「待って・・・・!、月島彩っ・・・!!」

 茜が声を上げる

 走って彩に向ってくるのに気づいていないのか

 気づいていたとしても感じるものは無いのか

 彩は何事もないようにフラフラと歩く

「月島彩・・・待って。」

 彩の前に出て無理矢理足を止める

「見てた・・・。」

 彩は一番見られたくない相手に

 見せたくないところを見られたそのショックで

 何処に目を向けていいかわからず視線が彷徨う

 地面も空も重力もあまり感じない、何処も真っ白で

 フワフワ・・・フワフワと宙に浮いたような

 世界から見放された感覚を受けていた。

「サヤッ!!。」

 茜は肩を激しく揺さぶった。

 このとき彩は心神喪失の寸前で

 ほとんど反応を見せていない

 茜はあの時やはり、彩は自分を殺そうとしたのではなく

 殺されようとしていたのだと理解した

 業を煮やした茜は傘をたたんだ

 荷物とカバンと傘を片手で持つにはきつい、取捨選択の結果

 傘を捨てる、と言う行動に出た

 空いた腕は彩の腕を掴んで引っ張る

「こっち来て!」

 抵抗もなく成すがままに引っ張られる。

 茜は悔しかった、今までこんな奴に良いように振り回されていた事に

 さっきの彩の姉にも、自分にも。

 一度でも理由をハッキリさせておきたかった

「何処に・・・。」

 彩の口が僅かに動く

「私の家っ!」

 茜は対照的に強くそう言った。

 雨は地面を強く叩いて、視界は一面灰色

 その色に溶ける様に彩がいる

 手を離せば本当に消えてしまうような気さえした。

「痛い・・・。」

 強く握っていたのか、彩は言葉を漏らす。

「我慢して。」

 茜はなおも強く腕を引っ張った





「ただいま〜・・・。」

 家に帰った茜はそう言ったが

 両親は共働きで18時頃までは誰も帰ってこない

「まずは・・・。」

 彩の方を見る、玄関に上がらせるのを躊躇ってしまう程汚れている

 それより玄関に立っていると薄暗い中に白く鈍く光っているように見えて

 思わず冷たい汗が流れるほど不気味であった。

 タオルを渡し彩の顔を拭く

 相変わらず自分からは動く気配すら見せない。

 親が帰ってくるまでに部屋に上げないと。

 あまりに怪しくて問い詰められると茜は思った

「お風呂入って、シャワーだけど、服は用意するから。」

「いい・・・。」

「ダメ。」

 彩の拒否はさらに強い拒否で返された。

「・・・・・・。」

 無理矢理お風呂場に連れて行く

 玄関から風呂場までの道筋に足跡が残される

 ゆるり・・・と風呂場に吸い込まれていく彩に向かって

 茜は念押しに

「人の家で死なないでよね。」

 と言って戸を閉めた。



 戸を閉めたものの、茜はその扉の前に立っていた

 人生投げきったあの表情、とても一人にしておける状態ではなかった

 無論、茜は優しさや同情でそんな事はしていないと、少なくとも本人は思っている

 今もやはりどこかで「死んでしまえばいい」と言う気持ちは確固として存在し揺らいではいない。

 する事もないので風呂の扉の前でカバンを開けて中身を確かめる

 丁寧にビニールで中身が濡れないようにしていたが

 隙間から雨水が浸入して、教科書が2冊ほど角が濡れていた

 そういえば傘も捨ててしまった、他には何か忘れた事はないか考える。

「あ、電話しなきゃ。」

 茜の友達に携帯で電話をかけた

 今日は無理だと伝えると、茜の友達はそうなる事がわかっていたのか

 茜の事を心配して2,3言、言葉を交わした

 電話を切って、改めて周囲に耳を向けると

 シャワーの音が聞こえてくる、一応死ぬ気はないらしい。

「本当に死ぬんじゃないかと思った・・・。」

 茜はぽつりと二言呟いた、そして二言めを呟いた後、自分に驚いた

「よかった。」

 茜の中では考えられない発言だった―――。

「今の「よかった」は、私の家に迷惑かからないでよかったの略よ・・・。」

 自己弁護が10分程、エンドレスで続いた。

 しばらくすると彩が出てくる

 彩は茜のパジャマを着ている

 袖は長く、アザを隠すようになっている。

「服借りたけど、どうするんだ・・・・。」

 どうするもこうするも、泊まる以外でいい考えはなかった

 姉にあそこまで言われれば帰る気などないだろう。

 そもそもこんなに生気がないと帰れるかも心配になる。

 家から追い出して、しかも茜自身の服を着て次の日ニュースになると困る

 ニュースになった時は、事件性があると見て調べられるかも知れない

 そうなった時の面倒は計り知れない

 茜は最も嫌いだった奴を泊めることになってしまった事を嘆いた

「そこの客室に座ってて、お茶とインスタントコーヒーなら用意してる、お湯はそこね。」

 手際よく準備していた。

 言われるままにヨタヨタ歩く彩。

 なにしても不気味な印象しか与えないのに不安を感じつつ

 茜は入れ替わるように風呂場に入った。

