終業式の朝、今日も早く学校に着いて机で頬杖をついていた。

 単純に日の弱いうちに移動したほうが都合がいいだけで

 学校は「家よりマシ」程度の場所で特に何をする理由も目的もなくそこにいる

 早朝にもかかわらず教室には、すでに夏の熱気を立ち昇らせ

 湿った心地悪い空気をまとわりつかせてくる。

 半ば、眠ったように頬をついている私は既に他の誰かが教室に入ってきている事に気がつかなかった

 一応は目を開いているのだから、死角に入るような席は隣を除いて他にない

 隣の席の主のマリアなら声をかけて来るはず。

 不審がってゆっくり目をやると、そこには茜がバツが悪そうに座っていた。

「・・・・・!」

 お互い目が合ったと同時に逸らした

 あまりに予想外な事だ、眠っていた脳を無理矢理起こす

 いつから居たんだろう、それにわざわざ何故隣に

「あ・・・あのさ・・・彩・・・。」

 目を合わせず茜が話す、

 私のほうもチラチラとのぞき見るのが精一杯だった、妙な緊張感が静観とした教室を包む

 同時にわずかに期待もあった、昨日までとは様子が違う

 もしかしたら仲直りをしてくれるのかもしれない、と。

 沈黙が続く

 私はなんとか茜とまともな会話を引き出したいと、一生懸命考える

 謝ってみる、とか。気にしてないよ、とでも言うとか――。

 今日を逃したら次は9月か・・・

 気持ちだけ急いて、結局は何も言えず茜の言葉を待っていた。

「あ…彩…この前のことだけど……あの………ご………」

 「ご」の次を推理するのは容易い事だった、そしてその回答も

 そんな謝る事ないよ、とでもいって今度こそ仲直りできる

 ここでやっと私は振り向いて顔を見ることができた、そして待っていた

 次の言葉を―――



「おはようサヤ〜〜ぁ。」

 私の耳に入ってきた次の言葉はマリアの能天気な挨拶だった

 茜も完全にタイミングを失った様子で、席を立つ。

 その空気をようやく察知したマリアは顔を手で覆い、後ずさった。

「あ・・・あの・・・私、10分ぐらい別な所いるから・・・」

 もう遅い、私は諦めたように返した

「はぁ・・・もういいよ。」

 茜は元の席についてしまった、気分的にももはや会話は無理だろう。

 マリアはそろそろと教室に入ってくる

 私に話しかけようとしていた時の茜のように体を縮こませて、やはりバツの悪い顔をしている

 泣きそうなのはこっちの方だというのに。

 そして小さな声で話しかけてきた。

「あの・・・さ、私、やっぱりタイミング悪かった?」

「わかってるだろ・・・・!」

 わざとやってるんじゃないかと思うほどの最悪なタイミングだった。

 これで仲直りできなかったらどうしてくれるんだ。

 放課後に話しかけてみるしかない・・・しかも茜一人の時に。

 でも常に友達といる茜にそういうことがあるだろうか・・・。

 私は大体一人だけど・・・私から茜には話しかけ辛い。

(ああ、もう・・・・っ。)

