「おはようございます、月島先輩」

 鋭い視線の男、私を先輩と言うからには1年、

 それが登校中、唐突に話しかけてきた。

 日傘を傾けて視線が合っているソイツの顔を隠す

 いや、私が私を隠していると言うべきなのか。

 私は1年を見なかったことにして通り過ぎていこうとした。

 大方物好きな奴が近寄ってきたのだろう

 見た目が異様に白く目立つ私に対して

 興味本位で質問してくる奴が今までどれだけいただろうか

 「羨ましい」といわれる事があったが、病的なものに憧れる奴の気が知れない

 空気のように当たり前と思っている「普通」がどれだけ幸せな事かわかっていない。

 普通こそが自分の理想像で、夢

 そう、夢、夢だ、肌はいつまでもこの色で

 色をつける事はありえない

 夏に日傘をしないで快活に歩き回る事なんて夢の中でしかない、わかっている。

 視線は常に下を向き歩く、

 日傘の影に重なるように人の影が私の後ろを追うように重なっている。

 さっき通り過ぎた1年が私の後ろをついてきているのだ。

 人が後ろにいるというのは何故こんなに不快なのか

 それを忠告しよう、と頭をよぎったが

 恐怖心が口を塞いだ、かわりに私の足の速度を速めた。

 足音と後ろの影もそれに合わせて早くなり

 依然として影は重なったままついてくる

 さらに足を速める、影も同じだけ早くなる

 いよいよ恐怖に耐え切れなくなった私は全力疾走で学校まで走った。

 後ろも振り返らずに目をつむって走った。

 元々の体力のなさと夏の暑さで教室の扉を開ける時には

 肩で荒く息をし、かなりの汗をかいていた。

 ともかく・・・助かった・・・。

「おはようサヤ・・・どうしたの?」

 すぐさまマリアが質問する。

「なんでもない。」

 とだけ答え席に着いた。

 そして、さっきの男はなんだったのかを考える

 早足でも追って来るなんて事、質問だけしてくるような奴とは違う。

 帰る時が怖くなってきた、学校と言う同じ場所に来る限りまた出会うことになる、

 私が学校にいるのは、少なくとも家にいるときよりマシ、と言うことだった

 それが崩れるのは今は避けたい。

 楽観的に考えようと努めた、そう、ついてきたのはたまたま偶然だったのかもしれない

 大体、悪意があるなら全力疾走しても追いかけるか、声くらいかけるはずだ

 ・・・しかし、それは好意があってもそうなるはず・・・

(あぁっ・・・・くそっ・・・。)

 すぐさま前向きな考えを否定する自分に苛立ちが上った

 どうして自分は前向きになる事を打ち消す事をすぐに考えてしまうのだろう?





 苛立ちと不快感が時間を追うごとに強くなっていく

 昼の休み時間、自然と図書室にいる茜の方へ足が動いた。

 茜なら助けてくれる、そこまでなくても話をすれば落ち着かせてくれると思った。

「なぁ・・・茜・・・。」

 茜に小声で呼びかけてみたが、振り向かない

 本に集中しているのか、かといって大声で呼ぶのはマナーが

 ・・・ではなく自分がそんな声を出したくない。

 恐る恐る肩に触れる、私は緊張していた、

 私が誰に対しても緊張している事に気がついて

 意識するようになったのはほんの数日前

 この間6人で遊びに行った時かも知れない

 ともかく、私は人と話すのに無意識に緊張してしまうのに気づいた

 今日はテストどうだったとか、最近面白い事あったかとか、夏だけどやっぱり暑いね、とか

 特別な事は何一つない普段の会話というものをしようとするだけで緊張する

 そして茜に対しての緊張は他の誰よりも薄い、だから何とか話しかけることが出来る。

 茜が私のほうを振り向く、本を読んでいるところを邪魔されたのか少し不機嫌な表情。

 私が話しかけようとするのと同時に茜は顔を元の位置に戻し、再度本を読み始めた

「あっ・・・・おい、茜・・・」

 素っ気無いにも程がある、肩を掴んで振り向かせようとすると

 茜は私の手を払って、息を深く吐いた

「ちょっと、もう、鬱陶しいんだけど・・・・?」

 ―――え?