「・・・・。」

 彩は猫背で客室に座って、周りの様子を眺めた

 外は雨と夕方を過ぎて暗く、蛍光灯の光がその部屋を照らしている

 神棚には壷に生けた花、それと打ち出の小槌を模した飾りが置いてあり

 襖(ふすま)は松竹梅の柄で6畳の部屋二つを仕切っている。

「そういえば朝から何も口に入れてないや・・・・・。」

 しばらくしてお茶を入れた、雨とシャワーの音が混ざって聞こえる

 茜が出てくるまでの時間は30分程だったが、

 何故だか物凄く長い時間待っていたように感じられた



 茜は風呂から上がると、牛乳を一杯飲んで落ち着いてから

 彩を部屋に連れて行こうとした時。

「ただいま〜・・・あら茜、お友達?」

 茜の母が帰ってきた、茜がそのまま年をとった姿で

 茜の母は「お友達」の姿を見て一様に驚いている

 赤白い髪は不良か何かと考えてしまうのが普通で

 その手の人種と最も縁が遠いのが茜である。

 当の茜は「お友達」にひどく反感を持って答えた

「む、べ、別にそういうんじゃないけど、事情があって1日泊めることにしたの。」

 茜の母は温和な顔で

「わかった〜・・・・あなたお名前は?」

 彩は話しかけられて僅かに動揺しながら答えた

「あ・・・・月島・・・彩・・・。」

 茜の母は彩の顔をみてまじまじと観察しながら興味ありげな顔で聞く

「彩さん、あなた・・・目が赤いのね〜。」

「あ・・・はぁ・・・生まれつき色素が薄いから・・・。」

 茜は自分の事を喋っている彩を始めてみた

 今まで最低人間と言ってはきたものの

 さて、どの程度知っているかと言えば

 それが氷山の一角に表現される極一部

 そもそも、昨日まで名前と「色が白くて暴力的」以外の事を知っていただろうか。

 色素が薄いと聞いて茜はようやく彩の睫毛や目の色を確認し

 カラーコンタクトや脱色でないのを知った

 昔遊んだ覚えのある、リカちゃんとかバービー人形

 その等身大サイズを髣髴とさせた。

「・・・外国人?」

 茜は母親に続けて部屋の前で質問をした

 彩は茜の方を見て訝しむ顔を一瞬見せたが

「違う。」

 といって一言で否定した

 明らかに友達の雰囲気ではないが、茜の母は気にせず

「お菓子とか持ってくるから、部屋にはいってなさい。」

 そういって台所に向った

「・・・部屋こっち。」

 茜は彩の腕を引っ張って部屋に入れた



 茜の部屋は1階(そもそも2階は無い。)家の最奥の6畳の部屋で

 入り口には大きい本棚。壁にベッド、タンス、男子アイドルのポスター

 小物入れの3段カラーボックス、その上にはMDデッキ。

 窓際に机とノートパソコン・・・床に小さいガラス板のテーブルがあって上に謎の小物がある

 モノは白か薄いピンクもしくは赤で統一され

 どれも綺麗に整頓されている、その性格を物語っているようだった。

「なぁ・・・これなんだ?」

 ガラステーブルに置かれている小物には熱された跡の何かがある

 草のようなものだがタバコやクスリのわけはない。

「アロマセラピー・・・ちょっと前流行らなかったっけ?」

 流行りも何もテレビも友人もいない彩の情報源は本とラジオ位しかない

 知らない方が自然だった

 彩はその焼けた物体の臭いを慎重にかぐ

 タバコだった場合、喘息持ちの彩にとってはかなり深刻な問題になるからだ

「お茶・・・?、タバコかと思った」

「なわけないでしょ、・・・まさかタバコ吸うの?」

 彩は首を僅かに横に振る

 茜は机の椅子に座って、低い窓から景色を見た

 一階だけに窓の外の視界はほとんど自宅の垣根と家々で占められている

 家と家の隙間を縫う様に遠景が見える、その遠景も雨で白としか移らない

 今部屋にいるただでさえ話をしない彩に事情を聞くのは

 上手い具合に心の壁の隙間を突くしかないが

 茜にそんな方法が見出せるわけもなく、沈黙が部屋を包んでいた

 茜はぽつんと座る彩に目を移した。

 この状態では暴力を篩うようにも見えない

 篩ったとしても、助けてくれる親もいる。

 さらに昨日までは反抗しても反感を買って復讐されるのを恐れたが

 今では「退学」と言うカードを持っている

 この絶対的優位の状況で事情を聞かずにいつ聞くのか

 自分に暗示でも掛けるように、心の中で反復した

「彩・・・、・・・なんで私にあんなに意地悪してたの?」

 彩はうつむき、答えるのを躊躇っていた。

 自分の負の部分を見るのは堪える

 唇だけが僅かに動いていたが声は出なかった

「あなたの事死ぬほど嫌いだけど、ごめんなさいの一つもないまま逃げるなんて
 卑怯な事、私は許さないんだから・・・・!」

 彩はしばらく動きを止め、深呼吸をする。

「嫉妬だよ・・・勉強の。」

 とだけ言う。

「私に対する嫉妬って・・・それ・・・だけ?」

 茜は怒りで打ち震えている。

「それだけだよ・・・。」

 瞬間、平手打ちが飛んできた

