寝る・・・。」

 子猫と戯れているのが羨ましい

 目を閉じるとすぐ眠りについた。



 夢の中で猫は、周りのみんなが優しい顔で手を差し伸べてくる

 でも何が信じられないのか、猫は差し伸べる手を悉く爪ではらって

 相手の手に生傷を作っていった

 そしてそのうち誰もいなくなった

 何をやっているんだろうこの猫は・・・。