 私の顔を見ようともせずにそう言った

 頭に言葉だけが流れて、何を言われたのか理解できなかった

 同じ音楽を数回聴くと歌詞の意味を解しながら聞けるように

 さっきの台詞を何度も反復して意味を、理由を考える

 心臓が奇怪なリズムを刻み始める

 今、目の前にいるのは茜?誰?

 何が起きた?私は何をしてしまった?

 これも偶然機嫌が悪いだけなのか?最後に話したのいつだっけ―――?

 思考がまとまらないまま私はすぐさま図書室から退室した、

 なぜだか廊下が歪んで見える。

 教室に戻る手前、他のクラスの女子3人が目に移った

 廊下を塞ぐように立っていて邪魔だ

 無理に通ろうとした時、3人の中の一人が口を開いた

「月島さん・・・最近調子乗ってない?」

 ・・・あまりにもバカな質問のせいで酔いが冷めたように意識が戻る

 一度くらい調子に乗って見たいくらいだよ、お前等みたいに。

 通路を塞ぐ3人の間を通り抜ける、一人が私の腕を掴んだ。

「聞きたいんだけど〜?、成績がちょっと上がってたけどカンニングでもしたの?」

 腕を掴んだまま喋ってくる

 私の顔が嫌悪感が占める

 顔が近いのに口を大きく広げて喋る気によくなるな・・・

 その上私を疑っている、その質問もうんざりだ

 他でもない母親に言われたその言葉、ただの1度でうんざり・・・うんざりする。

「カンニングなんて・・・するかよ。」

 あの時と同じ言葉で返した。

「渡辺さんのノートをどっかに写したんでしょ?消しゴムのカバーの裏とかさぁ。」

 やけに具体的だ、大方こいつ等がやってるカンニング法なんだろう

「やってねぇよ・・・。」

「大体退学にならなかったのって、脅したんでしょゼッタイ。」

 茜を?ふざけるな・・・・。

「退学になって欲しかったのか・・・・?」

「別に〜?」

 ただでさえイライラしている私にそんなナメた顔するなんていい度胸だ

「今、そうなるようにやってみようか?」

 私は少し笑う、その笑みを理解できず相手のにやけた顔が凍る

 腕を掴んでいた女に裏拳を放った。

 拳は口元に当たって、ソイツは手を離し顔を押さえた。

「あっ!?、な、なにすんのッ!!?。」

 他の二人が叫ぶ

 殴られた女は唇を切ったのか口の端と押さえた手が血で汚れている、鼻血も流れている

 だが表情に怒りや交戦の意思は無く、怯えた犬のように情けない顔をして後ずさる。

「ぜ、絶対許さないからッ!絶対ッ!!」

 そういって殴られた女が逃げると、他の二人も視界から消えていった

 3人と言う数は飾りなのか、友達が殴られたのに逃げるだけなんて

 そんな奴等をお互いに友達と認識していることすら滑稽に見える。

 友達・・・

 茜はどう思っているのだろうか、さっきまでは友達と思っていたのに

 今はまるで自信が無い、もしかすると3人の滑稽な友情関係が普通なのかも・・・。





 ―――5限の家庭科の授業中、私は合間を縫って茜に話しかけようと試みた

 きっと本を読んでるのを邪魔したから機嫌が悪かった・・・そう思いたかった

 今は、教師も教室から離れ、茜は手も動かさず

 前の席の友達と喋ってお互いに笑っている、機嫌はもう悪くなさそうだ。

 席を立って茜に近づく、私は昼の頃よりずっと緊張している。

「・・・・あ・・・・茜・・・」

 近づいた時、既に茜の顔に笑みが消えていた、私が近づいている事に気がついていた

 振り向かない、話しかけても。