「最低・・・・そんな理由で・・・!」

 茜は戦慄き(わななき)、泣いていた

 彩は泣く事も許されていなかった

  「最低人間なんてわかってるよ・・・。」

 また部屋を沈黙が支配した。



 耐えがたい沈黙の中、誰かの足音が聞こえる。

 それは部屋の前で止まり、ドアが開く

「あら〜、妙に静かねぇ、二人とも。」

 茜の母が空気を入れ替えるようにドアを開け、お菓子とジュースを持ってくる

 茜は涙をそそくさと拭き

 彩も打たれた頬を見せないように顔を動かす

「や、なんでもないよ、お母さん。」

 急かすように、菓子とジュースの乗ったお盆を取り上げ、部屋から追い出そうとしている

 もしかして気がついているんじゃないかと彩は思ったが

 聞くことも出来ないので茜の母親が出て行くまでじっとしていた。

「ふう・・・・タイミング悪いんだから・・・。」

 ふてくされた表情で茜が机に戻る

「仲よさそうだな・・・・。」

 彩から質問が飛んできた

「ん、多分ね、他の家族の事は知らないけど。」

「お父さんの方とは・・・・・?。」

「普通・・・?、多分。そっちはどうなの、質問ばっかり。」

 それを言うと彩は目を閉じ、手を組んで愁いの顔を見せた

「父さんは・・・亡くなったよ、中学3年の時に。」

 聞いてはいけないことを聞いてしまったと茜は悟った

 思春期の時期に肉親をなくしたと言うのは何かしら影響があるんだろう

 しかし聞いてしまった以上、何らかのフォローをしようと試みた。

「あ・・・その・・・お父さんって、いい人・・・だったんだね?」

 そのフォローは火に油、ならぬ、南極でかき氷を食べるような行為だった

「最低な奴だったよ・・・・。」

 無表情には、笑いと怒りと悲しみが滅茶苦茶に混ざっていた。



 ―――彩の父親は飲食店系列の社長で、一代でその地位についたからかは知らないが

 極端な実力至上主義、母親の社会体を重視する考えと合わさって

 それをとめる権限は誰にもなかった

 それでもまだ、兄と姉は良かった、なにか一つの分野でトップ付近にいるという

 父と母にしては最高の子であり

 二人はそれを溺愛し、惜しみない助力を与えた。

 対して彩は、体が弱くて運動は出来なかった為、自然と学問に目がいく

 そしてそれも能力がないと見るや、父親は彩に対し冷たくあしらった

 当時思春期の彩にとって、それは最初からあった人間不信に完全に陥るのに十分であり

 同時にその愛情を取り戻す為に勉強というコンプレックスに捕らわれた。

 そして中学3年、教科書を開くだけでも吐き気がする程の焦燥感を覚える頃

 父は肝硬変で倒れた

 それを聞きつけた彩は病院に最初に駆けつけた。

「あ、お父さん・・・誰も・・・いないの。」

「なんだ・・・彩、お前か・・・・。」

 まるで自分だったのが残念だったように言った。

「この前テストがあっただろう?・・・順位は。」

 彩は気を引きたい一心で言った

「一位・・・じゃなかったけど、1桁、5位だった。」

 実際は下から数えた方が早いくらいだった。

「そうか・・・やれば出来るじゃないか。」

 全身が剣山で刺されたように痛い。

「う・・・うん、今回は頑張ったから・・・。」

 もしかしたらもうバレているかも知れない。

「・・・お前は腐っても俺の子だしな・・・・頑張れよ。」

 ・・・・・・・・。

 その数日後感染症を引き起こし、父は逝った。

 彩はその嘘を引きずったまま、今に至る・・・・。



 夜、外は小雨に変わって、心地よい音が聞こえてくる

 食事は茜の部屋でとった

 相変わらずお互い何も喋らない

 既に22時を回ろうとしている

 話の種を探そうとしている茜に声が聞こえた

 沈黙を破ったのは彩の方だった

「音楽・・・・ないの?」

「え、ああ・・・そのデッキの下の棚に入ってる、なに聞く?」

 彩はその棚を覗き込み、タイトルを探している

 とりあえずアイドルに興味は無いのか、それを除いて選択している

 さすが茜と言うべきか

 アーティストをあいうえお順に並べている。

 「わ」の次は好きな曲を適当に入れたものだろう

 彩は、適当に選んだ

「これ。」

「ミスチル・・・好きなの?」

「聞かないと誰かわからない。」

 ミニディスクの裏表を見つめて、茜に手渡した

「歌詞はその下の棚に入ってるよ。」

 はいこれ、と沢山の歌詞カード(カードと言うより本)の中から

 迷わず取り出した。

 デッキはディスクを機械音とともに飲み込んで、スピーカーから音楽を吐き出す

 ボリュームは控えめの歌が流れる

「ああ・・・この歌手か・・・店でよく聞く。」

「で、好きなの?」

 茜は机の椅子を回転させて彩の方を向き再度聞いた。

「歌詞が聞き取りにくくて嫌いだった。」

 茜は少しムッとして机に向う。

 彩は歌詞を見ながらつぶやく

「たった今からそんなに嫌いじゃなくなったけど・・・・。」