 考えれば考えるほどマリアが憎くなってくる。

「あの、私からなにか言っておこうか?」

 マリアが本人なりに気を利かせて話しかけて来る

 こいつに何か言わせて事態が好転するとは思えない

 いつだって振り回す役だ

 むしろ悪化してしまうのが目に見えている。

 いちいち断る為に口を開くのも億劫だ、今は文句の為にしか開かないだろう。

 口の代わりにマリアを睨み付けると

 それからマリアは黙ってしょんぼりとしていた。



 そんな、沈んだ様子が終業式が終わった後まで続くと

 何故か私のほうがいじめているような気分にさせられてくる

「おい・・・いつまで落ち込んでんだよ。」

 私が気を掛けるなんてまったく・・・間違ってる。

「いや・・だってなんか一生怨んでやるって目してたから。」

 転校初日から私を投げ飛ばした人間の言う事か

「・・・もしかして許してくれるのか?」

「全然。」

 それとこれとは別だ

 ただ、暗い顔だと鬱陶しい

 しばらく考え込んでいたマリアだったが逆ギレを決行した

「何でだよ、またそういう話する機会をつくればいいんだろっ。」

 それが難しい上に、そこまで待つ身にもなってみろ。

「私だって好きであのタイミングで来たわけじゃないんだよ・・・もう。」

 困った顔で怒り出す

 いつも人を馬鹿にした態度をとるマリアが狼狽している様子を見るのも少し面白い

 少し前なら、ムカツクだけだっただろう

 茜の事も気にかかるがマリアを責める気にもならなかった

 少し、放っておこうとした。

「渡辺さんの携帯番号知ってるし、
 いつだって連絡取れるから、それで会えばいいじゃん・・・。」

 私は携帯番号知らないが、最後の手段としてはいいかもしれない

 出来得るなら顔も見えない電話は避けたいが、ないよりはマシだ。

「携帯番号教えろ。」

「やだ、許してくれないならヤダ。」

 またガキみたいな事を宣(のたま)いやがった・・・。

 自分に有利な事があるとすぐこれだ、性格が悪い。

 私はムッとしてマリアのスネを蹴り上げた。

「いっっ・・・・・・たぁ・・・・。」

しゃがんで脛を押さえ、上目遣いで私を睨む。

「いいからさっさと教えろ。」

 マリアはどうも普通に怒ってしまったのか私を叩き返してきた

 人を弄るのが好きなくせに、されるのは相当嫌いらしい

 本当に性格が悪い。

 しかも相当痛い上に、1回では気分が晴れないようで、さらに腕を振り上げる

 格闘有段者だけに腰の入ったパンチは私の腹に入った

「うぶっ・・・!?、う・・・あっ!?」

 息がまるでできない、吐きそうになる

 やっぱりこいつ最悪だと認識した。

 うずくまる様子をみてマリアは怒りが一気に冷め、焦りに変わった

「あっ・・・ゴメン、えと・・・ゴメン、大丈夫?」

 ・・・絶対今の倍返しをしてやる・・・。

 苦しみと恨みの籠めてマリアの目を見ると

 慌てて茜の携帯電話をメモして私に差し出した

 呼吸がある程度元に戻った私はそのメモをとり、

 ―――6回ほど殴り返しておいた、今度は反撃してこなかった。



 山のような課題と見るのも悲惨な成績表を抱え教室を出る

 多分、登校日には来ないだろう…真昼に帰宅して強い日差しを浴びるのは

 苦痛以前に不可能に近い、今もまた、帰る手段を少し悩んでいる位だ。

(夕方まで待つのが楽かな・・・。)

 時間はある、茜はまだ席から離れていない

 自分から声をかけて見ようかと何度も思ったが

 その勇気もなく、ただひたすら茜が廊下を出るのを待ち

 作られた偶然で鉢合わせ、話のキッカケを作るという、無難な方法をとることにした

 廊下の窓から見る風景は隣の校舎と中庭で何の面白みもない

「何してる?」

 廊下でじっと待っている私にマリアが話しかけてきた

 こいつに用は無いと無視をする。

「今日は暑いね・・・、サヤは外出られんの?」

 無視を更に無視して話しかけて来る、私はもう一つ無視を重ねた

 しかしマリアはそれをも無視して会話を続ける

「私の家近いからそこで休んでもいいよ、猫居るし。」

 ・・・・・・猫。

 私はパブロフの犬の如き条件反射で、つい小声で呟いてしまった。

「あ、やっと反応した。」

 うるさい、こっちには用事があるのに何処まで邪魔をする気だ

「・・・まさか渡辺さんを待ってる?」

 わかっているならさっさと帰れ。

「や〜、健気だねぇ〜・・・、かわいぃ〜。」

 マリアはそう言ってなにか企んでいるような笑みをする、殴りたくなってきた。

「じゃあ私もちょっと教室で待つかな・・・。」

 まさか邪魔を・・・

「サヤの用事が終わるまで寝てるから起こしてね。」

 そういって教室に戻り席につくと、本当に眠りだした

 私が喋ってもいないのに、勝手に話を作って勝手に行動している。

 アイツの頭の中はどうなってるんだ

 マリアの変な行動についていけず、

 廊下の壁に寄りかかって待つ時間を潰した。



 いつの間にかいくらかの時間が経っていたらしい

 朝と同じように気がつけば茜が近くに居た

 心の準備も完全に忘れていた

「あ・・・彩、いたんだ。」

 私は軽く頷く、声が上手く出せない

 いつからこんなに緊張してしまうようになってしまったのだろう

 頭の中で上手く立ち回る言葉が浮かんでは

 ノドで消えていく

「今から・・・・・帰るの?」

「え・・・ああ・・・・・
 ・・・・・いや、夕方まで待つ。」

「ふぅん・・・。」

 それだけ聞くと茜は廊下の壁にもたれ掛った

 茜も言葉を捜しているんだろうか?

 きっとまだ人がいるから居なくなるのを待っているのかも知れない

 じっと下を向いて、話かけて来るのを待っていた  人の喧騒、遠くを通る車の音、蝉時雨・・・

 音だけが時間の経過を教えてくれた

 1時間も過ぎただろうか

 わずかに聞こえた人の声は途切れがちになり

 廊下にいるのは二人、あと教室で眠っているのが一人いる程度になった

「なんか今年の英語の課題、多くなかった?」

 唐突に茜が話題を振った

「・・・・。」

 確かに多かった、しかも日記を英語で書け見たいなのがあった気がする

 だけどどう返せばいいのか、見当もつかず頭を抱え込んだ

 茜は一向に答えない私を見て不安がった。

「・・・・・怒ってる?」

 慌てて私は答えた

「ぜ、全然」

 この前まで不機嫌だったのに今日は不気味なほど低姿勢で

 とにかく不安と期待の混じった重苦しい感覚が私を襲う。、

 指を噛んで不安を抑えるので精一杯だ。

 このままいつまでも時間だけが流れていくのだろうか・・・

 絶え間なく鳴り響いていた蝉の声がふっと止まった。



「ええと、・・・ごめん。」



 私は茜の方を振り向いた、茜はそっぽを向いている。

 しかし間違いなく「ごめん」といった。

「茜・・・・。。」

 私が話すのを遮るように茜は口を開いた

「私は彩の事嫌いなのは変わってないからね・・・、ただ、あんな乱暴はしないってだけで。」

 わざと愛想悪そうな素振りを見せる、好きとか嫌いとか

 もはやそんな事はどうでもよかった

「うん、別にいい・・・・嫌いでもいい。」

 最初の言葉だけで十分だった。

 緊張感はまだ残っているけど、不安はもうなかった。

 茜も言いたい事を言った、という所で、強張った表情が緩んでいた。

「じゃあ、私帰る。」

 茜はカバンを持っていそいそと帰る。

 私は黙ってゆらゆらと手を振った。

 端から見れば会話ではないのかもしれないけど、私は満足していた

 そうして誰も居なくなった静かな廊下で

 また、ぼーっと壁に寄りかかった

 安心感で満たされていた、夕方まで待つのも苦じゃなくなりそう――。