「・・・ふぅ・・・・。」

 茜はため息一つ、下から覗き込むように振り向いた

 さっきまでクラスメイトと話していた表情じゃない。

 全身の血が泡立つ感覚を受けた

 茜は自分の味方になってくれる、はず、きっと

 だからかろうじて自分は学校に居れる、そんな安心感

 僅かだけど、確かにあったそれが今なくなった。

 ロッククライミングで命綱が切れた時のような

 潜水中に酸素が尽きたような感覚。

 ――私は軽くパニックを起こしていた

 酸素が尽きてパニックになったダイバーが水上の光に向ってもがく様に

 私は茜の肩を強く掴んで揺する

 つい数日までの間で何が・・・!?

「私が何を・・・・・・何をしたんだッ!?」

 疑問はもう声となって出ていた

「うっ・・・・くっ・・・もうッ!!」

 茜は関を切ったように両の腕を力任せに突き出して私を跳ね飛ばした

「うぁ・・・・っ!?」

 私は地面に転がる様に倒れた。

「あ・・・・。」

 茜は今自分でやった事を信じられないかのように

 私から視線を外す

 クラスの他の連中は茜にかける声こそなかったが

 茜に見せる顔は「やはり」と言った表情をしていた

 「やはり仲良くなった訳じゃない。」「やはり嫌われている。」のやはり、だ。

「大丈夫か・・・・サヤ・・・・・。」

 マリアが倒れている私に声をかける

 珍しく人を心配してるような声で話しかけて来る。

「同情するんじゃねぇ・・・・ッ!」

「泣きそうな顔で何言ってるんだよ・・・。」

 そう言われて私はすぐ顔を伏せた

「私が渡辺さんから理由、聞いてくる。」

 私はマリアの足をつかんで止めた

 マリアは少しバランスを崩したが、なんとか転ばずに済んだ

「いい・・・私が聞くから・・・・余計なお世話だ。」

 私の言葉にマリアは哀しそうな顔をした、やっぱり同情か、くそっ。



 放課後、日が真っ赤に焼けて、空は西から東にかけてオレンジから紫のグラデーションを作っていた

 そんな光と闇が共存している黄昏の時、

 私は頻繁に後ろを振り向いて人が尾けていないか確認しながら歩いていた

 マリアの奴が帰り際に「ストーカーに気をつけて。」など言うから

 余計に怖くなってきた、アイツはいつもお節介が過ぎる、わかって言ってるのか。

 何処にいても見られている気がする、どれだけ多くの人に紛れていても

 私の存在はハッキリ区別される、目立ちたくないのに。

 人の波が存在を消せないなら、周りに誰も人のいないところを歩いて帰るしかない

 私は大通りを避けて出来るだけ狭くて暗い裏路地を通る

 ちなみにいつもそうしている、昔から狭くて暗くて誰もいない道に安心感があった。

 線路の橋を通ると、前に20歳付近の男が5人たむろしていた。

 後ろばかり気にして、前にこんなに人がいるのに気がつかなかった

 目を合わせないように、通り過ぎようとした。

「ん・・・?、あぁ!?、お前だな、白い奴、ちょっと待てッ。」

 背筋に冷たい汗が流れる

(嘘・・・だろ・・・?)

 こんな奴に覚えは無い、白いのが私以外に何人いるのかしらないが人違いだ

 走って逃げようとしたが、後ろを振り返ったときには既に目の前に男がいた

 私は間違いなく足が遅い方だ、男とは比べるまでもない

 恐怖で足がつって、その場に転倒した私に、見知らぬ男が話しかける

「お前だな・・・ミカを殴った奴は・・・・!」

 ミカ・・・殴った・・・・?