 茜はまた彩の方を向いた。

「こうやって歌詞みたいに人の心が読めれば、楽なんだけどな・・・。」

「彩・・・・・・?」

 彩の顔が何かを思い出したかのように急に変わる、

 ため息が幾度となく漏れる

「あんな嫌いな奴の「頑張れ」なんて無視してしまえばいいのに・・・。」

 彩は体を震わせている、息も荒い

 茜は心配になって傍に駆け寄った

「勉強なんてなくたって、他はいくらでもあるんだ・・・。」

「出来ないの?・・・・なんで?」

 茜は彩の背中に手を置いた

「怖い・・・・・・。」

 小学生の頃の徒競走のように、中学の時の勉強のように

 自分のやったことが悉く潰されるのではないかと言う恐怖感が根底にあった

 隠しているんじゃないか、嘘をついているのでは、

 出来なかったら親にされたように見離されるのではないかと言う恐怖感

 僅かなアイデンティティを保つ為に暴力を振るいだしたのも

 結局の原因はそれであった

「彩・・・必要なら私が勉強教えるから・・・。」

「渡辺・・・・無理だよ・・・。」

 彩は首を振る、茜は顔を思い切り近づけて凄む

「あなたのお姉さんとかお母さんを見返さないと・・・・!」 

「無理だ・・・それに別に私は勝ちたいわけじゃ・・・。」

「私が勝たせたいって言ってんのよ!!」

 茜はガラステーブルを強く叩き立ち上がりながら言った

 彩はきょとんとした顔をして、目を白黒させている

 すぐに自分でやったはずの茜も同じ顔をした

 自分でも今のセリフを何故言ったか

 よくわかっていなかった様だ

「殺したいくらい嫌いなんじゃないのかよ・・・・。」

 自分に協力的な茜を不思議がる

 今までの事を考えるとそれが自然な質問だった

「死ぬより生きるのが嫌って言うなら、生きてもらうから。」

 茜は腕を組んで、フン、と顎をしゃくった

「ひどいな・・・・それは・・・。」

 彩は手で顔をくしゃっと歪めながら苦笑して言った。

「当たり前よ・・・・今まで何したと思ってるの・・・!?。」

「そうだよな・・・・・ごめん。」

 うつむいたままの彩は確かにそう言った

「ゴメン・・・・。」

「あ・・・その・・・。」

 茜はようやく聞けたその一言を信じられないまま困惑していた

 彩は頭を抱えて、何かを吐き出すように喋る

「・・・・許してなんて言わない・・・だけど・・・なんていうか・・・その・・・。」

 彩は目に涙を溜めている

「ゴメン・・・ごめん・・・なさい・・・。」

 彩はうつむいたまま、ゴメンを何度も繰り返した

 茜やマリア、クラスの生徒や、家族全員に言うように。

 自分を偽り続けて意固地になっていた事を。

「彩・・・・もう、いいよ。」

「ゴメン、茜・・・・・えぅっ・・・。」

「いいから・・・もう寝よう?」

「ひぐっ・・・・えっ・・・」

 自分がすがっていたものを全て無に帰した彩は

 子供のように泣きながら謝っていた

 茜はもらい泣きしないように顔に気を集中させてベッドに寝かせる

 布団をかけても顔を手で覆って泣いている。

「彩・・・。」

「・・・ごめんなさい・・・・ぐすっ・・・。」

「うん、わかった。」

「ごめんなさい・・・・・。」

「うん。」

 ベッドに入っても謝り続ける彩。

 茜は隣でそれを受け止めていた

 いつまでも続くかと思われた「ごめんなさい」は

 いつの間にか音を下げ、寝息へと変わった

 1日の心身の疲れが一気に出たのだろう。

 そういう茜もまた今日1日の疲れで、瞼が重力に負け始めていた

 結局わかったことと言えば

 父親が亡くなった事と勉強へのコンプレックス位だったが

 いまいちそこに繋がりが見えず、彩もそれを言わないので

 茜にしてみれば、何も言われなかったのと大して変わっていない

 しかし、もう彩をそれ以上知ろうとは思っていなかった

 それはもう過ぎた事だという

 奇妙な開放感がそこにあった。

「自分ってこんなにサバサバしてたっけ・・・信じられない。」

 茜は大きなあくびをすると、不意に頭ががくっと下がった

 部屋の隅にあらかじめ準備しておいた床に敷く布団が畳んで置いてあるが

 あまりに眠くてそれすらも面倒になっていた。

 ―――となると方法は一つ。

 1つのベッドに二人は狭いがそこに入ることにした。

 布団の中で小さく丸まっている彩の隣に寝転ぶ

「ありえない状況・・・。」

 昼までの事を思い返しながら、とりあえず形だけの恨みを返そうと

 頬をつねってみる、彩の寝顔が歪んで眉間にしわが寄った

 それに満足したのか茜は布団を被り瞼を閉じる。

「おやすみ――――。」













「おはよう。」

 土曜日の朝――――

「二人とも、仲いいのね。」

 茜の母親が起こしに来た。

 彩は重い瞼をゆっくり開ける

 視界に映る異変に気がついた、目の前に茜が同じように眠そうな顔で目を開けている

 なんでここに茜が――――!?