 昼休みに殴った相手はミカと言うらしい

 男は彼氏なのか、顔は怒りの形相で引きつっている。

 怒っているのはずっとマシな方で

 私を本当に恐怖に沈めたのは他の4人の顔・・・笑っている。

「お、コイツ叫ばないな・・・結構アレなのか?」「アレってなんだよ」「アレだよアレ」

「おい、お前らカンケーねーだろ、ミカの分は俺が。」「カレシ気取りやがって、その後は俺等な。」

 それぞれがそれぞれ勝手な事を言う、こいつ等もまともじゃない

 バカ女の彼氏のバカな仲間か?・・・何処まで連鎖するんだこのバカの鎖は

 彼氏に殴られる、その後は私は・・・?

 「そのあと」確かに男の一人は言った、最悪の想像が浮かぶ

 そうこうするうちにミカの彼氏は私の襟首を掴む

「・・・・やめ・・・て・・・」

 ようやく出たのは誰にも聞こえない蚊の泣くような声

 男は握り拳を固める、残りの4人は相変わらずニヤニヤした表情をしてその後を待ち構えている

 叫ばないと、出来る限りの、声をあげて、誰が聞いてくれる人は?、でも、とにかく叫ばないと

 気がついても、とめてくれるかな?、わからない、でも早く叫ばないと!

「やめろッ!!」

 橋の壁に声が反響し、固めた男の拳が緩くなる

 私の声じゃない、誰?

「何だお前?」

 影が近づく、身長は180近い男・・・

「女の人に手をあげるっていうのは、趣味なのか?
 じゃないととても理解できないな、趣味でも理解できないけどな。」

 影がゆっくり近づきながら喋る

 細めの体格にメガネで悪い目つき・・・アイツは朝に会った・・・・「1年」

「なんだテメェ?」

「彼女の彼氏。」

 ・・・何をこの状況で言うんだアイツは

 変な「1年」は5人が呆気に取られている間に私に近づいた

「月島先輩、さっさと逃げてください、ここは何とかします。」

 と、小さな声で話しかけた

 助けに来た・・・と言うことだろうか?

 だがコイツは見知らぬ1年坊主、それにどう見たって細くてひ弱そうだ

 空手やってる山吹ならともかく、自分だけ逃げて任せられるわけがない

「お前・・・半殺しにされるぞ・・・。」

「大丈夫です、腕に覚えはあるので。」

「オイお前!なに無視してんだよ!!?」

 無視されているミカの彼氏が叫ぶ

 あまりに冷静に言うその説得力に期待して私は走って逃げて

 橋を支える柱部分に隠れた。

 細身の「1年」は空手か何かやっているのか、それとも武器か・・・?

「まぁいいわ、彼氏っていうんならお前が責任取れやッ!!」

 ミカの彼氏は始めは慎重に距離を置いていた

 5人の前に堂々と身を置く「1年」に警戒心があったのだろう

 結構長い時間、にらみ合いをしていた

 ミカの彼氏は意を決して殴りかかってきた、・・・・そしてそのままヒットした

 「1年」は地面に倒れこんだ

「腕に覚えって嘘だったのか・・・・・・。」

 このままでは5人にリンチされてどうなるかわからない

 嘘までついてあんな事をするなんて・・・愚かだ

 優しいなんて思うと思っていたのか?こいつも同情って奴のクチか

 私の代わりになって気を引こうっていうのか?

 本当に大きなお世話だ・・・私はそういう男が一番嫌いなんだ

 偽善者め、助けた事を感謝しないぞ私は・・・・!



 倒れた1年を4人が囲む

 ミカの彼氏は私の前に立っている

 こんな1年の男のために結局私は姿を出してしまった

「彼氏が殴られたのがそんなにショックだったのかァ〜?」

 ふざけるな、誰が彼氏だ、ただこれは私の問題だって事だけだ・・・

「なぁ〜?どうする?」「彼氏の前でカノジョイジめてやったら面白そうだな〜」

 さっき1年の男に一番嫌いと思ったが前言撤回、二番目かもしれない。

 私は冷静で・・・冷静と言うよりはどこか自暴自棄の形になっていた。

 1年が殴られたのは私のせい、そもそもこの問題は昼にあの女を殴らなきゃ何も起こらなかった。

 他人に累を及ぼすのは好きじゃない。

 そんな自戒の念がこの場で「開き直り」という行動を取らせている

 痛みが襲ってくる前はこうやって開き直ればいい

 限りなく自分を俯瞰で眺めて、自分の体と私を切り離す

 自分を「もの」にすればどう扱われても大丈夫、「私」は痛くない

 ものが壊れてもそんなに、痛くない。

 そう、今日の昼の事に比べたらこんな事、なんでもない些細な事だ・・・。

 男が囲む、手が伸びて、「自分」の体の襟首を掴む

 掴んだ腕が力に任せてシャツを引っ張り、ボタンを引きちぎる

 シャツがはだけて素肌が露になる

 「1年」は何を思っているのか意識はあるが静かにしている

 普通一番憤る所じゃないかと思うが・・・しょせん他人事か、偽善者だしな

 1回殴られただけだが、相当効いたのか戦意はもうないように見える

 その方がありがたいけれど。

 「自分」を囲む男たちが欲望にまみれたおぞましい手をこちらに伸ばす

 その手がブラジャーに触れた所で、不思議な事に手が止まった。

 男たちを見ると、表情は膠着し

 その視線が自分以外の方へ向いている

 いつの間にか後ろからライトが照らしている――

「3分で来ると思ったけど・・・4分と47秒、意外と遅いな国家権力は・・・。」

 「1年」が口を開いた、国家権力・・・そう警察がパトカーのライトでこちらを照らしていた

 私を囲んでいた男たちが一斉に逃げる、警察は3人ほどだったが、二人は男達を追って

 一人は私のところに歩んできた、1年のアイツもいつの間にか立ち上がって私の近くにいた。

「大丈夫か、君達っ?」

「・・・・・。」

 大丈夫とは私か、私の体の事か、答えに行き詰った。

「大丈夫じゃないですよ・・・俺の怪我はともかく。」

 代わりに「1年」が答えた、演技しているのかさっきより少し気弱そうな声で言う

 遠くで、5人の男のうち一人が捕まったような、そんな声がする。

「これで芋づる式に捕まるな・・・やれやれ、じゃないと殴られた意味がない。」

「怖かったろうけど・・・話はできるかい?」

 警察官の問いに「1年」は素直に頷き答えた、そのあとの1年の口ぶりは

 できるだけあの5人に悪印象を持たせ、且つこちらの正当性を主張する

 15か6歳の人間とはとても思えない、初めから用意されたような証言をした―――



 ―――事情聴取が終わったのはそれから1時間後、すっかり空は一面夜の顔を見せている。

 1時間で終わったのは、さすがに彼女が精神的に疲れているから、と早めに話を切ったからだ。

 「1年」の名前は「紫原 一真(しはら かずま)」と言うらしい。

 二人一緒に交番を出る、私は1時間の間に適当ながらシャツのボタンを付け直していた

 駅までの道を二人歩く

「警察にあらかじめ電話していたのか?」

 私は紫原に聞いた

「あいつ等、どう見ても二十歳以上でしょ、捕まってもらった方が痛い目に会うなって。
 自分としてはあいつらに感謝してる位だけどねぇ。」

 紫原は5人の男を見下すようにそういった

「そうだ・・・先輩、ハンカチを今日の朝落としてたんで、渡しときます。」

 紫原はカバンから丁寧にハンカチを取り出して私に渡す、だったら言えよ、朝に、口で

 ハンカチを手に取る、その手にさらに何かスプレーの缶を乗せて渡された。

「・・・なんだこれは。」

「催涙スプレー、これからああいう奴に襲われたらさっさと使ってください。」

 こんな危ないものを人に渡すか・・・?