 お互いに目を見開く。

「何で一緒に寝てんだよ!?」「何で一緒に寝ちゃったの!?」

 彩は慌てて距離を置いた・・・がそこはベッドの上。

 勢いがあまってベッドから落ちた。

 痛みと恥ずかしさと驚きで急激に目が覚める

 窓から差す光が眩しい、今日は雲が多いものの晴れ。

 景色の違いにようやく気がついた

「そ、そっか・・・・ここ渡辺ん家・・・。」

 天地がひっくり返ったまま、彩はつぶやいた。

「あー・・・8時ちょうどだ、10時間も寝てたんだ・・・。」

 茜は携帯と掛け時計を見る

 時間が狂っていないか確認しているのだろう。

 10時間寝るのは珍しいらしい。

 彩は休日だと12時間は寝る為、むしろ足りないくらいだった。

「朝ごはん作ったから、早く来なさい。」

 茜の母はそういうと部屋から出て行った

「だってさ・・・またここで食べる気?。」

 ひっくり返ったままの彩に確認する

 茜自身としては部屋が汚れるので避けて欲しい

 声にもそのような不快感が現れていた。

 彩はまだ動かない

「・・・・いつまでひっくり返ってるの・・・。」

 彩は首だけ動かすと、助けを求めるように

「体が痛くて動けない・・・・・・ちょっと待て。」

 一生懸命気合を入れてゆっくり座り

 さらに気合を入れて立ち上がった

 昨日のアザが原因だろう

「あ、歩ける?」

 茜は心配そうに尋ねた

 ちなみにこの場合の心配事は、彩の体のことではなく

 「今日彩が家に帰れるかどうか」が気になるという意味での

 極めて個人的な心配事であった

 その場合パジャマに加えて私服や歯ブラシなども用意しないといけない

 そう考えていた。

「あ・・・歩けるつーの・・・・・。」

 精一杯強がりを見せて、ロボットのようにぎこちない動きで

 時間をかけて茶の間に向った

 それを見る茜の心配はなお一層強くなっていった

 痛みを我慢しながらようやく食卓の椅子に座る彩

「おお・・・。」

 彩は思わず感慨にふける。

 ご飯、大根の葉と油揚げの味噌汁、鯖の塩焼き、大根おろし、ほうれん草のお浸し

 朝食としては完璧と言えるメニューが並んでいたからだ

「お、君が月島彩さんか、お人形さんみたいだねぇ。」

 茜の父が先に朝ごはんを腹にかき込んでいた

 出社前で急いでいるのだろう。

 いかにも温和な顔で、彩のイメージする父親像とはかけ離れていた

「はぁ・・・。」

 言いたい事はあっても

 何を言えばわからないのでとりあえず空返事

 彩の返事は大抵こんなところである

 代わりに母親が応対する

「本当にねぇ〜、かわいい洋服とか似合うんじゃないかしら
 学校でモテるでしょ〜?。」

 茜と彩は顔を見合わせて苦笑した

 モテるどころか少なくとも同学年の中では最も嫌われている

 茜の母は二人の反応に不思議そうな顔をした。



「んじゃあ、いただきます。」

 茜が食べ始めると、彩も軽くお辞儀をして箸を取った

「この味噌汁うまいな・・・。」

 彩は大根葉と油揚げの味噌汁をまじまじと見ている

「そう・・・?。」

 茜にはごく普通(親の見栄によりやや豪華)な朝食にしか見えない。

 ともかく、おいしそうに彩は朝食をとっているように見えた

 無表情なのは変わらないが。

 食事を少量ずつ、口に運ぶ姿は

 普段の乱暴な姿とは遠く離れていた

「茜・・・その鯖、美味しい所が残ってる、首?の付け根の肉。」

 でもなんかちょっと細かいとこにうるさい。

「ごちそうさま〜。」

「ごちそうさま・・・・。」

「いってきまーす。」

「いってらっしゃーい。」

 二人のごちそうさまとほぼ同時に

 茜父のいってきますが聞こえた

 茜は玄関からもういなくなった父親に声をかける

「いってらっしゃ〜い・・・と今言っても聞こえないか。」

 茜は彩の茶碗も一緒に重ねて台所に持っていく。

「それにしても・・・。」

 茜の母はそんな二人の様子を見て話しかける

「何があったか知らないけど、ケンカ直りしたのね。」

 まさかと言うかやっぱりと言うべきか

 茜の母は二人が険悪な仲であるのはわかっていた

「あ、お母さん、別に仲良くはないんだってば・・・!」

 気持ちは悲しいくらいにわかるが

 ここまで強く否定されると肩身が狭い

 彩は肩を竦めた。

 茜の母は彩を見て反論に対する「仲良くなった」と言う状況証拠を挙げる

「だって一緒に寝てたじゃない、手までつないで。」

 ばん!と机を叩いて彩が立ち上がる

「おまっ・・・・何やってんだよ!?」

 攻撃のベクトルは茜に向った。

「寝てる時に何してるのかなんてわかるわけ無いでしょ!?」

 二人の下らない言い争いを茜母は微笑ましそうに眺めていた



 部屋に戻った二人は、互いにため息をつく

「はぁ・・・それで、今日帰るの?」

 彩は裾を上げて、アザや傷の様子を見た。

「車で駅まで送ってもらえるなら・・・・。」

 茜の家から駅までは20〜30分の距離

 食卓に上がるまですら時間のかかった彩だと

 その倍はかかる。

 自分でも無理だと悟ったらしい

「親が仕事から帰って来た後になるけど・・・?」

「わかった・・・それでいいよ・・・。」

 彩は心底帰るのが嫌だったが

 会わないわけにはいかない、謝りたい事も山ほどある。

 複雑な心境だった。

 程なくして母親もパートで家を出

 二人静かに家で本棚の本を読み漁りながら時間を食いつぶしていると

 けたたましく携帯が鳴り響いた

「誰だろ・・・?」

 茜の知らない電話番号、とるかとらないかで悩む

 茜は非通知や他県の電話番号はほぼ100%とらない

 とらない事にしようと、放って置く

 そして1分後・・・・・・・・。

「うるさい・・・・早く取るかきってくれ・・・。」

 堪らず彩が愚痴りだす、未だに発信音が鳴り響いている

 茜はしぶしぶ電話をとった

「もしもし?渡辺ですけど・・・。」

[もしもし渡辺?私黒沢だけど。]

 意外な人からの電話、大体何処から電話番号を入手してきたのか

「黒沢さん、なんの用?。」

[あのさぁ・・・月島の事で話があるんだ
 何か電話じゃいい辛いな・・・できれば会えない?、マリアもいるんだ。]

「私は構わないですけど・・・。」

 茜は彩の方を見る、今彩は外出できそうもない

 かといって一人置いて行けるほど信用もしていない

「できれば私の家に来れる・・・かな?」

[ん、いいよ、渡辺の家って何処だ?]