「お前、これ持っていたんなら使えよ・・・。」

「これ使って逃がすより、警察に捕まった方がいいと思ったからそうしたんですよ。」

 偽善者と思えば、なかなかの悪党のようだ・・・

 相手に最もダメージを与えて、自分が得する方法を考えていたようだ

 それに警察はともかくこいつの登場もタイミングが良すぎる

 コイツで間違いない、マリアが言ってた「ストーカー」ってのは。

 助けられたものの礼を言いたくないのはその為だ。

 例えば強盗と殺人鬼がお互いに家に侵入してきて、

 強盗が殺人鬼を上手く騙して逮捕させた、

 その時強盗に感謝するべきかどうか、するわけない、こいつもあの男たちも五十歩百歩だ。

 もらった催涙スプレーは、今すぐ紫原自身に使用されるかもしれないのに

 コイツときたら、まるで無防備に私の前を歩いている。

(使うか・・・?コイツだってストーカーだ、人通りが少なくなったら何をされるか・・・。)

「月島先輩、そのスプレー使うときは自分や友達にかからないようにしてください
 玉ねぎで目がしみるってレベルじゃありませんから。」

 心を読んだかのようなタイミングで、紫原が話しかける。

「・・・これは例えばストーカーとかに使えばいいのか?」

 終始ペースを握られている、打開する為に思い切って質問した

 紫原は細い目を少し丸くさせた。

 人がまだ周りにいるうちにコイツとは決着をつけたほうがいい

 コイツが本当にストーカーなら今の質問に多少焦ったり、否定する事を言うはずだ

「そう、ストーカーにです、先輩は目立ちますから。」

 意外、完全に肯定した・・・、この場合はどっちになるんだ?

 まさか自分に使って欲しいと言うわけでは無いよな。

「お前・・・なんなんだ?」

「先輩が思っている通りでいいですよ
 それより、何で男に襲われそうだったのに叫ばなかったんですか?
 それがあれば警察の奴にも襲われてるって言う説得力を持たせられたのに。」

「お前後輩だろうが・・・質問を質問で返すな、お前が答えろよ・・・。」

「じゃあ、先輩を助けようとしただけの清い後輩です、ってのはダメ?」

 真面目にこたえる気は更々ないようだこの男は・・・。

 異質な違和感を覚えた私は「逃げ」の一手を打つことにした、幸い交番から駅まではかなり近い

 走って駅のホームまで駆け抜けた

 改札を通過して一息つく

「何で急に走るんですか先輩・・・。」

「ひっ!?」

 私は腰を抜かしそうになった、撒いたと思った紫原がすぐ隣にいる

 紫原はよろめいた私を庇うように腕を私の背に回す

 私はその腕に触れないように、足に力を入れて、何とか持ちこたえた

「なんで・・・・」

 何で改札も抜けてくるんだ・・・?

「俺も・・・・ホラ、定期券。」

 コイツも私と同じ町を往復していた、簡単な答えだった。

「ま、大体同じ通り道なんですよ、まさかストーカーだと思ってました?」

 どう見たってそう見えるんだよ・・・どれだけ私の寿命を縮める気だ

 ・・・いやこの男の事を信用してはいけない、

 こう言って安心させる作戦かもしれない、コイツは警察だって利用する。

 交番での気弱で真面目な生徒を装った証言、天性の嘘つき

 明日も登校中会ってしまう想像をする・・・5人組の男共より身近で怖い。

 明日にはいなくなっていればいいのに・・・わたしは目を背けた


 そもそも朝にコイツと会ってから、ロクでもない1日だった

 茜にはそっぽ向かれるし、女どもからは因縁つけられて

 男には襲われる・・・何処を切り取っても最悪の日だ。

 ため息をいくら吐き出しても足りやしない。

 何でこんな人間ばかりなんだ・・・・これは誰のせいなのか?

 私のせいなのか・・・・?