 茜は空に地図を書いた

「ええと・・・大山酒屋って知ってる?」

[ハゲたマッチョなオジサンがやってるとこだっけ?]

 黒沢は顔が広いだけあって結構この町の事を知っている

「そうそう、木彫りの看板の店、そこを通ったら坂があるから
 坂を下って左に曲がって・・・・あとは私が家の前の道路で待ってるからわかると思う
 どれくらいで来るの?」

[10分かからないかな。]

 黒沢とマリアは集合場所だった学校でスタンバイしていた。

 既に携帯から風の音が聞こえる

 自転車で移動しながら電話をかけているようだ

「はやっ・・・!
 わ、わかった、準備しておく。」

 携帯をきると彩が話しかけてきた

「黒沢・・・・?なんで・・・・・?」

 それは茜の方も聞きたい疑問である

「蒼野さんもいるんだって。」

 茜にはわからないがマリアと黒沢は仲違いしているのを彩は知っている

 黒沢自身の殴りたい発言も聞いている、一緒にいるわけがない

 ありえない、奇跡か世界崩壊でもない限りありえないと

 茜と自分の事は完全に無視して考えた

 考えても頭の中の「?」は益々増えていくばかり

「後10分しないうちに来るから着替えた方がいいよ・・・。」

「10分・・・?
 私の着替えって・・・制服は?あと下着も。」

「まだ干してない、しょうがないから何か貸したげる。」

 ちょっと嫌そうに茜は言った。

 茜の服を受け取る彩はますます肩身が狭くなって、縮こまっていた。

 茜はそそくさと着替える

 玄関に向いつつシャツのボタンをかけていく

 と同時にインターホンが鳴った、まだ電話からせいぜい6,7分

 運動神経が平均より明らかに高い黒沢とマリアの自転車の速度たるや

 狭い路地なら車より早く到着するというレベル

 それに加え、一刻も早く話をつけたいという気の逸りもあった

 ともかく、予想より大分早く渡辺家に到着した次第である

 玄関のドアを開け、茜が応対する。

 黒沢がドアの前にいた

「早かったね・・・・本当に。」

「ああごめん、早く話がしたくて。」

 黒沢は顎をカリカリかいて謝る、

「それにしても、どうして私の家がわかったの?」

「そりゃあ・・・通行人に聞いた。」

 マリアも玄関に現れた

「それはともかくサヤ・・・月島さんの事なんだけど。」

 茜はマリアを見て目を丸くしている

 無理もない、顔にアザがあちこちに出来て

 絆創膏や湿布が張られているのだ

 ただ事ではない状況に焦る茜を見て

「あ、勘違いするな、私は勝者であって別にクロに負けてこうなったわけじゃない。」

 と説明してみたが、余計に困惑させるだけであった

 大体にしてクロと言うのは誰かも一瞬わからなかった。

「は・・・?って言う事はケンカしたんですか・・・?」

「誤解と若気の至りだ、気にするな。」

「それより月島の事なんだけど・・・・。」

 マリアではダメだと黒沢が本筋の話につなげようとした時

「茜〜・・・・お前、胸が私よりあるんだな・・・・。」

 着替え終わった彩が相変わらずスローモーションで玄関まで歩いてきた

 マリアと黒沢は腕で目をこすってもう一度目の前の光景を見る

 もう一回こすって見る

 自分の頬をつねって再度見る

「渡辺さん・・・まさかサヤって自殺してしまったんじゃ・・・。」

 マリアは頭を抱えて茜に聞いた

「はぁ?」

 茜は心から「はぁ?」を言った

「後ろにサヤの亡霊が・・・・。」

「月島・・・そんな・・・・。」

 葬式のような暗い顔になった二人、黒沢にいたっては

 涙を流して悲しんでいる

「黒沢・・・お前いつからマリアと仲良くなってんだよ
 って言うかマリア何その顔。」

 彩はゆっくりゆっくり歩きながら質問をする

 茜はどちらの疑問から話すべきか悩んでいた

「サヤ・・・・お前はサヤ?」

 マリアは困惑のあまり意味不明な言葉を放った

「そうだけど。」

「バカっ、こんな所にいるわけがね〜だろ・・・。」

 黒沢が彩の存在を否定する

 彩はようやく玄関にたどり着きマリアの怪我を荒っぽく触る

「いてっ、何するんだお前。」

「触れれば幽霊じゃないだろ・・・何で怪我してんだ?」

 マリアは彩の手をとってまじまじと観察している、黒沢も

「この怪我は、クロと他流試合をした時にできた。」

 黒沢がそれに付け加える

「マリアの事誤解しててさ、昨日拳で語ったら、実はいい奴だってことに気がついてね。
 試合は・・・引き分けだったよ。」

 マリアが引き分けに異論ありありで返す

「私の勝ちでしょ・・・・
 それにしても手を見ても幽霊か幽霊じゃないか全然・・・。」

 マリアは手を離し、茜と彩を交互に指差す

「で・・・・・・、なんで?」

「ええと・・・話すと長いなぁ・・・。」

「なんだっていいだろ、それより何の用で来たんだ・・・」

 茜が話す前に彩が無理矢理話を切った

「だけど理由がないと納得・・・。」

「マリアくどい。」

 彩は意地でも話す気がない。

「とりあえず仲良くなったってことでいいじゃないか、マリア、なっ!」

 黒沢は軽く受け止めた

「な・・・・納得いくか・・・・っ。」

「私が後で説明するから・・・・」

 茜が優しくマリアを諭した。

 煮え切らないマリアは、非常にに不機嫌そうな顔で用件を言った

「今日はサヤに、学校を辞めさせて欲しくないからそれの説得に来た。」

 彩は驚いて顔を上げた。

 わざわざ休日に自分の為にこんなこと事をする人がいたなんて・・・。

 しかも二人も、自分の身の振りを考えるとありえない事が起きている。

 茜も同様に驚いている

「だけどその必要は無いみたいだね、渡辺と月島が仲直りしてるみたいだし。」

「あそこまでやっておいて、普通仲なおらないけどな。」

 マリアは疑い深くツッコミを入れる

「でもサヤがいるなら都合がいい、謝っておく事があるんだ。」

 マリアはそう言うと、元々姿勢のいい背筋をさらに伸ばす

 黒沢もそれに続く

 そして頭を下げ・・・・

 ・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・ない

「クロ・・・・早く謝れよ・・・。」

 ボソボソとマリアが黒沢に話す

「お前からだろマリア・・・・!」

 マリアは黒沢の頭を掴み、無理矢理頭を下げさせようとする

「昨日私が20でクロが80って言ったじゃないか・・・・早く謝れ。」

 負けじと黒沢もマリアの頭を掴み同じように頭を下げさせようとする。

「ああ・・・!?、マリアが勝手に勘違いしてケンカ売って来たんだろ・・・・!?
 問題を先に起こした方が先に謝れよ・・・!」

 玄関前での変な意地の張り合いに茜は戸惑っている

 黒沢とマリアの体力勝負の持久戦となりかけた時

 ようやく謝罪の言葉が出た

「いや・・・私こそゴメン、色々迷惑かけたみたいだ・・・。」

 彩が最初に謝った。

「お前らが謝る必要なんて、ないだろ・・・?」

 彩が続けて言うと、二人は取り乱したように1歩下がる

「いや、私がサヤの隣に席置いたりして挑発してしまったかな・・・と。」

「私もマリアの制服破ったのに月島に擦り付ける形にしたからさ。」

 二人の言葉に彩の表情が綻ぶ

「バッカだなお前等・・・そんな下らない事で・・・。」

 彩は思わず涙が溢れてきた

 自分のほうがよっぽど冷たくあしらってるのに

 涙を流さないように深呼吸して耐えようとする

 それも空しくあっという間に堤防は決壊、涙がひとしずく流れた時



 バチッ!



「あうっ!?」

 彩は額を押さえて眉間にしわを寄せた

 マリアが額にデコピンを仕掛けたのだった

「念願の彩の広い額にデコピンができた・・・・。」

 マリアはニヤリと悪い笑顔をして感慨に耽っている。

「考えてみれば私そんなに悪くないし、怪我までして頑張ったんだからこれ位いいでしょ。」

 しかも開き直った。

「蒼野さん・・・、そんなわかりやすく動転しなくても・・・。」

 マリアはからかっているものの

 茜と黒沢には「彩が泣くと動転するから強がっている」と

 しっかり認識されていた。

「・・・で、月曜学校来れるよな?」

 黒沢が彩に聞く

「・・・でも・・・・・・。」

 彩が含みのある返事をした

 やはりクラスでの目も気になる上

 家族にも何て言われるか、まだ不安要素だらけ

 「はい、来れます」と自信を持って答えられるはずがなかった。

「来ないなら反省してないって事になるんだからね。」

 茜が意地悪そうに言う

 マリアと黒沢にはそれも信じがたい光景に移る

 茜に言われると彩は渋々うなずいた

「わかった・・・来るよ、ちゃんと。」

 ほんの少しだけ勇気と反省とやらを出して言った

 それを言うと3人は温かい笑顔を向けて言った。

「うんそれは良かった。」

 彩は手で目を覆い表情を隠してはいたが

 口元は微笑んでいた。







―――1章、終―――